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生きるために絵は必要

昨夜は色えんぴつで細かい模様を塗りつぶす作業をやってました。

老眼のため、左手に大きな虫眼鏡を持って紙に近づけたり離したりしながら、はみ出さないように、ちょこちょこ塗ってました。ところが、細心の注意を払っていても、はみ出す。集中して塗っていても、飽きる。手元は見えないわ、はみ出すわ、飽きるわで、ほとほと困り果てました。


大横綱・千代の富士は、「体力の限界。気力もなくなり、引退します」と言って引退しました。潔くてかっこいい。

本来なら、従事する対象(たとえば絵など)に体力気力を注ぐのが望ましいのですが、老化によって体力気力が低下してしまうと、体力気力を取り戻すための体力気力が必要となります。(ややこしい)

とはいえ、「よっしゃ!」という掛け声だけで体力気力が充満するはずもないので、腹筋したり、散歩したり、アロマ風呂に入ったり、松岡修造のビデオ見たりするわけです。してないけど。

もうこんな歳になりましたから、絵を描く体力気力を養うために、腹筋や散歩やアロマ風呂や松岡修造などに時間を費やしていたのでは、タイムオーバーになるのは目に見えています。

なので、これからは逆転の発想でいこうと思います。

絵を描くことを目的にするのではなく、体力気力を取り戻すこと自体を目的にするのです。つまり、体力気力を取り戻すために絵を描くのです。好き勝手に絵を描いてるだけで、体力気力が充満。これは都合がいい。

仕事のために、お金のために、売れるために絵を描くのではなく、体力気力を養うために絵を描く。生きていくために体力気力は必要不可欠。その体力気力を生み出す絵もまた不可欠。この三段論法により、生きるために絵は必要!となる(強引か?)

快画はまさにそれ。
楽しく生きるために快画をやろう!

とは言うものの、なかなか一筋縄ではいきませんが、そんな気持ちで攻めていきたいです。


木村タカヒロ日記(2018/3/13)より

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