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今、あなたへ

娘が大学病院に救急搬送された。

熱性痙攣を年に一回恒例行事のように起こす娘。

「熱性痙攣は時間経過ととも治るものだから、様子を見てください」とは毎回言われるのだけど、何度も起こされても慣れない。
意識が無くぐったりとして筋肉が硬直している様を見ると、30分以上がリスクと言われても10分がそれくらいに長く感じてしまうのだ。

救急車の中でも数分の発作を3回起こした娘は入院となった。

「脳症または髄膜炎のリスクがあるので、少し様子をみましょう」

と医師に告げられ、検査をした。

結果、脳症のリスクはないと判断されたが、経過観察は必要との事で2日間入院した。

わたしは娘が意識を失う時、実は毎回何かを覚悟する。

日本人はウイスルや細菌による感染で脳症になるリスクが高いというデータもある。

障害を抱える可能性は十分にあるのだ。

この日々の日常は当たり前じゃ無い事を、娘の入院の度に感じずにはいられない。

「大袈裟」かもしれないのだけど。

無事退院した日、私は安堵とともに脱力した感覚となり、手足に力を入れる事が少し難しかった。
 
「もっと早く異変に気づけてあげられていたら…」

という思考がしばらく頭を支配する。母親とは自分を追い詰めてしまう生き物なのだろうか。

娘がここに至るまで、多くの人にお世話になった。

救急隊の方、早朝から救急を受け入れてくれた小児科医、看護師、検査技師さん。病棟の沢山の看護師さん、薬剤師さん、栄養士さん。
夫や私の両親、義理の両親、そして息子…

みんな、ひたすらに、必死に、自分が出来る事を行ってくれていた。仕事だから当たり前と言われてしまえばそれまでなのだが、こんなに尊い事があるだろうか…。

尊い仕事をしている人達を眺めてみて、ふと、我に帰る。

私は、今しかないこの時間を大切にしてあげていただろうか。

正直、最近は仕事の事で頭がいっぱいで、ちっぽけな理想ばかり追いかけて、足元を見ていない自分に気づいてしまったりする。

今、元気になった 貴方むすめへ…

「ごめんね、元気になってくれてありがとう」

もちろん、仕事も大事で、育児と天秤にかける事はナンセンスなのだけど、私にとって、やっぱり何にも変えられないのは、自分の子供だと気づく。これは、義務的に感じているのではない。本能的な感覚で感じている。

共働きでいると、どこかで夫に対抗心というのか、嫉妬心というのか、仕事に没頭出来る事が羨ましいと思う事があった。

社会的な地位とか認められて立派になりないなんて欲望が無意識にあったのかもしれない。

育児という大切な仕事から少し距離を置きたかった…。夫が「子供より大事なものなんて無いでしょ」
なんて言う度、正論すぎて悔しかった。
そんな事わかっていたんだ。
でも、出来なくて苦しかった。

けれど、少しだけ素直に今は聴けるかもしれない。

夫は夫だ。
私は私。

私にしか出来ない事が実は沢山あって。
だからそれを必死にやればいい。

今、貴方おっと

冷たい態度をとってごめん。いつもありがとう。

今を歩む。

これからより、いままでより、きっと今。




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