冒頭〜Verona(ヴェローナ)

※この記事はミュージカル ロミオ&ジュリエットのイタリア演出版「Romeo e Giulietta ama e cambia il mondo」のDVD全編和訳とその感想、公演の情報やセット・衣裳などについてまとめたマガジンの一部です。シーンごとに記事を分け、投稿が古い記事から順番になっています。
※イタリア語の歌詞、台詞は掲載しておりません。記事前半はシーンの日本語和訳、後半はシーンの感想、考察で構成しています。


プロローグ(Ragazzi che alle grida oppongono sospiri)

ヴェローナの その中心に
歴史を刻む 劇場がある
忘れ去られた憎しみの痕
絶え間なく 2つの名家を蝕んだ
一方はモンテッキ もう一方はカプレッティ
宿命の血筋から咲いた2輪の花
叫び 敵対し 苦悩する子供らの
星々が示す その行く末を終わりまで
大地にこう刻みながら
「世界を愛し 世界を変えよ」

Odio la pace

〔ベンヴォーリオ〕
待て!待て! やめるんだ!
喧嘩をやめろ!

〔テバルド〕
しかし どうやって?
下っ端どもの喧嘩に巻き込まれようって気か?
ベンヴォーリオ!
こちらを見ろ お前の「死」だ

〔ベンヴォーリオ〕(CDのみ)
テバルド!

〔テバルド〕
再開だ!
抜き身かざして平和を説くのか
平和だと?俺は憎む
この地獄も
お前もだベンヴォーリオ
お前らモンテッキも残らず憎い!
来いよ 腰抜け野郎
さあ!さあ!
さあ来い!

♪Verona(ヴェローナ)

〔大公〕
何を見ても驚かぬか?
卑しい悪徳 美徳はどうだ?
雷に心を打たれることはないのか?
ここはヴェローナ

割れんばかりに手を叩き 喝采をあげるか?
彼らが書き出す歌の数々
お前たちにも聞こえるだろう
ここはヴェローナ

そうだ ここだって城壁の外と同じ
より悪くもない より良い訳でもない
今夜お前たちはこの場所にいる
それはきっと運命だろう

ここはヴェローナ
美しきヴェローナ
憎しみと狂気が治めてる(※1)
皆ここを立ち去らなくてはならない
ここに王の居場所など無く
2つの家がこの街の全て
どちらに着くかは選べない
定めなのだ 我々にも等しく

ここはヴェローナ
美しきヴェローナ
官能的で 悲劇的な街
その血が鏡となり己を写す(※2)
道には花咲き乱れ
女たちが詩を紡ぐ
しかしその目に映る天国は
我々の内にある地獄
ここはヴェローナ

安らぎのもとで眠るなら
甘い夢に浸るも良いが
ここじゃ夜が許さない
ここはヴェローナ

神々からの祝福を受け
我々は7つの命を賜った
ここじゃ誰もが王気取り(※3)
ここはヴェローナ

そうだ ここも外の世界と変わらない
より悪くもない より良い訳でもない
今夜お前たちはこの場所にいる
それはきっと運命だろう

ここはヴェローナ
美しきヴェローナ
憎しみと狂気が治めてる
皆ここを立ち去らなくてはならない
ここに王の為の居場所など無く
2つの家がこの街の全て
どちらに着くかは選べない
定めなのだ 我々にも等しく

ここはヴェローナ
美しきヴェローナ
悲惨で 謎めいた街
泣き声の中で
道には花咲き乱れ
女たちが詩を紡ぐ
その目に映る微笑みは
我々の内にいる悪魔

ああ 美しきヴェローナよ
官能的で 悲劇的な街
己の血の中に映す姿よ
道には花咲き乱れ
女たちが詩を紡ぐ
しかし その目に映る天国は
我々の内にある地獄

ヴェローナ
ヴェローナ
お前たちはヴェローナにいる


※1  直訳は「ここの女王(と王)は憎しみと狂気」
※2  直訳は「自らの血の中に自分が映っている」
※3 直訳は「ここじゃ誰もが自分の王冠を被っている」。振り付けも王冠を被るポーズ。

大公の言葉(La sentenza del Principe)

〔大公〕
皆に告ぐ。
お前たちの盲目な怒りの炎を、己の血管から吹き出す鮮血で消そうというのか。
貶められたお前たちの大公の言葉を聞け!
もし今一度、このように我々の地をかき乱す事があれば
平和を乱す罪、その命を持って償ってもらうことになるぞ。

全員立ち去れ!
カプレッティ、私と共に来い。
そしてモンテッキ、今晩ヴィッラフランカの城へ来るように。
そこで私の判決を知らせる。
もう一度言う。皆立ち去れ
次は死だ!

■シーンの感想と考察■

■プロローグ(Ragazzi che alle grida oppongono sospiri)■
幕あき前、舞台上はパネルが閉まりスクリーンのようになっていて、そこに巨大な、白紙の本が開かれている映像が流れるところから始まります。
やがてペン先が紙を擦る音とともに白紙のページに「Romeo e Giulietta(ロミオとジュリエット)」とタイトルが書かれ、ページが捲られてスタートします。

暗い舞台上に絵を描くように白いラインがヴェローナの町並みをシルエットで描いてゆき、プロローグ(Ragazzi che alle grida oppongono sospiri)のナレーションが入ります。
劇場があるのがヴェローナなので描かれるシルエットは劇場に来るまでに観客も目にしたものでしょうし、野外円形闘技場を使用した劇場なので振り返ればヴェローナの街、ヴェローナの空があることも、この演出とマッチしていて美しいです。
"Ragazzi che alle grida oppongono sospiri"というのはCD LIVE版CDのトラック名なのでこう呼んでいますが、役割としてはプロローグということで良いと思います。ナレーションの中にある「叫び 敵対し 苦悩する子供ら」の部分を取ったタイトルです。

このプロローグ、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の前口上とは違っています。2つの名家について言及している部分など似ている箇所もありますが、この作品用に大きくアレンジされています。
まず「ヴェローナの中心の歴史ある劇場」というのは、まさにこの上演が行われているArena di Verona(アレーナ・ディ・ヴェローナ)のこと。この劇場(円形闘技場)は1世紀からあるので、本当にロミオとジュリエットがいたとして彼らの生きた14世紀頃には既に遺跡級というものです。それが今でも現役だなんて凄すぎます。

「忘れ去られた憎しみの痕」から「星々が示す その行く末を終わりまで」は、その物語を今からここで語ってみせましょうという内容ですが、まず「忘れ去られた」という表現はシェイクスピアにはありません。
「新たに噴き出すいにしえの遺恨」というフレーズが似ているのですが、「忘れ去られた」というフレーズについて考えてみると、オープニングの「本」と「ヴェローナの街を描く」演出がヒントになるように思います。
世界一有名な恋愛悲劇であるロミオとジュリエット。それも舞台となっているイタリアで、この物語が「忘れ去られ」ているとはとても思えません。むしろ耳にタコができるほど聞かされてウンザリするくらいな人の方が多そうな気がします。ですので、ここで指される「忘れ」られているものはこの物語全体というよりも、その中の「憎しみ」の部分であると仮定します。そして「白紙の本にロミオとジュリエットを綴る」という幕あきから考えられるのは「悲しい恋人たちの物語として皆が飽きるほど聞いてきた物語の、忘れられてしまった部分を、もう一度この場所で見せましょう。ここで改めて書き直し、描きなおしてみましょう。」というテーマなのではないかということです。ヴェローナの街を輪郭をなぞって「描く」ように使ったのも。

そして「大地に刻む」という表現も本に綴るのと同じ「文字を書く」イメージを抱かせます。大地というのはロミオとジュリエットの舞台であるこのヴェローナの地でありイタリアの地であり、今日あなた(観客)がこの物語と対峙するその場所であり、そしてこの石と土でできた古代円形闘技場も「大地」から連想されます。
刻む言葉は「Ama e cambia il mondo」世界を愛し、世界を変えよ。この作品のサブタイトルでもあり、テーマソングと同じタイトルです。(このテーマソングはフランス版でエメとされるのと同じ曲)

(ちなみに、このナレーションは本編が始まる前なので「誰の声」というわけではないと思うのですが、参考までに書くとナレーションはカプレッティ卿役のVittorio Matteucci、テバルド役のGianluca Merolli、メルクーツィオ役のLuca Giacomelli Ferrariniと、ヴェローナ大公役のLeonardo di Minnoが語っています。
「一方はモンテッキ」はルカとレオナルド、「もう一方はカプレッティ」はヴィットーリオとジャンルカで分けていて、所属する家に合って…いないんですよね。レオナルドは大公なので中立の立場、ルカもモンテッキ側ではありますが家柄としては大公家血筋です。メインの役者の中からこの台詞に合った役かつ中堅以上の実力派で固めてきたのかなと、勝手に推測しています。)

■Odio la pace■
プロローグが終わるとスクリーンだった紗幕の向こうに並んだ両家のダンサーたちが闇の中にぼんやりと透けて見えてから幕が振り落とされ(これがかっこいい!)、冒頭の喧嘩のシーンへと入っていきます。小道具の剣(に見立てた棒)の使い方が上手く大変迫力あるダンスシーン。演出家のジュリアーノはダンサーで振付師なうえにステージ上のダンス以外のアートにも造詣が深く、この作品のメインの振り付けは彼の姉であるヴェロニカ。そんなペパリーニ姉弟のこの作品。全編通して身体表現から目が離せません。

高いところから喧嘩を眺めているのはテバルド(ティボルト)で、喧嘩を止めに割って入ってくるのがベンヴォーリオ。シェイクスピアの原作とほぼ同じやりとりがされます。ここで示されるのはまず両家の喧嘩が絶えない様子と、テバルドとベンヴォーリオの2人の性格の違い。
テバルドは台詞からも分かるように憎しみに染まりきり、喧嘩や争いを求めるタイプです。顔に施されたスカーフェイス風のペイントからも、彼が荒くれ者であることが一目で分かるようになっています。何もかもを憎んでいるテバルドの台詞、ジャンルカの言い回しが絶妙で、初見ではこちらを見下した悪役が怒っているように、2回目以降では何かを責めるような必死さにに彼の苦しさを感じて胸にきます…。
また、カプレッティのダンサーの中に顔を白く塗りテバルドと対の目にペイントを施しているダンサーが1人いますが、彼はIl gatto(猫)という役で、猫の王様と呼ばれるテバルドの猫です。彼も注目してみると大変魅力的な役です。
対してベンヴォーリオは、喧嘩を止めに入ったこと、テバルドの最初の挑発に対し(喧嘩していた1人から取り上げて持っていた)剣を投げ捨てることから喧嘩や争いを好まないキャラクター。テバルドとは反対の平和主義者であることが分かります。

そんなベンヴォーリオがテバルドからさらに挑発を重ねられてついに拳を振り上げたところで大公がやってきたことを示す鐘の音がして両家の若者たちは散ってゆき♪Verona(ヴェローナ)へと繋がっていきます。

■♪Verona■
大公エスカラスが登場すると、ヴェローナの人々(誰もがモンテッキかカプレッティのどちらかに属している)も入ってきてナンバーが始まります。イタリア版の惜しいところはメインのキャストが全然踊らないところ!この先のシーンでもそうなのですが、ダンスナンバーになるとスッと引きます。芝居してて踊ってなかったりとか。世界の王と決闘でかろうじてメインキャストにも振り付けがあるくらい…。ヴェローナは仕方なくても舞踏会でジュリエッタと踊るテバルドとかが見たかった…(フランス版で2人が仲良く踊っていて大変愛らしいのです)。ヴェローナの曲中で人物紹介と少年たちのソロが入らないのはこっちのバージョンが好みです。大公殿下は持ち歌が少ないので丸々歌い上げてほしいのと、♪Il re del mondo(世界の王)の記事で書いていますがマーキューシオを世界の王のシーンで初めて出す(原作でも途中からの登場)とすると、ベンヴォーリオが最初から最後まで全てを見ていた、そして若者の中で1人彼が生き残るというのが強調されて良いなと思うのです。この両家が対立するシーンでベンヴォーリオにソロがあると平和主義者のはずの彼が好戦的に見えてしまってキャラクターがブレるなとも思います。

ヴェローナの人々の振り付けはどこかカクカクと関節を不自然に折り曲げたもので、大公が手に持つ操り人形から彼らが人形に見立てられていることが分かります。しかし、それでは大公が絶対権力を持って民を操る独裁者かと言うと、彼の玉座も配管に繋がれたデザインになっていて、どうやら彼もまた空虚な人形でありそうだとなります。また背景の映像はコンクリートの壁(セットのメインはこの時奥にある3枚の巨大な壁で、これがシーンによって動いていきます)にヴェローナの紋章が描かれていますが、絵の具が垂れたようにデザインされ、その絵の具の垂れ具合がどうにも「ヴェローナが血を流している」という風に見えるのです。
血を流し苦しみながら「花の都」と呼ばれ美しい街ヴェローナ。そこでは王(大公)は形だけで無力。街は2つの家の勢力で分断され争い絶えず、美しい街は自分たちによって自分たちを苦しめる地獄となっています。

そしてこれは、ヴェローナだけの話ではない。
「そうだ ここも外の世界と変わらない
より悪くもない より良い訳でもない」
実際、舞台となった当時のイタリアは小国の集まりで、「ロミオとジュリエット」に描かれるような国内での勢力争いや、国同士での争いが絶えなかったといいます。この「地獄」は異常ではない。中で争わなくても外で争うだけ。そんな「狂気」が蔓延する社会。
しかし「今夜お前たちはこの場所にいる」のです。そして「それはきっと運命だろう」。ここで言うお前たちとはヴェローナの人々というよりも、今夜ヴェローナにたどり着いた旅人、今夜この劇場に居合わせてしまった私たち(観客)のことであります。
そして「ここ」と劇場を指すのは観客を「目撃者」として物語に直面する当事者として扱う効果があると感じます。聞き飽きたラブロマンスで終わらせない。ここでこれから起こることをその目で見よ。
「今夜お前たちはこの場所にいる
それはきっと運命だろう」
そしてそれが映像になってからで画面越しであろうと、このシーンを前にした私たちのいる今この場所が「ここ」なのです。この作品を見ようと思ったこと。画面の前に座っていること。それもまたきっと運命。

この曲をヴェローナの真ん中で、ヴェローナの空の下風の元で響かせるのは、否応にもこの話を見る者と行う者、そしてこの場所に「刻み込む」力があると感じます。
観客の中には昼間ヴェローナ市街を観光して大公の台詞にある城やカプレッティ家の霊廟、ジュリエッタのバルコニーを訪れた人もいるでしょう。そんな「この劇空間を取り巻く環境と人々の関係」を想像すると鳥肌が立ってきます。またヴェローナでやればいいのに…。この初演の後はイタリア中の色々な劇場をまわっているのですが、ヴェローナはこの最初の2日間のみなんですよね…これをヴェローナで観られたら一生忘れられない体験になるだろうな…と思いを馳せます。

■大公の言葉(La sentenza del Principe)■
ほぼ原作通りです。「ヴィッラ・フランカの城」はシェイクスピアの英語だと「フリータウン」とされています。実際にヴェローナのヴィッラ・フランカという地域にあるスカリジェロ城というお城のことで、スカリジェロ城は13~14世紀にヴェローナを治めたデッラスカラ家のお城のこと。デッラスカラ家の名は大公の「エスカラス」という名の語源です。つまり「エスカラス大公」というのはファミリーネーム呼びなので「徳川様」みたいな感じですかね…。
「貶められたお前たちの大公の言葉を」という言い回しからも、彼が王として舐められている、長く続く争いを止められず無力な王であることが伺えます。
大公殿下のお衣裳・ヘアメイクもとても素敵なのですが、これについては2幕冒頭の♪Il potere(この力)の記事で書いていますのでここでは省かせていただきます。暗い紫色のマント、立体的に浮き上がった模様が入っていて重厚でかっこよくて大好きです。

(ちなみに超豆知識ですが大公の親戚であるメルクーツィオを演じるルカはヴェローナの、しかもヴィッラ・フランカ周辺の出身らしいですよ。すごい偶然。ルカのSNSを覗くと時々ヴェローナの写真があがっています。)



※注意事項(当note内共通)

・イタリア版ロミオ&ジュリエットのカンパニー、関係者の方々とは一切関係ありません。当noteの内容は1ファンによる訳であり、感想、スケッチですので公式の見解ではありません。

・私のイタリア語は超入門レベルです。1年半かけてなんとか訳しましたが、拙いものだと思います。間違いもあるかと思いますのでその点ご注意ください。

・当noteに掲載されたイタリア版のミュージカルナンバーの日本語訳のテキストや衣裳イラスト、平面図、3D画像などは筆者による訳でありイラスト作品ですので無断転載はご遠慮ください。

・それぞれの記事は公開後も随時内容を追加、修正などしていきます。ご了承ください。(テキストもイラストも時々修正・加筆されてる可能性があるので思い出したらまた見に来てくださると嬉しいです)

・記事中ではカンパニースタッフ、キャストの皆様のお名前を、イタリア語表記・カタカナ表記に関わらず敬称を略させていただいています。ご了承ください。

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