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HSPの教員はなぜ深い傷を負うのか

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noteで画像検索で「傷」と検索すると痛々しい画像が出てきて、それだけでしんどい思いをする。そんな私。
2度教員になる夢を叶え、2度教員を諦めた男「シエラ本田」です。
「シエラ本田」は特に理由もわからず、仲間が勝手につけた愛称です。私が「私自身がHSPであること」を周りに伝えることを好ましく思っていない。あくまでHSPである私の個人的な考えではありつつも責任を持って文章を書きたい。という理由から多少自分をさらけ出す必要があるためこの名前を選びました。
このnoteが人と関わる日々を送られるHSPの皆様、教員になりたいけれど教員に向いているか不安な皆様、現職の教員だけど辞めたいと思っている皆様の参考になればと思います。

HSPは教員に向いているのか

この答えは私の中にあります。教員として、児童生徒・保護者・同僚の先生に対して接するとしたら向いています。それ以外の時間や仕事には向いていません。結果として、自分がすごくしんどい思いをします。それでも人の役に立つことは素晴らしいことですし、教員になりたい、続けたい人は教員であってほしいと思います。

得意なこと

  • 子ども、保護者・先生のしてほしいことを理解する

  • 仕事に誇りを持ち全力で働ける

  • 几帳面に対応することができる

苦手なこと

  • 仕事を断れない

  • 手を抜けない

  • してほしいこととするべきことが異なり悩む

相手を理解するということ

「子ども、保護者・先生のしてほしいことを理解する」、「してほしいこととするべきことが異なり悩む」この2点がHSPの特性としてストレスを感じる要因になっていると思われます。
お客様への接客だと、特別な場合を除き、「お客様の求めているサービス」≒「お店にとって利益になるサービス」だと思います。無理なことは従業員全員が把握しており、常識的にも明らかであることが多いです。
その一方で、教育現場では「子どものしてほしいこと、保護者のしてほしいこと」と「現場でするべきこと」がかけ離れています。むしろ真逆のことがあります。
例えば、「完食指導」。私が現場にいるときは多くの中学校で行われていました。残食を0にするために子どもに給食を食べさせるという行為。これにより、給食や食事そのものが嫌になる子どもが現れました。子どもや保護者からは「残しても良いようにしてほしい」と言われますが、学校全体の取り組みは食のありがたみや栄養を考えた上での「完食指導」その両方に挟まれた学級担任はどうしますか??私は残ったら、全て私が最後は食べるという気合で乗り越えていました。(もちろん無理な時はありました)残ったら職員室で担任が指導力不足と注意されます。
こんなことが給食の時間だけでなく全ての時間(朝、授業中、休み時間、部活、放課後の保護者との電話等でのやりとり)で現れます…
毎度毎度板挟みになっていました…

仕事をするということ、全力を出すということ

教員という仕事は幸か不幸か仕事の量や質によって、報酬が変わることはありません。あるのは自己満足と他者評価が上がるだけです。(最近は少し影響するそうになったそうですが…)
A:絶対にしなければならない仕事
B:するべき仕事
C:した方が良い仕事
の3つに分けるとして、仕事は無限にあります。誇張ではなく無限にあります!!その中で仕事に手を抜かず全力で几帳面にするということは良いことばかりでは無いです。
BやCの完成度を気にするがあまりAの仕事が疎かになってしまいます。それは、私の性格の問題であり、「私は仕事ができない人間だ」と落ち込み、もちろん周りからも責められます。様々なビジネス書を読み漁り、様々な解決法を実行し、それでも最後にくるのは、しんどくなっても「断れない」という私の中では最悪の性質でした。無限に仕事を抱える学校という現場で断れないというのは一番の弱点です。
周りがやりたくない仕事は押し付けられ、そんな仕事が複数同時に湧いてきます。
その結局、教員であり続けるための方法が見つからないまま病んで一線を退いてしまうのでした。

次回(それでもHSPは教員をするべき)

いやいやいやいや、今までそんなこと言っといて、何言いよん!?って感じですが、無責任を承知の上で、次回はHSPの先生がいても全然良いんです。そんな先生が必要なんです。という話をします。
私は教員の仕事を全うすることはできませんでした。ただその教員生活の中でHSPであることが生徒のためになったこともあると思っています。
だから、HSPであるという理由だけで教員を諦める。辞める。というのはやめてくださいね。

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