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『居酒屋の失敗』第二章「オープンから閉店まで」


『居酒屋の失敗』第二章「オープンから閉店まで」

1.オープン

 居酒屋をオープンしたのが2014年9月9日重陽の節句。あまり派手に宣伝しないという、いわゆる「サイレントオープン」にて営業を開始したのだが、内外装工事中から気になっていた人をはじめ、ブログやSNSで準備から開業までを発信していた成果もあり、当初からかなりのお客がやって来るという、いわゆる「オープン景気」となった。
 売上も約3週間の営業で損益分岐点の3週間相当分を達成し、かなりの手応えを感じて「居酒屋なんてちょろいじゃん」と思うほどだった。

オープン日の記念撮影。自分以外に女子バイト5人にてスタート。

2.1ヶ月後

 ところが月が替わって10月に入った途端にお客がパッタリ来なくなってしまったのである。売上も1ヶ月丸々営業して約120万と損益分岐点を大きく下回る結果となってしまった。
 これで完全にパニックに陥ってしまい、メンタル的にも相当ダメージを受けたがなんとか気を取り直し、グルメサイトに頼ったりして11月は多少盛り返し、忘年会シーズンの12月には150万超と営業中での最高売上となったのだが、それでも180万の損益分岐点には届かなかったのである。

プレオープンで静岡の叔父から酒樽も頂き鏡開き。

3.営業方針の転換

 そして年が明けて1月。営業方針を大きく転換し、メインの調理を人に任せる事にした。ラッキーにも料理人歴45年の元板前をバイトで雇う事に成功し、メニューも静岡関連以外は、ほぼ一新した。
 しかしながら、自分の調理の負担が軽減された以外はさほど大きな効果も無く、売上も低空飛行のままであった。

静岡のソウルフード「黒はんぺんフライ」

 やがて開業当初の運転資金350万は底をつき、事業用とは別に残しておいた個人資金も投入し、自分の給料も会社から支払い後に「社長融資」として即戻すという状況で、家に生活費も入れられない状態。とにもかくにも毎月数十万単位の赤字というのはいかんともし難いものがあった。

4.閉店

 4月頃からは「閉店」の二文字が頭をよぎるようになり、遂に5月には決断するに至った。
 しかし、さすがに1年未満での閉店では恰好が付かないため、悩み抜いた結果、1年1ヶ月後の10月10日を目途とした。
 そして店舗の居抜き売却をはじめとする諸々の閉店準備を進めつつ、次期事業としてのフランチャイズも検討しつつ、なんとか目途がつき、予定通り2015年10月10日に閉店と相成ったのであった。

こだわりの詰まった店ともわずか約1年にてお別れに。

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