Con che pietà (どうやって伝えよう)

※この記事はミュージカル ロミオ&ジュリエットのイタリア演出版「Romeo e Giulietta ama e cambia il mondo」のDVD全編和訳とその感想、公演の情報やセット・衣裳などについてまとめたマガジンの一部です。シーンごとに記事を分け、投稿が古い記事から順番になっています。
※イタリア語の歌詞、台詞は掲載しておりません。記事前半はシーンの日本語和訳、後半はシーンの感想、考察で構成しています。


♪Con che pietà (どうやって伝えよう)

〔モンタギュー男1〕
ジュリエッタが死んだ!

〔ベンヴォーリオ〕
この場所で 俺は何者でもない
幼馴染の他に何も持たず
ダンスと音楽を愛していた
どうしたらいい

俺たちはこんなにも遠く 離れ離れになってしまった
死が今 この街を覆う
糸を紡ぐ蜘蛛のように

俺たちはそれだけでヒーローだった
唇に人生を乗せた
数えきれない夜を 彼は泣き明かすのか?
ジュリエッタは二度と目を覚まさない

それを ロメオに 言わなければ
どんな憐れみを持って 彼に言おう
どんな心でいれば 彼に打ち明けられる?
ジュリエッタは死んでしまった
彼女と共に生きる人生は?
子供の時代はもう去ってしまった
彼にはもう俺との繋がりしか無い

分かるんだ
彼を殺してしまう
どう慰めてやればいい?

理解して生きている
俺には両親がいない
友人も残らず失って
俺は再び孤児になる

もし メルクーツィオが歌ってくれたなら
詩を聞かせてくれたなら
幸福にもなれるのに
彼はもう決して 歌ってはくれない
もうこの地上に音楽は無い

俺たちは世界の王だった
俺はこの傷の深い裂け目へと沈んでしまう
あの頃へはもう戻れない
ジュリエッタはもう二度と目を覚まさない

そしてロメオに 言わなければ
どんな憐れみを持って 彼に言おう
どうやって励ます?彼にどう言えばいい?

ジュリエッタはもういない
彼は今この地上に独りぼっちだ
月が無い 海もなく神もいない
この別れだけが満ちてゆく

できない 無理だ
彼を殺してしまう!
どんな憐れみを持って 彼に言おう
ジュリエッタは死んでしまった
胸が張り裂ける
どう言えばいい

■シーンの感想と考察■

冒頭から舞台上にいるのに、ここに来るまで大きなメインナンバーもなかったベンヴォーリオの色々なことが一気に分かる曲…です。(世界の王はベンヴォーリオがセンターだけどソロやリードは3人で分けてるので)

まず、全体から感じられるのは彼の「他人を思える優しさ」というところ。これまでの芝居がここで答え合わせというか、「なるほどな」となります。親友を亡くし、罪を犯し、ジュリエッタをも失ったロメオの心の痛みを思い「数えきれないほどの夜を彼(ロメオ)は泣き明かすのだろうか」「(このことを伝えれば俺は)彼を殺してしまう」と歌う箇所などは自分よりも友人を大切にする彼の性格が出ています。

また、冒頭の「俺はここ(ヴェローナ)で何者でもない」というのはロメオやメルクーツィオのように良い家柄の者や跡取りでもなく、個性が強いわけでもない。テバルドは自分と同じ「良家の甥」の立場だけれど向こうは実子が娘のジュリエッタのみなので(不遇だけれど)立場は大きい。自分は何者でもない。ということでしょう。
しかし、彼は満たされていた。幸福であった。それは大切な友人たちがいて、美しい音楽や詩があったから。この「音楽や詩」は単にベンヴォーリオが好むというだけでなく、メルクーツィオや、ロメオたちと奏でるものという意味であるのではないかと思います。♪I re del mondo(世界の王)でベンヴォーリオがセンターなのも、ここに繋がっているかも。それなのに、彼(メルクーツィオ)はもういない。地上に音楽は消えた。ということなのだと思います。

サビでタイトルのCon che pietaは「どんな憐れみと共に」という意味ですが、これの後に「彼に言おう」と続くのでつまり「どんなふうに彼(ロメオ)を慰めてやればいい」ということになります。日本版の「どうやって伝えよう」とほぼ同じではありますが、「憐れみと共に」という部分が入ると事実を伝えたうえでロメオの傷をどう緩和させてやれるかを気遣っている意味が強まります。

このシーンのベンヴォーリオは大きく傷つき動揺や迷いが感じられます。決闘以前のシーンでは親友ら3人でいても、どこかぽやっとしたロメオと予測不能のメルクーツィオをまとめるしっかり者の印象がありますが、そんな彼はメルクーツィオの死を境に崩れてしまいます。
他の国のバージョンと比べても、前半の「知的なしっかり者」の弱さがこの曲で大きく出ているのがイタリア版のベンヴォーリオの特徴の1つかなと思います。その弱さは言い換えれば優しさでもあり、不幸な身の上でも気丈で幸福でいられた彼の強さを支えていた親友たちの存在の大きさを感じることができます。
日本版の歌詞は「この俺が」という部分が繰り返されるためか使命感を強く感じ、「俺」が強調されて聞こえます。その前に「狂気」もベンヴォーリオが歌うことから前半はチャラチャラしていた青年が強くなる曲に思えるのですが、イタリア版だと「どうしよう」「できない」「彼を殺してしまう」と不安要素が大きく出て、ベンヴォーリオというキャラクターの描き方がかなり違うことが分かります。こちらは「俺」よりも「彼」が強く出ている印象です。私はどっちも大好きです。(日本版と似たタイプですがウィーン版のベンヴォーリオも前半はふざけてばかりな子が後半強く頼もしくなるのが大変魅力的でかっこいいです。そしてロンドン版(英語版)のこの曲は「I can't do this」というタイトルなのですがお察しの通りイタリア版と近いベンヴォーリオの印象です。ロンドン版どうやって伝えよう、大変素敵なので良ければ聴いてみてください。)

このシーンの振り付けもまた、大変印象深いです。おそらくキーワードは「繰り返し」だと思うのですが、ベンヴォーリオが仲間の1人(金髪の青年、1番目立った場所で踊ることが多く男性キャストの中で金髪が彼とメルクーツィオの2人だけのため、原作に名前が出てくるメルクーツィオの弟ヴァレンティーノ(ヴァレンタイン)ではないかとひっそり想像しています)からジュリエッタの死を知らされて倒れかかる振りが何度か繰り返し出てきます。
また、ダンサーたちが動かすアーチ形の中道具も、ベンヴォーリオがマントヴァへ向かって走る景色を表すだけでなく、同じものがずっと動くこと、更に円を描くようにぐるぐるとステージ上を周ることからベンヴォーリオの思考、「どうしたらいい」とぐるぐる考え続け迷っている様子が表されていると感じます。この動きだけだったら気付かなかったかもしれませんが、耳打ちをされて倒れかける印象的な動きが繰り返されることで伝わりやすくなっているのは見事だなぁと感じます。




※注意事項(当note内共通)

・イタリア版ロミオ&ジュリエットのカンパニー、関係者の方々とは一切関係ありません。当noteの内容は1ファンによる訳であり、感想、スケッチですので公式の見解ではありません。

・私のイタリア語は超入門レベルです。1年半かけてなんとか訳しましたが、拙いものだと思います。間違いもあるかと思いますのでその点ご注意ください。

・当noteに掲載されたイタリア版のミュージカルナンバーの日本語訳のテキストや衣裳イラスト、平面図、3D画像などは筆者による訳でありイラスト作品ですので無断転載はご遠慮ください。

・それぞれの記事は公開後も随時内容を追加、修正などしていきます。ご了承ください。(テキストもイラストも時々修正・加筆されてる可能性があるので思い出したらまた見に来てくださると嬉しいです)

・記事中ではカンパニースタッフ、キャストの皆様のお名前を、イタリア語表記・カタカナ表記に関わらず敬称を略させていただいています。ご了承ください。

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