Avere te (娘よ)

※この記事はミュージカル ロミオ&ジュリエットのイタリア演出版「Romeo e Giulietta ama e cambia il mondo」のDVD全編和訳とその感想、公演の情報やセット・衣裳などについてまとめたマガジンの一部です。シーンごとに記事を分け、投稿が古い記事から順番になっています。
※イタリア語の歌詞、台詞は掲載しておりません。記事前半はシーンの日本語和訳、後半はシーンの感想、考察で構成しています。


♪Avere te (娘よ)

〔カプレッティ卿〕
お前がいる
愛しい娘
もう1人の私
もはや儚い幻か
お前のその眼
私のものと同じ
もう1日が過ぎれば
お前は大人の女

私の可愛い娘
白いゼラニウム
神からの贈り物か
悪魔からか

お前がいる
それは一つの過ち
どこに 誰に罪を問う
傷ついたその人に
ここに残っておくれ

私には 神よりも
お前が大切だから
私の血が
お前の中で流れ続けている
お前は私の
この20年の結晶

私はお前の恋人を呪うだろう
男の中に潜む獣を
殺してしまうだろう
もしも誰かが お前を
傷つけていると知れば
私の愛しい娘
お前が私に教えたのだ
女とは こんなにも儚い
ここに残っておくれ

誰かが私を殺す
お前を見つめた者
企みをもって
欲望をもって
誰かが お前の心の中の
私のいた場所に立ち
そして言うのだ
「旦那様 さようなら」

もうこれからは
何も話すまい
私たちについて
お前を忘れよう
何も聞くまい
おかしくなりそうだ

お前は望むのだろう
私のいない場所を
それでもお前が
落ちることがあるなら
私も共に落ちよう
留まってくれ
もう少しだけここに
私と共に

これは今 父としての
お前への願い
お前の眼の中 泣いている 私の瞳
誰も引き裂けはしない
神が私たちを繋いだのだから

お前がいる
私の可愛い娘
お前のその眼
私のものと同じ

お前がいる
それは一つの過ち
どこに 誰に罪を問う
傷ついたその人に

愛しい娘
ここに残っておくれ

■シーンの感想と考察■

曲中2度使われる、自分の目と娘の目が同じであるという表現は♪Il giorno del sì(涙の谷)でのカプレッティ夫人と同じですね。で、どっちに似てるんだよ!とも思いますが、おそらく夫人の方は「私と同じ目つきをしている」という意味で、カプレッティ卿の方は瞳の色、瞼の形など造形の共通点を指しているのではないかなと思います。
実の娘だといいなあ。夫人の歌からは「他の男を愛した」の「愛した」がどの程度のものなのか触れられていないので、ここは希望を持ちたいです。

そして娘を花に例える表現はカプレッティ卿が繰り返してきたもので、1幕の♪La domanda di matrimonio(結婚のすすめ)では「咲いたばかりの花」2幕♪Vedrai(明日には式を)では「黄水仙」そしてこの曲では「白いゼラニウム」を例に挙げています。
白いゼラニウムの花言葉があまり良くなくてこの曲の意味に沿わないなと思ってイタリア語で調べたところ、イタリアのページでゼラニウムの花言葉を紹介しているところでは白のゼラニウムが載っていませんでした。ので、ゼラニウムと白を分けて考えてみます。ゼラニウムは悪霊を祓う(虫除けになる)効果があるとされ、イタリアでは家々の窓辺を飾る定番の花です。家の窓辺に咲く花。そして白は清らかさを示すと考えればジュリエッタに当てはまるかな。というところに落ち着きました。黄色のスイセンは「愛を与えて」という花言葉もしくはスイセンを「幸運のお守り」と捉えることもできます。そうしたら黄色は活発さや光り輝くものを意味することになる…かな……。
一応このように解釈しましたが、どちらもいまいち納得しきっていないので引き続き勉強したいと思います。

この曲の印象的なフレーズはいくつかありますが、まず
「お前がいる
それは一つの過ち
どこに 誰に罪を問う
傷ついたその人に」
という箇所でしょう。この「傷ついたその人」というのはカプレッティ夫人を指すと考えられます。過ちというのは彼女の浮気のこと。卿はそれに気づいていて、そしてジュリエッタが自分の子ではないかもしれないという疑念があることを示していると捉えられます。
しかし自分は愛のない結婚で彼女を傷つけた。彼女だけを責めることはできない。ということだと思います。テバルドの死に際してやジュリエッタが仮死状態になった朝の様子からも、今は夫人のことを愛しているのだなと感じられますね。

次に「ここに残っておくれ」という娘との別れを嘆く父親としての弱々しいまでの言葉。終盤の「神が私たちを繋いだのだから」というフレーズも大変胸に刺さる良い詞だと思います。たとえ実の子でなくとも、いつか知らない男と共に家を出ても、私はお前の父親でありお前は私の愛しい娘であるという表現。「お前が落ちることがあるなら私も共に落ちよう」というフレーズも、もしロメオとの駆け落ちが成功して、後から謝ったら場合によっては娘が幸せなら許してくれそうです。

そして娘の中の自分のいた場所を奪ってゆくであろう男への嫉妬と不安。娘は自分を嫌っているだろうと感じていることの吐露。圧巻の歌唱で聴かせてくれます。
(彼はノートルダム・ド・パリのイタリア版公演でフロロー役のオリジナルキャストなので気になった方はそちらもチェック⭐︎)

イタリア版のカプレッティ卿(キャピュレット)は日本版(他のバージョンの設定を詳しく知らないのでとりあえず日本版とします)と違い、女や酒、ギャンブルに溺れているといった、他人と比べても分かりやすい欠落はないのですが、彼の悪い部分は全て、「おそらくその時代、その社会の家父長がほぼ等しく持っていたであろう」性質であることが「彼」個人の欠陥としてでなく、私たちの周りの「誰か」にも当てはまりそうな生々しさのある毒です。暴力、抑圧、支配、家父長制根強いヴェローナで彼はお金持ちで、娘思いでユーモアもあり、妻の罪も許している。しかし、そんな彼を無意識のレベルで蝕んでいるのが前のシーンで見られたような「当時のありふれた父親」としての恐ろしい部分になっています。
この物語を特定の場所と人の話でなく、シェイクスピアから400年変わらない自分たちの物語として描くのに効果的なキャラクターになっていると思います。

そしてそして、このシーンの絵作り、最高ですね…。ロメオとジュリエッタを隔ててきた高く厚い「壁」のパネル。このシーンでは父と娘を隔てています。その壁越しにお互いが傷付いている。そしてお互いがお互いを愛している。互いに伸ばされ触れ合った手は、しかし離されてしまうという見せ方、あまりにもダイレクトであるのに美しく切なく、この作品中の美しいステージングランキング入り間違いなしです。今考えたランキングですが。でもベスト5は確実だと思います。




※注意事項(当note内共通)

・イタリア版ロミオ&ジュリエットのカンパニー、関係者の方々とは一切関係ありません。当noteの内容は1ファンによる訳であり、感想、スケッチですので公式の見解ではありません。

・私のイタリア語は超入門レベルです。1年半かけてなんとか訳しましたが、拙いものだと思います。間違いもあるかと思いますのでその点ご注意ください。

・当noteに掲載されたイタリア版のミュージカルナンバーの日本語訳のテキストや衣裳イラスト、平面図、3D画像などは筆者による訳でありイラスト作品ですので無断転載はご遠慮ください。

・それぞれの記事は公開後も随時内容を追加、修正などしていきます。ご了承ください。(テキストもイラストも時々修正・加筆されてる可能性があるので思い出したらまた見に来てくださると嬉しいです)

・記事中ではカンパニースタッフ、キャストの皆様のお名前を、イタリア語表記・カタカナ表記に関わらず敬称を略させていただいています。ご了承ください。

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