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共同マガジンvol2 byパト

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共同マガジン第二弾です。いいねの輪が広がれば嬉しいですね。
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2020年10月の記事一覧

「阿部勉氏との出会い」(自伝より抜粋)

「阿部勉氏との出会い」(自伝より抜粋) 今日、10月11日は阿部勉氏の命日である。 、、21年経た。 ーーーーー 私の人生の中で最も大きな人物と出会うことになる。 一九九三年の暮れに友川かずき氏と文学者立松和平氏が共同制作した「青空」という絵本の出版記念パーティ会場であった。会場は新宿の中華大飯店で五百人以上が来場していた。そのパーティ最後の一本締めに指名されて壇上に上がった人物からは只ならぬ静けさが漂っていた。 私は三上寛氏に檀上に上がった人物を紹介してくれと言った

「悲劇の果実」

「悲劇の果実」 古より隠されしその禁断の果実を食したる者の運命は非業ならぬ業を背負い生きると知ることにある。  秘伝書には秘密の蜜とも記されているのだが、その蜜は生存を抹殺する猛毒でもある。ゆえに使用法自体も果実を食いたる者しか知ることは出来ない。  いつの世にもこの果実を食べたと錯覚する者多し。今日でもそのように語りつつ「悲劇人」と称する人物達は八百屋に並ぶ果実さながらにそこかしこに存在する。  市場にて売り買いせる商品の名札を首からぶら下げて自己宣伝に忙しい。   

幼少時の記憶

 洪水の風景の最初の記憶は私が三歳の時である。弟が二階の柱に縛られていて、村中が流れる泥水湖のようになった。死んだ牛や、豚や、ヤギ、鶏、壊れた家具類などが流されていた。小さな庭の桐の木の細い小枝にはたくさんの蛇が巻き付いていた。毎年のように起こるその泥水湖になった村に町の消防団の人が船を漕ぎ、おにぎりを運んでくる。そのおにぎりの味は特にうまかった。  私達は冬でも、夏の格好であった。足は裸足である。家には塩すら無い。  一度もらったタマネギを水煮で食べた事がある。だが口に含ん

「擾乱」

「擾乱」   ああ、眩暈、吐き気、脳味噌は軋み痺れ、心身はのたうち........   想像を絶する狂おしい情念、観念の炎に焼かれて俺の魂はついに気化された。だが、これは闇の宴の序章にすぎなかった。   この極めつけの狂人と区別もつかぬ言動をしかと観る者はいまい。 この俺自身ですら原始人並と痛感する。共通の基盤となる土台の欠片も無い未知の状況に陥った者しか共感しまい。 だが、その時には既に感覚的言語など不用である。空間自体が言語の海だからである。 透明な血液

「死神」

「死神」 「人はパンのみに生きるにあらず」だと、ふん!見るがいい、荒野の対決以 降、人間共は俺の意のままである。 所詮、生存とは他の生物の犠牲なく存続不可能である。人間にそれを超え うる能力を与えられていたとしてもその秘密に至るまでの苦悩に耐えうる者 などざらにはいない。故に人は限りあるこの世の生を楽しむのだ。虫けらの ような連中を信じようとしたお前の負けだ。奴等によってお前は磔にされ、 選んだ弟子にも見放されたとは情けない話だ。   見よ!今、お前の教えは実

「悲劇の果実」

「悲劇の果実」  古より隠されしその禁断の果実を食したる者の運命は非業ならぬ業を背負い生きると知ることにある。  秘伝書には秘密の蜜とも記されているのだが、その蜜は生存を抹殺する猛毒でもある。ゆえに使用法自体も果実を食いたる者しか知ることは出来ない。  いつの世にもこの果実を食べたと錯覚する者多し。今日でもそのように語りつつ「悲劇人」と称する人物達は八百屋に並ぶ果実さながらにそこかしこに存在する。  市場にて売り買いせる商品の名札を首からぶら下げて自己宣伝に忙しい。  

いろ(ロ)

いろ(ロ) いろはにほへとちりぬるをちりぬるをちりぬるをちりちりぬるぬるをちるちりもせずちるちることこれいかんせんいかんせんいろはにほへとちりぬるをちりぬるをちりにちらずしてちりぬるをちりもせずちりぬるをちりぬるふりねむりねむりねむるをちりというちるといふいろくるいひとひとびとこれあさきゆめといわゆるいわゆるひといたれどそれしるひとなくひといろはにほへとほえてちりちりちるというひとひとひとくるしかなしくらしひとひはひとひとひとのなかにひいろといえどもひいろにならざるいわざる

「階段に座る男」

「階段に座る男」 地下鉄の銀座駅出口に近い階段の中ほどに中年の浮浪者らしき男が座っていた。 私はその男と眼が合った。男はにやりと笑みを浮かべて軽く会釈をした。 その瞬間私の全身に或る種の戦慄が走った。私は特に階段を上りその男を通り過ぎた。 だが、私は自分に走った感動にも似た戦慄が何故起きたのかと思い、少し離れた場所からその男の様子を観ていた。 その男は見境なく会釈をしている訳でもない。だが、時折会釈をしている。 私は会釈された人物を観察した。会釈された人物の殆どは一瞬薄気

「殉教 」

「殉教 」 生も死も変容にすぎぬ。これを言い切る者は この世では死者となる。   意識自体は不可知なる実体であり、一切は意識である。   変容する意識の意識化、これが我々の生である。   一切の現象は比喩にすぎぬ。 全てを相対化して惰眠を貪り眠る者よ。 電光に打たれよ。雷鳴に怯えよ。 さては無の恐怖を味わえ、底無しの絶望を、孤独を、絶する悲哀を・・・・・・。 愛を知らぬ者共よ、自虐を存分に楽しめ。 地獄などは序の口だ、無明などとは笑止! 狂気とは眠りの夢、夢の眠り、自

いろ(イ)

いろ(イ) ひといろいろありいろいろありひといろにまみれいろにまじれどいろをしらずひといろをみずいろをきらいきらいひたるをしらずいろをきらうひとのいろいろひたりてひたるをしらずいろくるいていろきらうかなしみていろをきらえどはなるることなしはなるるはいろをしらずいろをしらずいろをしらずねなしうきたるひとひとびといろいろありていろのいろしらずひいろのひいろのかなしみのいろひかんらくかんのいろいろ ひといろいろいれどまさにいろいろいれどいろのなかひいろのなかおのずからはいるひと

「ふみくるひ」

「ふみくるひ」 ふみくるひたるひとひにひびにされどこれいかむともいしがたきものあり されどこれさだめとしるひとやむことなしやなすやこれいかむともしがた きものなれば よよのながれにうきつしづみつつらつらつれづれしつようにふみくるひにひ たひたりいりいるほかなしやとふみくるひひとやむことなしやむることなし やをひをふみをくるひかきかきまくるひなり

「奇妙なる光景」

「奇妙なる光景」                                                  おれの眼前に繰り広げられる奇妙な光景が奇異に感じたのを今では薄れた記憶のなかにしか見いだせぬのはこれこそ奇異なことではないかとも思うのだがそれすらも自分の記憶なのか現実に見たものであるのかの境界が曖昧模糊とした状態であるのは今のおれには確かめるための基準すらあやふやなのでただ眼前にあいもかわらず定かならぬ形やら動きやら色いろなるものらの様々な音調とも軋みと