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【子育て】 ブルドーザー型の親にはならないぞ、という決意

私は、子どもが不整地を歩むのを見守る親でありたいと思っている。
時と場合によっては、手をつないでサポートすることも必要であろうし、リスクがあるときには道しるべ的役割でありたい。

息子が産まれてから、ずっと心に決めていること。
そして今もそれは続けていること。
遡ると、教師である私は、受け持つ生徒たちにもそのような目で成長を見守っている。
ずっと。



先日、息子と一緒に公園へ出かけた。
かなり大きな遊具が設置されているところで、遊んでいる年齢幅も大きい。
いつものように、アスレチックに取り組む息子。

木製のハシゴを登ろうとしたが、前のお子さんが登っている最中だった。
それに気づいた息子は、

「そうそう、ジュンバンだから!」

と、うんうんと自分に言い聞かせ、前の人が登り終わるのを見上げて待っている。
「成長したなぁ」と感慨深さを覚えながら、何も言わず横に立つ母の私。

そこへ、手をつないで別のお子さん(2歳くらい?)がお母さんとらしき人と一緒へやってきて、私たち2人を追い抜き、さっさとハシゴへ登り始めた。

私と息子はそれを見て、キョトン。
ジュンバンは・・・?

推定2歳のお子さんは登るのが非常にゆっくり。
横でお母さんはらしき人は、ずっと何かを子に話しかけている。
子の足を支えながら、自分も一緒に登っている。
というか、ほぼ担ぎながら(?)登っている。
成長段階的に、ハシゴは2歳には少々早いのだと思う。

それを我慢強く待ち続けた我が息子。
ジュンバン抜かされたのにね。
偉いぞ。

抜いた親子が最後を登り切るくらいのときに、我が息子も登り始めた。
そしたら!!
その前の親子は降り始めたのである!!

下に誰かがいるのも確認せず、せっせと降り始める。
そしてまたキョトンとしている息子に迫り来る親子。
ハシゴに掛けていた息子の手に、降りてきた親子の足がぶつかる。
咄嗟に出た、私の「あ、すいません!」の一言。
条件反射で出ちゃったもんだから訂正きかないけれど、謝る立場は一体どちらか?

そして、どこかの子(我が息子)がハシゴを占拠していて(本当は順番をちゃんと待っていたけれど)、ハシゴ降りられないわよ!と言わんとするばかりにプンスカし始めたその方。
うちの息子にも、咄嗟に謝った私に対しても、なぜか無視。
当然、圧力を感じた息子は、ハシゴを登るのを辞めて降りることに。
呆気にとられてしまった。

私はその親子に非常に興味が湧き、息子が他の遊具で遊んでいるのを見守りながら、その親子をウォッチング。
それで分かったこと。
そのお母さんは、「ブルドーザー型ママ」だったのだ。

子が行くところ行くところ、親は丁寧に障害を取り除いている。
だから子が転ぶことは一切ない。

子が通る道の小石を拾いながら進む親子。
まさに、ブルドーザー。
道を整備し、通りやすくして、さらにはホウキで細かいゴミまで掃いていく。
子はきれいな道しか歩くことはない。
子は「転ぶ」経験は得られない。
転んだら痛いんだ、という感覚を経験することはない。

ヘリコプター型の親も存在する。
子が自分で歩く経験すらなく、親が目的地まで運んでしまう。
子は気づいたら、ゴール地点に「勝手に」到達していることになる。
歩いて行く中で、考えたり計画したり見通しをしたりする過程は、子に与えられない。
自動的な「成功」には、どれだけの達成感が含まれるのだろうか。

もちろん、これらはある程度の年齢のステージになれば、それが子に与える影響の度合いがますます上がる。
幼児のうちは、差はあまりない。
でも、子が中学生・高校生になっても、親がブルドーザーやヘリコプターだったら、その子はどんな影響を受けているのだろう。
今の時代、大学生であっても、そんな親子関係の在り方が増えてきているらしい。
入社式に親が同席する時代に突入したんだとか。

ある大学の先生が言ってた。
「大学では、保護者面談があるんですよ。すごい世の中になりました。」
鳥肌が立った。
なるほど、今ってそんな時代なのか。
※某地方国公立大学の話

子には、順調に人生を歩んで欲しいと親が願うのは当然のことだと思う。
でも、何をもって「順調」といえるのか?その物差しは親の考え方で大きく変わる。
失敗をしないことが順調?
答えが全て用意されているのが順調?
間違った選択をしないことが順調?
そしてそれを最大限支援するのが親の務め?

私は、我が子にたくさんの失敗をしてもらいたい。
そして、それは早ければ早いほど良いと思っている。

幼児である今、
転べば「痛いんだ」ということをちゃんと感じ、その経験を経て「転ばない歩き方」を自分で体得できる子に育って欲しい。

小学生・中学生になったら、
いろいろなことを経験して失敗して、向き不向きを自分で判断できる材料をたくさん貯めていって欲しい。
興味のあることに飛び込める好奇心を育んであげたい。

自分が受け持つ高校生には、
敢えて何でもしてあげることはしない。
でも、芽を自分で育てていける環境は提供してあげる。
失敗や挫折を体験した者でないと、「自分自身で」成功へのルートを見出すことはできない。

だからきっと、我が子にもそんな風に育って欲しいと願うだろう。
親は辛抱強く見守るのである。
危なっかしくも、ゆっくりではあっても確実に進んでいく子の足取りを。
待つのである。
とにかく待つ。

整備されていない道は、実に面白い。
バランスを取りながら歩くと、筋力が均等についていく。
子にも、しなやかに生きていって欲しい。
苦しい経験をすることは、どの世代の人にとっても、人生の旨味を引き出すとっても大切なエッセンス。
苦みがないと、美味しさは逆に引き立たない。

順番待ちをしていて追い抜かれて、それでも我慢した我が子にアイスをプレゼント。
苦い経験は、甘みを引き立たせる。

肌寒さが感じる冬のスタートに爽やかなチョコミントを敢えて選ぶ、親としてのささやかな私の決意表明。
でこぼこ道を歩く君を、精一杯サポートするよ。

では、また!

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