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人から提示された役割と自分で選ぶ役割

昔、同じ高校出身のとびきり優秀だった友人から「ゴールピープル」と「リバーピープル」の話をされた。
「ゴールピープル」=明確な目標設定を行い、日々逆算して動く人。
「リバーピープル」=目の前の課題に必死に取り組み、臨機応変に選択する。
(上記の考えは、リンモチの創業者の方が提唱されたらしい。)

この考えを、5年前、当時20歳の僕に友人は話してくれて、友人自体はゴールピープルであり、友人の強みは突貫力(なんとかしてクリアする力)としていた。この考えを聞いて、僕自身もゴールピープルだとその時は思った。

しかし、25歳に至るまでの人生を振り返った時に、自分で決めたものは意外と少ない事に気づいた。地元の大学に進学した事、東京の大学院に進学した事、地元で就職を決めた事、地元での新規事業。これら全ては、信頼している方に、こうするのはどうだろうって提案され、それに自分も乗っかってみたいと思って決断した結果であった。

自分で定義した目標は、新しい世界を知るとともにかなり変わってきている。例えば、僕は、小学生の高学年では仕事はお金を稼ぐためのものとして、早めにお金を稼いで30代で隠居しようと考えていた。生涯賃金が2億円くらいと聞いたので、仕事はコンビニ経営(その時の僕は儲かると思っていた笑)か、国際弁護士になれば20代で稼げると思っていた。その他にも、経営者になるために経営学部へ進学し、国連で働きたいから国際関係学の大学院、平和への可能性を感じて沖縄と言う感じである。これらの目標は自分で決めたと思っていたが、思い返してみると周りの人のこうしてみたらっていう提案、もしくはこれは良くないが最初にあり、それを自分の決断に反映させただけなのかもしれない。

尊敬する方々の多くも、長い付き合いであればあるほど彼らの選択は常に変化していたように感じるし、年齢を重ねるにつれてこれを絶対するんだというような発言は少なくなってきたように思う。これは、自分のやりたい事は時間とともに変化する事を経験から理解し、自分の発言したやりたい事に縛られるよりは柔軟に選択できる余地を残した結果かもしれない。
でも、一方で変わらない想いに向き合い続けている方々はかっこいいし、応援したくなる。彼らには、自然と共感してくれる人や応援してくれる方がついて、それがまた彼らの想いを純化させ、目標に向かい続ける原動力になっている。

個人的な話としては、最近、自分が予期しなかった方面から良き師に出会い、その師から予期しなった役割を提示された。僕は、自分には大きすぎる問いで、時間軸も数十年単位なので不安をかなり感じているが、提案に乗っかってきたこれまでの人生を振り返ると意外となんとかなるのかもしれない。また、今週は、大きな別れもあれば、多くの友人と交友を新たにする機会にも恵まれ、ベストなタイミングで物事は重なるんだと感じた。一度死んで再生に向かっているように感じる。

ゴールポープルとリバーピープルの話に戻るなら、自分の人生のミッション(何を存在意義とするか。僕は自分が痛みを感じる人、課題を元にミッションを考える)、バリュー(価値観:例えば僕は暖かさ、誠実さを大事にしたい)は、割と普遍的に変わらないものだと思う。だいたい、思春期までに形成された人格でミッション、バリューは決まる。ただ、それらのミッションとバリューをどのように形にするかのビジョンは、柔軟であっていいと思う。ビジョンは、見取り図や方向性、戦略を示すものだと思う。ビジョンは、自分も含めた周りの人に影響を与えられるようなものとして考え、それを用いることでミッションに向き合い続け、その際に自分のあり方としてバリューを大切にする。
その意味で、ゴールピープルかリバーピープルかの議論の結論としては、目的(ミッション)を胸に、目標(ビジョン)を見据えながら、柔軟に対応していくしかないと思う。

タイトルに戻るけども、その意味で周りの人がどういうかは気にせず、自分のやりたいことをやるんだっていう意見もあるのだけど、これ以外やりたくないっていうものがないならば、尊敬する人から提示された役割の乗っかるのもありなのかもしれない。少なくとも、その人は僕らのことを理解した上での提案であり、その人は僕らの応援者になってくれるのだから。
結局、なんでもない内容なのだけど、今の自分を納得させるための備忘録として。

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