学歴信仰とは

まず学歴信仰とは学歴に対して過大に評価することと定義されている。なぜそれがいけないのか3つ解析をした。
1つ目は学歴とは賢さしか表明できないからである。大学生活で一番重要なのは大学でどのような勉強、恋愛、友人関係をしたかである。賢さに優れていても友達がいなかったらコミュニケーション能力の欠如。偏差値が高い大学に入っても4浪5浪して卒業したら結局は結果が出なかった醜い大学生というレッテルを貼られる。どんなに偏差値が高い大学でも社会不適合者というレッテルを貼られる可能性があるのだ。

2つ目は学歴に対する偏見や差別が生まれてくることだ。それによって優秀な人材を低学歴という肩書に沿って蹴ってしまう可能性がある。つまりは会社に大きな貢献をもたらすであろう優秀な人材を学歴差別によって弾き飛ばしてしまう可能性があり、社会としても不利益な事が起きるからだ。結局は中身が大事であり大学でどのような成績を取ったのか、どのような生活を送っていたのかが大切である。高学歴だからって社会不適合者を入れてしまったら社会としても不利益になる可能性がある。

最後は学歴差別自体危険だからだ。例として高田ふーみんという学歴が良いものを外面だけで崇拝する迷惑系YouTuberだ。具体的に高田ふーみんは学歴が高いものを褒め称え学歴が低いものを馬鹿にしており無能と言いつけている。日本国憲法には日本国民は皆平等と書かれており人権侵害は認めないと書かれている。しかし学歴だけで決めつける世の中や外面だけでヘイトスピーチをする者が増えてる事自体異常事態であり日本国憲法に乗っ取られていない。学歴崇拝者は非常に最悪な人間である。
私は今までいい大学にでたものを褒め称えていたが今回の解析をきっかけに人間の本質を見るには外面だけの学歴だけではなくどのように過ごしてきたかなどの内面を踏まえ学歴が高いから良いという危険な思想をなくそうと思う。

 本当に最後になるが私は高田ふーみんと同じことをやっていたことに対して深く反省をしこれから生かして社会に利益がある思想と行動を取っていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?