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RIKYU HONEY

母の認知障害を認める前のことだ。

2021年10月に母は椎間板ヘルニアになり、元の生活をするまでに4ヶ月を要した。
制限だらけのコロナ禍だった。その時のお手伝い帰省中に母の認知障害を感じることはまったくなかった。

2022年3月に私は長男とふたりで帰省した。
社会人になって2年が過ぎた長男と私の両親が会うのは2年半ぶり。
母も回復した。
初孫である長男との再会を母は喜んだ。

短い休暇だったが、母と私と長男の3人でお出かけしようということになった。
母の足腰の具合もある。
遠出は心配だ。
近くて車で行けるところ。

須磨離宮公園に行ってみようか。
チューリップ花壇が見頃らしい。
長男Tが運転すると言う。

母:「Tちゃん、道わかるん?」
T:「ナビあるでしょ。大丈夫だよ。」

実家の車にはナビが付いているが、使ったことはない。
今まで走っている道を表示しているだけのナビ。
しかしちゃんと機能して、目的地にはすぐに到着した。

ここに来るのは母も私も、
特に私はすごく久しぶりだった。
母と一緒に来るのは初めてで、それぞれの記憶の中にある須磨離宮公園だ。
外から見たら昔と変わらないレストハウスは、野菜が美味しいワンプレートランチを楽しめるおしゃれなカフェになっていた。

食事を終えて、ハーブコーナーを見る。
母はいわゆる「緑のゆび」の持ち主で植物を育てるのは上手。
花や草木を見るのが好きで、知識も豊富だ。
おばあちゃんが孫の青年と公園を散策する。
母は長男と腕を組み、思いのほか足取りは軽い。

桜はちらほら咲いている。
チューリップ花壇は見頃でミツバツツジが満開だった。
展望台からソラシドエアが飛んでいるのが見える。
南は海だ。
神戸はいつも懐かしい。

この日の母は公園内を散策できたことが自信となり、満足そうだった。

「治ってから出かけようと思うてたらいつまでたってもどこも行かれへん。外出も薬やわ。お出かけしながら治すわ。」

これは本当で、今の私が実感している老いに対する母の教えである。
そのとき私は「無理は禁物やで」と釘を刺した。それがブーメランになって自分のところに戻ってきたが、取り損ねて今日も腰が痛い。
加減が大事だ。

離宮公園に行った日の夜は、
2年遅れだけどと、Tの就職祝いと3月生まれなので誕生日のお祝いをしてくれた。

「Tちゃんありがとう。今日は思いがけずお出かけできてうれしかったわ。
お花もきれいやったし。」
と話していた。
公園で撮った花の写真やお互いの写真をスマホに送りあったり、アイコンを変えたり、動画を見て笑ったり、あの時は普通にスマホを操作できた。

まさか1年後に認知障害を認めることになるとは夢にも思ってなかった
2022年の3月だ。

ただ、この時の帰省でひとつだけ私の心に引っかかっていることがある。
帰ってきた私たちを見て母は
「あれ?Kちゃんは?」
と次男の名前を口にした。
私は、はぁ?と言わんばかりに
「Tとふたりって言ったよね?」
と言った。
父は
「(母が)人の話聞いてないねん。」
と笑っていたのだが、もしかしたら認知障害のもの忘れが始まっていたのかもしれない。
今にして思うだけのことだ。
前の母と今の母に境界線はない。
ないけど、母とTと須磨離宮公園に行った日の思い出は私にとっては特別に大事な思い出となった。

あの日ランチしたカフェ、ガーデンパタジェで母がおみやげにと買ってくれたハチミツ
RIKYU HONEYは華やかな香りの百花蜜で美しい金色だった。

さっぱりした甘さのハチミツがあることを知って、旅先や出先で百花蜜を見つけたらおみやげに買うようになった。
いろんな味と香りがあって楽しい。
母が買ってくれた
RIKYU HONEYがきっかけだ。


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