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18_世界で一番幸せなホームレス?

おそらく、ホームレス界のワールドカップがあったならば、ぼくは幸せ部門で言えばトップクラスだったのではないか、と思う。

まわりのみんなからは「お前、ホームレス社長になってすごく楽しそうだな。お金がないやつの生活とは思えないし、なにより明るいよな。」とよく言われた。もちろんなるべく悲観的にならないように心がけていたし、実際にいろいろなひとと会えて、いろいろなひとの生活をみることができて、とても楽しかった。

しかし、ぼくもたまには不安になる瞬間だってあるのだ。なかなか泊めてくれるひとが見つからないとき、一日の食事がクロワッサンのみという日が3日連続とかで続いたとき、などなど。体力的に疲れると、精神的にもきつくなってしまうときはたまにはあった。

それを強く思わせてくれる出来事は、最初の50日が過ぎたとき、あまりにもまわりのひとに恵まれて、特に苦しまずにホームレス社長生活が継続できていることにある種の“危機感”を覚えたため、無理矢理にでももっともっといわゆるホームレス生活をしようと決めて、一週間「ひとの家に泊まらず、公共施設での寝食をする」という企画を立ち上げたときだった。

方法は至って簡単。とにかくひとの家に泊まらず、駅や空港、または24時間オープンの場所で寝るというもの。ロンドンは、空港がたくさんあるし、じぶんの家を持たない、という事実にはだいぶなれていたので余裕だろう、と高をくくっていた。

そして、まずは初日。一番始めに選んだ場所はヒースロー空港。ここは、少し都心から離れるため交通費はかかるが、世界のハブである空港なため始発待ちやじぶんのフライトまで、などの時間をつぶすために寝ているひとが多い場所。なので、初日としてはいいだろうと思い選んだ。

一日の仕事を終え、普段なら約束しているホストの家に向かうところだが、意気揚々と空港に向かった。まわりのみんなにも「今日は空港だぜ!やっとホームレスらしくなってきただろ?」といった具合で、僕自身も興奮気味だった。やっとホームレスっぽくなれる、というなんだかわけのわからない喜びもあった。仕事を終えたのが、夜20時過ぎぐらい。そこから、地下鉄で1時間ほどの場所にあるヒースロー空港へ。実は、当日お金が全くなかったのでヒースロー空港までの交通費もカンパしてもらっていた。チャレンジを応援してもらうようなカタチだ。

空港に21時過ぎあたりに到着をし、まずはいつでも寝れるための準備に取りかかった。普段の経験を生かし、ホームレスのひとたちはよく公衆トイレで歯を磨いたり、服を着替えたりしているのをみていたので、僕もそっくりそのまま真似をした。さすが空港なので、僕のようにトイレで歯を磨いたりトイレの個室で着替えたりしているひとは数人だがいた。なので、特に特異な目でみられることもなく就寝の準備が終わった。

そして、ジャージに着替え終わってからは、いつもはフライト時間に追われてみることもできないような空港の細部を見学しながら時間をつぶし、なんだかんだ仕事で疲れていたので24時あたりから、いざ寝る場所を探し始めた。こういうときはどういう場所を選ぶのが一番いいのか、未経験者にはなかなか見つけるのは困難ではあったが、比較的静かで安全そうな場所(ベンチの裏側)を陣取ることに成功。

ヒースロー空港は、1時間だけならインターネットが無料で使えるのでそれに接続をして少しだけネットサーフィンを楽しみ、無料パッケージが切れる頃に合わせて眼鏡を外して就寝した。

ここからがなかなかの地獄だった。とにかく寒い。比較的ひとがいない場所だ!と意気揚々とゲットした場所は、理由があった。ちょうどひとが出入りする自動ドアの付近だった。寒い。本当に寒い。ひとが出たり入ったりするだけで寒い。

そして、他の問題。さすが空港だ。24時間態勢で様々な飛行機が飛んだり、終電で前乗りをするひとがいたり。空港は深夜24時を過ぎているというのにも関わらず、とにかくうるさい。せめて到着口に寝ればよかったかと思った。なぜなら、出発口はこれからどこかへ行こう!という、ある意味気持ちが高ぶっているひとたちが集う場所だ。子供がまわりを走り回ったり、カップルが最後の別れを惜しんで泣き始めたり。

ううう。寝れない。身体的に疲れていたのが手伝って数時間は寝ることができたが、十分な体力回復はできなかった。何より、常に誰かに見られているということはとてもつらいことなんだとわかった。そんな公共空間で話し相手がいない、というのも寂しさに拍車をかけた。朝になったときは、本当にげっそりしてしまった。初日で、ホームレスさんの偉大さを感じた。彼らの境地に至るのはまだまだ鍛錬が足りない。


そして、翌日。ヒースロー空港での一夜を終え、朝の身支度を終え、空港から再び都心へ。丸一日普通に仕事をしようと試みたが、全く集中できない。ひどい。仕事にならないのだ。体力的にも精神的にも少し疲れてしまい、普通の生活がすでに初日で遅れなくなってしまった。

しかし、じぶんで決めたこと。ということで、2日目はウェストミンスター大学のロビーを就寝場所として選択。ウェストミンスター大学は、僕の母校だ。2011年末に卒業をしているのだが、うちの大学は幸運なことにライフタイムの学生カードが発行されていて、卒業後登録をしていると、卒業生カードとして障害いつでも大学にアクセスする権利を得るのだ。そして、大学院時代、研究と制作でよく徹夜などをしていた経験があったため大学のロビーで寝るのはどうだろうか、と思い選んだ。

行ってびっくり。大学の内装ががらりと変わっていた。噂には聞いていたが、ちょっとおしゃれなカフェのようになっていた。しかし、それはラッキーなことでとても寝心地の良さそうなソファーなどもあり、そこを陣取った。ちょうど大学も大学院も論文提出のぎりぎりの時期だったこともあり、たくさんの学生さんがいた。前日のヒースロー空港での経験で、静かなほうが寝れることは当然なのだが、公共空間で静かすぎる、というのはそれはそれで気味が悪くて寝にくい。ある程度の人数がいるほうが寝れる。

しかし、大学は少し勝手が違うのだ。というのも大学に寝ることを主目的できているひとはまずいないということ。みんな勉強をしにきているのだ。寝る場所ではない。至極当然なのだが。

しかし負けてられない。もう時間は22時を過ぎている。今更泣き言を言って、泊めてくれる友人・知人を探すほうが迷惑なことはわかっている。ヒースロー空港で行ったように、学校のトイレに大きな鞄を持っていき、寝る支度を整えた。歯も磨き、コンタクトレンズも外し、ジャージに着替えた。時間は24時を回った頃、パソコンも切り、眠りにつこうと思った。

しかし、ここからまた悪夢が始まった。ぼくもまだまだ若いので若者が!とは言えないが、大学生はまだまだ若い。ぼくのブースを見つけてちらちら見てくるひとたちがいる。視線がいたい。集中できない。寝れない。しかも深夜を過ぎても数名はいるのでまだまだ明るい。

ロンドンは、終電はあるがバスが24時間走っているので、みんな24時近辺でかえることもない。人っ子一人いなくなるのは、それで怖いが、多すぎてちらちら見られるのは少し緊張して寝れない。盗難にあう恐れもある。気にし始めるとまた前日ヒースローで寝れずに疲れがたまっているのに、また寝れない。苦しいぞ。

そして、そんな悶々する時間も25時や26時を回ったあたりには落ち着いてきた。みんな学生さんも疲れて帰っていった。そしたら、今度は、大学の警備員さんとの冷戦が始まる。学生証を使って入っているので、僕は決して怪しいひとではない。

しかし、勉強もせずにパジャマで寝袋で寝ているやつがいる。そんなこんなで彼らが見回りに出る度に、ぼくのブースに来て言葉なくチラ見をして去っていくというのが朝まで続いた。結局、数分しか寝れなかった。そして、公共空間で寝ることによる精神的崩壊が半端ではなかった。

というのも、体力的ではなく、精神的に心を休める時間がない、というのは本当につらい。心の底からホームレスのひとたちを尊敬したのと同時に、彼らの精神状態はどのようになっているのか、と気になった。

ぼくは、2日でこのチャレンジは断念した。これ以上続けると、ただただ仕事にならない、と判断した。個人的なホームレスチャレンジならまだしも仕事に影響を出すのは、よくないと思い中止にした。そして、そこで悟った。こうやってチャレンジを中止にして、また友人・知人を頼って寝る場所を確保できるぼくは本当に幸せものだ。

そして、なぜぼくがホームレス生活をしながらも、とてもポジティブで幸せに生きれていたのか、というのはやはり気の許せる仲間がまわりにいるという精神的な安堵感が助けてくれていたのだ、ということ。

ぼくは、その当時ホームレス界ではトップクラスで幸せだったと思う。そして、お金がなくても、家がなくても、ひとりで生きるのではなくひとと生きることが人生の主軸になることができれば、普段感じている不安や恐怖も払拭できて、ポジティブな生き方を実践することができるのではないか、と思った。

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株式会社sakasa | sakasa inc.

クリエイティブディレクター | Creative Director

藤本太一 | TAICHI FUJIMOTO

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