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丁寧に字を書くということ

中学生くらいの頃から、字がものすごく雑だった。
書写も習っていたし、テストとか、手紙とか、大事にしているノートとか、何かの本番になるとわりと綺麗な字が書けるのに、
普段の字がまぁ汚い。

最近だと、毎日ほんの少しだけ記録する育児日記と、保育園の連絡帳はほぼ毎日書かないといけないものだけど、
それももうだいぶ汚い。育児日記に関しては殴り書きに近くて、私以外には多分ほぼ読めない。
自分で読むのも怪しいから、もはや何のために義務感を持って書いているのかもよくわからない(笑)。

何かの本番だと綺麗というのは、時間をかけて書こうと思えば綺麗に書けるのだ。
つまりそれ以外は、いつも何か急いでいる。焦っているということ。
連絡帳はまぁわかる。朝はいつもバタバタして実際に時間がない。
でも育児日記なんて、ちょっとしたあまり時間に書いているし、そんな短文、多少時間をかけたといっても、せいぜい違いは3分程度だろう。

だけどなんか焦っちゃうのだ。常に追われている気持ちで、
この字を書く作業くらいは早く終わらせなきゃ、と思ってるんだと思う。どこかで。

でもふと、思った。
よく「丁寧に生きる」「今を生きる」とか言うけど、まさしく私の字が雑になる状態って、その正反対だなぁと。

丁寧に生きようと思ったら、自然と字は綺麗になるだろうし、今その瞬間のことしか考えていなければ、もっと字を書くことに時間も意識も割けるだろう。
実際、字が綺麗な人ってなんか落ち着いているように見えるし、きちんとしている感じがする。
少なくとも字が汚ない時の私は、丁寧に生きられていないし、今を生きられていないんだ。おそらく。

「今を生きる」って、昔から良い言葉だなと思いながら(昔ドラマの「漂流教室」で窪塚くんが言っているのを聞いた時からずっと心に残っていた)
具体的にはどうしたら良いのかなんとなくわからずにいた。
でもそれはつまり、字を綺麗に書くことなんじゃなかろうか。

たいして時間は変わらないんだから、字くらい綺麗に書こうじゃないか。
そしたらきっともっと丁寧に、もっと今を生きられるはず。
わかってはいるんだけどね。てへ。

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