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75年目の8月6日 【Chihiro】

今から75年前の8月6日午前8時15分、
一発の原子爆弾が広島に投下されました。

いつもと変わらない生活を営んでいた人々の日常を、
1発の原子爆弾によって、一瞬にして奪い、そして、多くの尊いいのちを奪いました。

「75年草木も生えない」といわれた広島は、緑で覆われ、日々との活気で賑わいを見せていますが、そこに住む人々の心身の傷はいまだ癒えることはありません。
75年間、放射線による後遺症に苦しみ続けてこられました。
原爆がもたらせた苦しみは、現在も続いています。

今年の平和宣言では、「連帯」という言葉が多く使われました。
世界中で新型コロナウイルスという脅威に脅かされている今、私たちは性別、国籍、人種など様々な垣根を超え、人と人、国と国とが、手を取り合って「連帯」していくことが求められています。
お互いがお互いを排除し合うのではなく、お互いを認め合うことができれば、「平和」への道が開かれると思います。

被爆者の平均年齢は83歳を超え、今を生きる私たちは、戦争を直接体験された方から体験談を聞くことができる最後の世代だと言われています。
今、私たちにできることは、体験談に目を背けることなく、しっかり向き合うことだと思います。
現在の日常は、過去の歴史の上に成り立っていることを理解し、受け止めていかなければなりません。

日本では「戦後75年」と表現しています。
世界的に見ると「戦後75年」とは言えません。
今、この瞬間も、世界のどこかで戦争が行われているからです。
日本を取り巻く国々では、不穏な動きが続いています。
日本の「戦後100年」、「戦後200年」が続くこと、そして、世界の「戦後」が訪れる未来を思い描き、「戦後」が訪れることを願います。
まず、その第1歩として、私が無関心でいるのではなく、関心をもつことだと思います。
75年目の8月6日を迎えたことをきっかけに、「戦後」とは、「平和」とは何か、それを実現するために自分に何ができるのか、ということを考えたいと思います。

(Chihiro)

#広島 #ヒロシマ #広島平和記念式典 #8月6日 #75年 #平和

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