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「新しい仲間と出会ってご機嫌に暮らす」

人は学んだことで出来ている

身体は食べたもので出来ているし、心は見聞きしたこと、触れた感触など五感の記憶、学ばされたことや学んだことで出来ています。それは、それぞれ固有のものでバラバラなので、同じ時間に同じものを見ていても、感じていることは違って当然です。もちろん、共通感覚を持てるときもあると思いますが、あくまでも概ねの話しであり、詳細は異なると考えた方がいいし、その詳細も人によっては極めて重要であり、軽視できない場合もあるので、共感性を追求するのはあまり合理的とは言えないと思います。
もちろん、丁寧に話し合うことで、認識を大同小異に持っていくことはできます。まさに擦り合わせってやつです。

人は自己認識の壁の中で生きている

家族、友人や同僚などと認識を擦り合わせながら生きているわけですが、その過程で少しづつ壁が外側に拡がったしても、どんな場合においても自己認識の内側で生きてることを理解したほうがいいです。
自己認識の壁の外側で生きるっていうことは、意識を乗っ取られているということですので、AさんとBさんのいる多重人格者におけるAから見るとBが出ている時はAの自己認識の外側で生きていると言えるのかも知れませんが、正直なところ、それを自己認識の壁の外側と言えるのかどうかわかりません。
まあ、そのくらいの話です。

普段の生活ではその分野のプロを求めていこう

普段の生活においては、新しく出会った人であっても、同じような世界で生きている人となら、あるある話なども共有しやすく、思考や価値観が近い可能性が高いので、共感らしきものを得やすいでしょうが、自分が発揮する価値をしっかり受け取ってくれるかどうか?その人が発揮する価値を自分にとって価値あるものとして受け取れるかどうか?つまり、二人の関係性自体が価値を生み出すどうかは、分野レベルでの大きな実力差とお互いにその実力差を認め合えるかどうかにかかっています。なので、自分も何かのプロであることが望ましいですが、自分の得意とする分野以外のプロを求めていくと、その出会いで生まれた関係性が価値を生み出すものになるかも知れませんし、お互いの自己認識の外側を見せ合えるかも知れません。

全く異なる視座視野視点を持つ仲間を求めよう

でも、できれば、全く異なる視座視野視点を持つ仲間と出会って、コミュニケーションすることで、自己認識の外側を感じられる可能性があり、たやすく共感ポイントを見つけられないかも知れませんが、価値の提供や受け取りも含め、非連続成長のトリガーとなるかも知れません。

私のご機嫌の素は「自立」「理屈」「成長」

私が大事にしている「自立」「理屈」「成長」、実は今や「成長」が一番難しいんです。歳を取れば取るほど、肉体は加齢による衰退圧力は益々強くなり、人間関係も放っておけば何も変わらないまま皆一緒に老けていくだけ。不幸自慢病気自慢の老害老人まっしぐらです。
どこまでも、自己認識の壁の外側を意識し、自分の世界に閉じこもることなく外に出て、視座視野視点の異なる人々との交流を求め、大切にしていきたいと思います。

やっぱり、大事にしている事について書くと熱がこもってしまいますね。

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