Vedrai(明日には式を)

※この記事はミュージカル ロミオ&ジュリエットのイタリア演出版「Romeo e Giulietta ama e cambia il mondo」のDVD全編和訳とその感想、公演の情報やセット・衣裳などについてまとめたマガジンの一部です。シーンごとに記事を分け、投稿が古い記事から順番になっています。
※イタリア語の歌詞、台詞は掲載しておりません。記事前半はシーンの日本語和訳、後半はシーンの感想、考察で構成しています。


♪Vedrai(明日には式を)

〔カプレッティ卿〕
そうとも 私の愛娘と 君は結婚する
そうとも 私の黄水仙 君のものになる
あの子のため 決めたのだ
もう泣かせぬために
あの子の甘い心も これからは君のもの

君のもの
君のもの
君のもの
君のものになる
あの子の手を取りなさい

〔カプレッティ夫人〕
ジュリエッタ パパの可愛い子
ジュリエッタ でも明日からは大人の女よ
神様が きっとお前にくださるわ
お前に可愛い男の子を
さあ 彼はお前のための殿方
パリデと生きるのよ

お前にもすぐに分かる
分かる
分かるわ
彼と一つになるの

〔カプレッティ卿〕
女には選べない

〔カプレッティ夫人〕
そして男が全てを決めるのよ でも

〔カプレッティ夫妻〕
でも お前が自分を信じなくてどうする
お前の幸せが 今訪れるかもしれないのに

すぐに分かる
分かる
分かる
お前は彼と一つになるのだ

〔ジュリエッタ〕《大人たち》
どうして(すぐに分かる)
ばあや 私は彼を愛していないのに(彼と一つに)
どうして(すぐに分かる)
どうして「はい」と言わなければならないの
(お前にも すぐに分かる)
それならば 今死んだ方がマシよ
(冒涜するな!)

〔ジュリエッタ〕
でもどうしてパリデなの
彼は 隣に望んだその人じゃない

〔大人たち〕
お前にもすぐに分かる
分かる
分かる
お前は彼と一つになるのだ

〔乳母〕
神様 何と申し上げられましょう
お父様に 反抗なさる
お分かりでしょう 拒むことはできない
パリデに手を差し伸べるのです

〔大人たち〕
すぐに分かる
分かる
分かる
お前は彼と一つになるのだ
彼と一つに
お前は彼と一つに

〔ジュリエッタ〕
お許しを!
近寄らないで!
こんなこと!
お許しを!

〔大人たち〕
父親の言う通りにするのだ!

〔ジュリエッタ〕
しないわ!

〔大人たち〕
お前にも 今に分かる
彼と一つに

Vi supplico in ginocchio 

〔ジュリエッタ〕
許して…お願い
お父様、膝を折ってお願いします。
どうかお怒りにならずに、
一言だけ聞いてください。

〔カプレッティ卿〕
首でも括ってしまえ!このじゃじゃ馬が!
悪党!親不孝者!
いいか よく聞け
木曜に教会へ行け!
行かぬなら、二度と私に顔を見せるな!

〔ジュリエッタ〕
お願いです!たった一言だけ

〔カプレッティ卿〕
拳が疼く!
何も言うな!反論するな!返事もするな!
今となっては、たった1人のこの娘でも多すぎたな!
お前を授かったのも、これでは呪いだ!

〔乳母〕
旦那様、そのようにお叱りになってはいけません!

〔カプレッティ卿〕
口を出すな!
お喋りなら仲間とやれ!出て行け!

〔乳母〕
間違った事は言っておりません!

〔カプレッティ卿〕
黙れ!
馬鹿め、このお喋りが!出て行け!
この場にお前など必要ない!

■シーンの感想と考察■

日本版とは全然違うんですが、全然違った恐ろしさのある曲です。
まずカプレッティ卿が結婚を強行させようとしているのは、パリスにロメオのことがバレないうちに結婚させて金ヅルを逃さないため、ではなく純粋に娘を思ってのことで、夫妻はロメオとの結婚は知らないと思われます。従兄弟(テバルド)の死に泣きくれている娘のために、という流れで、これは原作通りです。

さてイタリア版の恐ろしさ、というか気味の悪さですが、まずカプレッティ夫人の
「ジュリエッタ パパの可愛い子
ジュリエッタ でも明日からは大人の女よ
神様が きっとお前にくださるわ
お前に可愛い男の子を」
という部分。bambinoは男児、もしくは幼い子供を意味しますが、ここでは語感のバランスと、「一族の跡継ぎになる子供を産むこと」が女の使命として語られていると捉えたため「男の子」と訳させていただきました。
更に、サビで繰り返される「お前は彼(パリデ)と一つになるのだ」という部分。「結婚するのだ」でも「彼の妻になるのだ」でもなく「一つになる」という表現。これは夜の営みを促す言葉選びでしょうし、ここでも繰り返し「子供を産め」という強迫観念が色濃く見えています。結婚して幸せになりなさい、という以上に、結婚して早く彼と肉体的に繋がりなさいというフレーズになっているのです。ジュリエッタからしたら恐怖でしかないですよね。神の御前でロメオとの永遠の愛を誓ったばかりなのに罪を犯すことにもなります。

そして、この歌ではジュリエッタの大きな成長が、物語序盤から繰り返し示されてきた「はい」と答えるしかない子供たち女たちのイメージを使って表されます。ここで初めてジュリエッタは「どうして「はい」と言わなければならないの」と疑問を両親に投げつけます。そして曲の最後で「父親の言う通りにするのだ」という命令に「しないわ!(no!)」と答えるのです。「はい(sì)」ではなく「いいえ(no)」を選択する。抑圧を破り自らの意思を示した彼女はもう従うだけの無力な子供ではない、という表現がされているのです。

歌の後の台詞部分はほぼシェイクスピアのままです。乳母も夫人も卿に圧されている立場なのがよく分かる演出ですね。「たった1人の〜」の台詞を夫人に向けて放つ言い方からは、彼女の浮気を知っているようにも感じられます。

日本版は親が家のために娘を売り飛ばそうとしている上に上辺だけ取り繕っていてシンプルに両親ともクズだなって感じなんですが、イタリア版のこの、娘を思う普通の父親と自らも傷を負っている女たちが家父長制と男女の役割の抑圧に毒された社会で、その毒に深いところで蝕まれている狂気のような気味悪さ、恐ろしさがあります。

そして少し話題を変えてパリデについて。彼はこのシーンで(おそらくカプレッティ卿から呼ばれて)屋敷に来ているのですが(日本版パリスは、マーキューシオの親戚なのにティボルトのお悔やみに来ている場合ではないのでは…?)、彼女の両親から自分(パリデ)と結婚するように強要され、泣き叫んで嫌がる好きな女の子を前にして大変にショックを受けています。
彼は「泣いて嫌がるジュリエッタと無理やりに」結婚したいとは思っていないのがよく分かります。曲の序盤では結婚の許しが出たことに笑顔だった彼が曲の途中から「どうやら様子がおかしい」と事情を察して苦悩し始め、最後「(言いなりになって結婚なんて)しないわ!」と叫び崩折れるジュリエッタの方へ悲痛に腕を伸ばしてから俯く姿が印象的です。

作中では様々な悲恋が描かれますが、ロメオとジュリエッタの敵同士の恋、テバルドからジュリエッタの従兄妹間での恋、メルクーツィオからロメオへの同性間での想いなどの中、パリデの恋はこの世界で「許され」、歓迎、祝福される形であったのです。それはたまたま幸運であっただけかもしれないけれど、パリデは純粋にジュリエッタを好いていた。しかし、その恋は実らなかった。パリデを金にものを言わせる嫌味な大人のように描かず、ロメオやジュリエッタ、テバルド、メルクーツィオと同年代の子供の1人として描くことで、この様々な恋の形、置かれた立場、その苦悩を描くことができています。
社会の仕組みの中、許されないものに苦しむ子らだけを描くとパリスが悪役的な立ち位置になってしまうのを防ぎ(そしてパリスに代表される「たまたま社会の理想にあった性質の人」を批判するような印象になることも防ぎ)、それぞれを並べて同じように、それぞれの形として描写できるという効果が、パリデのこのキャラクターによって大きく補強されていると感じます。そしてジョヴァンニ修道士も、出番の少ないキャラクターで原作からは年齢など伺い知ることはできない役ですが、この演出では彼もロメオたちと同年代に描かれているので、彼の見ているヴェローナというのも想像してみると作品の奥行きがより広がるように思えます。

このパリデを通して、パリスのようなキャラクターを安易に扱ってしまうことがどんなに勿体ないかということも見せつけられました。正直、ミュージカル版に限らずパリスを当て馬以上に生かしきれていないなと感じるものも多いのです。
メルクーツィオやベンヴォーリオの扱いに関してもそうですが、キャラクターが先なのではなく作品がまずあって、作品の中でどんな役割をそのキャラクターが担っているのか、それは作品のテーマ、どういう作品として「ロミオとジュリエット」を見せるのか、という演出次第でキャラクターは変わってくるということで、それなしにキャラクターだけを取り出して語ることは難しいと思います。答えが多すぎるから。
パリスなら自分の欲望と利益のみを優先させる大人側として描くにしても純粋に恋をする者として描くにしても、全体の演出次第ですが、中途半端になってしまうのはあまりに惜しいキャラクターが彼を含めて多いので。
それを改めて感じる「作品にとって効果的な役作り」が強く見られたのがこのイタリア版演出だったと感じます。




※注意事項(当note内共通)

・イタリア版ロミオ&ジュリエットのカンパニー、関係者の方々とは一切関係ありません。当noteの内容は1ファンによる訳であり、感想、スケッチですので公式の見解ではありません。

・私のイタリア語は超入門レベルです。1年半かけてなんとか訳しましたが、拙いものだと思います。間違いもあるかと思いますのでその点ご注意ください。

・当noteに掲載されたイタリア版のミュージカルナンバーの日本語訳のテキストや衣裳イラスト、平面図、3D画像などは筆者による訳でありイラスト作品ですので無断転載はご遠慮ください。

・それぞれの記事は公開後も随時内容を追加、修正などしていきます。ご了承ください。(テキストもイラストも時々修正・加筆されてる可能性があるので思い出したらまた見に来てくださると嬉しいです)

・記事中ではカンパニースタッフ、キャストの皆様のお名前を、イタリア語表記・カタカナ表記に関わらず敬称を略させていただいています。ご了承ください。

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