自分を見失う瞬間
「何処か遠くに行きたい。とてもとても遠い所に。
1人で。何にも縛られず。」
なんて事を日々考えてしまう。
夫にそんな事を遠回しに伝えると、「あなたには無理だよ。きっと寂しくなって帰りたくなるさ」と返される。
子ども達にも「1人で何処かに行くなんて絶対ダメ」と止められる。
世間体だけ考えたら、夫と子どもを置いて身勝手な理由で出て行ったわがままな女だと思われるのだろうか…。
子どもはまだ小さいし、仕事もしているし、車は一台だけ。夫は私が単独行動する事をとても嫌がるのは十分理解している。
けれど、この息が止まりそうで、窮屈で、堅苦しい場所から逃げ出したくなる。
正直、子育ても仕事も家事も全部投げ出したい。
無責任になってみたい。
静かでひんやりした港町に何日も滞在して、散歩をしたり、美味しいものを食べたり、魚を釣ったり、知らない町の人とお酒を呑んだり…。
私は長女であったためなのか、妙なプライドがあるためなのか、見栄っ張りなのか、いい妻で、いい嫁で、いい母でありたいと考える一面がある。
出来れば穏便に事を進めたいし、周りの空気とか瞬時に察してしまうから気苦労も多い。自分の事を少々犠牲にする事も大して苦ではないと思い込んでいる。
けれどそれは、大いなる間違い…?というか、心の健康を害する思考である事も理解している。
もし心の中にコップなんてものがあるとするなら…
その些細な気苦労の出来事の一つ一つを溜めているのだとしたら…
まあ、溢れちゃってるんだろうね…。
「ゆるくやれば」いいのだろうけど、ゆるめ方はなかなか難しい。ゆるくほどけないように結ぶって難しい。
自分を見失うくらいになりそうなとき…
こうしてnoteに私は話す。
「話す」は「離す」だと教えてくれた人がいる。
また、コップから水を出して、思考を少しずつ緩めていく。
さあ。月曜日。
ちょっとだけ前を向く。
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