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おさないときになりたかったもの

わたしはずいぶんとちいこい頃から将来のゆめがたんまりあるにんげんだ。ともだちにも「よくそんなになりたいものがあるよね」って言われたりすることもしばしば。

初めてなりたいと思ったのは覚えていないけれど、お花屋さんって保育園のノートに書いていた。だいたいのこどもはケーキ屋さんとお花屋さんの道1回はとおるよね〜
ここから先は物心がついたときのゆめだよ。

🧸英語の先生
なんで英語の先生になりたかったんだろう、、、
確かだけど、夜中にたまたま起きた時にテレビでやってた海外のテレビショッピングを観た時に「えいごってかっこいい!」って思ったのが始まりだったと思う。
でも知り合いはみんな知っていると思うけれど、わたしはだいぶ頭がわるい。おさるさんも驚愕するほど頭がわるい。

小学生の頃にお友達に「R君がすきなんだ〜」と言われた時に、「あーる、、、?」ってなって、私の学校ではRのイニシャルの男の子がモテている傾向にあったので『らりるれろ』がRなんだなぁ〜となんとなく感じるレベルで、イニシャルなんて言葉も当時は全然理解していなかった。今はさすがにわかっているよ。

中学校に入ってからやっとローマ字がわかるようになった。塾も行ってなかったし、もともと頭が悪すぎたからよけい覚えるのが大変だった。ローマ字表と4時間くらいにらめっこしてようやく読めるようになった。高校も頭が悪い高校ではじめての英語のテストは「ローマ字で北海道と書きなさい」とかだったくらい。
結論、英語の先生にはなれなかった。

🧸アナウンサー
ヒルナンデスでみとちゃんが美味しそうに食レポしてたからいいなって思って先生に「アナウンサーになりたい!!」って言った。先生は「俺英語の先生だけどテストの点数見る限り相当勉強しないとできないぞ、、、」と困ったように笑いながら言われた。そりゃそうだ。

だってわたしはその時高校3年生の18歳の秋頃だったから。
そして呆気なくそのゆめも散ってアナウンサーにはなれなかった。

🧸お笑い芸人
ひとの笑った顔がすきだなって思ったからなりたかった。
そのとき仲良かった子と「ばかちんが」っていう漫才コンビでデビューしようなんて話までしてた。

でも友達と少しずつ疎遠、、、?っていうかクラスが離れて話さなくなったのでお笑い芸人にはなれなかった。

🧸イルカショーの人
江ノ島水族館でイルカショーみたらやりたくなっちゃった、だけど彼氏に「イルカのごはんはお魚だよ」って言われた。

そうだ、わたしはお魚がだいきらいだ。
くさいし食べられない。
そうしてイルカショーの人にもなれなかった。

🧸お花屋さん
こどもの時にふわふわ〜っとなりたいという気持ちが大人になってからはメイド喫茶にご帰宅するようになって花束のお花を選んだりするのが楽しくてなりたいな〜に変わった。
あとお花を買う人はおだやかな気持ちで買いに来る人が多いからいいな〜って。

でも、人一倍肌が弱いし手荒れしちゃうな〜って。
それでお花屋さんにもなれなかった。

🧸美容師さん
髪の毛切れるのかっこいいな〜って思ったからやりたくなった。でも美容師さんって髪の毛切るだけじゃなくて、シャンプーしたりカラーしたりするもんね。

お花屋さんと一緒で肌が弱くて荒れちゃう私にはなれないな〜って思って、高校卒業した後に専門学校に行こうとも考えていたけれど、お家の事情もあって美容師さんにもなれなかった。

🧸サンリオピューロランドのダンサーさん
初めてピューロランドに行った時に感動したの。
きらきらのステージに360度どこを見回してもかわいいものしかない世界。
そこできらきらにこにこ踊ってるダンサーさんを見て感動した。私もダンサーさんになって人を元気に、にこにこにしたいな〜って。

でも、わたしは事故でひざの手術をしたから可動域が限られてる。だからダンサーさんにもなれなかった。

🧸アイドル
物心ついた時には車の中であややの曲を聴いて、お家ではあややのDVDをみてた。
わたしおおきくなったらあややみたいなアイドルになりたいな〜って思ってた。

小学校低学年の時に自分の顔って周りの子に比べたら全然かわいくないって事に気がついてしまって、だからアイドルにもなれなかった。
実は中学生の時ご当地アイドルにスカウトされた。
あの時やってればよかったな~

🧸歌手
歌を歌うことが好きだったからそれで食べていけたら最高だな〜って思ってた。
おとなになってから私より歌が上手い人たくさんいるし、ストレスで喉がおかしくなって入院生活をした。
あと1回喉がだめになったら扁桃腺を取りましょうとお医者さんに言われた。
それからは体調管理になるべく気をつけて(ストレスだから気をつけるにも限度があったけれど)どうにか喉はだめになっていない。もうおおきい注射器を喉に刺すのはこわいからやりたくないもんね。看護師さん5人に頭抑えられてこわかった、あの時は。

その入院生活が終わってから声の調子がいい日が今まで1回もなくて自分の声がきらいになった。
歌手にもなれなかった。

🧸女優さん
小学生の頃に菅野美穂さんがだいすきだった。今も好き。
かわいくてかっこよくて、演技が上手だったから。
出演しているドラマを片っ端からお店でDVDを借りて観て、ノートにセリフを全部書いてた。今思うとちょっと狂気、、、
好きすぎてファンレターだしたこともあるよ💌
健康運のへんなふくろうのキーホルダーいれた(笑)
なぜ入れた、、、?勿論、返事はかえってこなかった

顔がかわいくないので女優はなれない、と思った
演技だけは得意だと思うけど、、、わたしの感情はジェットコースターみたいに起伏が激しいからね

🧸アパレル
お洋服がすきだからなりたかった。
高校の時に20kg以上体重が増えた。
中学生までは痩せていたけどまわりにでぶって言われていてずっとでぶだと思っていた。でも今思うとわたしは標準体型だった。思い込みはこわい。
高校の時からストレスのせいか、生理が来なくなって大人になってから知ったけどわたしは病気らしい。
太りやすい体質になってしまった。
お洋服を売っている人はみんなかわいくてスタイルがいい。
私にはできないと思った。


高校生の時進路指導の先生に現実をたくさん言われた。
まぁ当たり前だ。高校卒業したらお家の事情で専門学校にも大学にも行けないとなったら「働く」しか選択肢がなかったから。
だからわたしの夢の花はどんどんしぼんでいって枯れた。

唯一夢だった「アパレル」のお仕事も先生からは、

「お給料安いし、好きなものは好きなまんまでいて趣味で留めておくのがいい」

「好きなこと」を仕事にするのではなくて、「得意なこと」を仕事にするといいよ

と何度も言われた。

考えて考えて、観光地でチョコレート販売をするお仕事と、介護士の2択になった。
私のじぃじが入院していた病院ではミトンを手につけて手を使えなくしたり、腰にベルトをつけてベットからおりれなくしたりと拘束があることを小学校3年生で知った。
うなり声、叫び声が聞こえる病院内。わたしは9歳の時「ここは地獄なんだ」と感じた。

介護施設では拘束をすることはまずない。
見学や職場体験をしてわたしに向いているなと思った。
そして私は介護士を選んだ。

わたしは二世帯住宅だったので生まれた時から周りはおじいちゃん、おばあちゃんばっかりだった。高齢者がすき。
だからおとなになってもおじいちゃん、おばあちゃんと関わりたいと思った。
介護士として6年間働いて、今は事情があって無職。
そのうちいいはたらき場所を見つけられたらいいな。

こうしてじぶんの小さい頃の夢を見ていくとわかる

わたしはお家の事情のせいにしたり、じぶんの見た目や身体のせいにして夢をあきらめてばかりだなと。
そんなことはずっと前からわかっていた。

妥協してばかりの日々で今がある。
今は今でしあわせなこともあるけどね。
先生が言っていたこともわかっているけれど、
ちいさいころのわたしはまだ生きていて、今もきらきらしている。まだわたしはゆめをみていたい。あきらめたくない。
もうすこしじぶんをすきになりたい。

わたしの人生の中で叶えたかった事の中で
「地元を離れて生活をする」というゆめがあった。
それは去年叶えられた。遠距離の彼が引越しをするから来て欲しいと言ってくれなければ、わたしはいつまでも地元でこもっておばあちゃんになっていたと思う。
せっかく1つのゆめが叶ったんだからついでにこの場所で、わたしはすこしだけゆめをみたい。

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