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02_お金がない、という状況がじぶんだけのブランドになった

 このホームレス生活が始まってターニングポイントの75日目、僕がふと思い出したことがある。もちろんこの生活の前は、『普通』の生活をしていた。自分でご飯を買い、自分の部屋を持っていた。ロンドンで起業した2年ほど前からは、事業のためにもっと質素な生活に変わった。食べたいものもろくに食えず、着るものも5年以上も前に買ったものを着ていた。

 世間一般で言われる「お金がないと辛い」という言葉を身に染みて感じていた。まわりからも「バイトをしろ!」とか「日本帰って就職すれば?太一なら就職あるんじゃない?」と言われていたが、なんとなく話をはぐらかしていた。自分の会社を始めた以上、自分の力で成功したかった。

 しかし、そうも問屋はおろさなかった。口座に入っていたはずの立ち上げ資金もあっという間に底を尽き、いよいよ“生きて”いけなくなった。まずは出費で一番大きな家賃が払えなくなった。

 「あーあ、いよいよどうしよう。住所がなくなるってことはビザの申請にも傷がつくし。やっぱり日本に帰らないといけないのかな」
と日々悶々とする日々がしばらく続いた。

 「待てよ。オレがずっと悩んでいたこと(家無しで、さらに外国であるイギリスで住所を持たないリスク)って、やっぱり大きな問題だよな。そしたらみんな帰国するってことか。ならここロンドンで家無し生活をする外国人ってもしかしてオレだけなのか?」

 ある日、シャワーを浴びているときに、ふとこう思った。そして、

 「みんな、そこそこ普通の生活ができるから、『普通』の生活から外れることをしないのかも。しかし、普通ってなんだ!? 家がないことがリスクなのか!? お金がないと海外にいちゃダメなのか!? いや、そんなルールはないはずだ。よし!ホームレスになろう!これはオレにしかできない唯一のことかもしれない」

 もちろんただホームレス生活をするだけだと、路上生活者になるだけだ。でも、僕の目標とするホームレス生活は、お金に支配されて作られた“あたりまえ”に挑戦していきたいとも思っていた。ここでの“あたりまえ”への挑戦は、僕の事業そのものの挑戦『経済資本としてのお金ではなく、社会関係資本としてのお金をつくる』つまり、『汗水たらして売れるものを必死に作るのではなく、みんなでワクワクしながら世の中に届けたいものを考え、いっしょにつくる』にも通じていた。

 ということで僕は、

 『お金を乞うホームレスではなく、ひとに全ての生活を助けてもらうヒモのようなホームレスになろう』

と決めたんだ。思い立ったら、あとは動くのみ。シャワーが終わってすぐに部屋には戻らず、当時同じ家に暮らしていた友人の部屋をノックして、

 「オレ、家出るわ!ホームレスになります!」

と宣言した。彼は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたが、

 「まあ、お金が払えないならしょうがないね」

と言ってすんなり認めてくれた。

 そして何より、嬉しかったことがある。普段、人のことを褒めるのが得意な方ではなかった僕の友人。まあ、僕のやっている事業が分かりにくかったということもあるが、一切認めてくれなかった。興味を持って聞こうとしないどころか、むしろ否定されていた気がする。仲良かったのだが・・・・・・

 そんな彼が、僕のこのホームレス企画を笑い飛ばしてくれたのだ。僕は笑われているにも関わらず、なんだかすごく認められた気分になった。これを認められていると判断するのはポジティブ過ぎるかもしれないが。人の想像の限界を超えていない企画なんて、「なんだ、私でも出来るでしょ?それ」って、誰も興味を示さない。でも逆に、「誰も挑戦しないバカらし過ぎること」って人の興味を惹きつける力があるんだ。実際に、僕の事業に全く興味を示さず、笑いも意見もしなかった彼が少なくとも大笑いしてくれたからね。

 それから、普段から付き合いの多かった友人たちにも「ホームレスになる」宣言をしてロンドン中を回った。みんな笑っていた。でも、ぼくはもう決心はついていた。むしろ、笑われれば笑われるほど、

 「これからホームレスになるんだー。うらやましいだろ?」

ぐらいの勢いだった。

 家を出る数日前は少しドキドキしていたが、ホームレスになる前から少しずつだが「面白そうなこと始めたな!うちに泊まりにきなよ!」と声掛けしてもらえていたのは自信になった。そして、これが継続的に75日目までもつことになるなんて!

 この企画が始まるときに持っていた僕の誰にも負けないアピールポイントは「全然利益のあがっていない株式会社の社長という肩書き」と「家賃すら払えないような乏しい銀行口座」の2つのみだった。この強み(?)を掛け合わせることで生まれた「ホームレス社長」は、自分のブランドとなり、それがいろいろな人のつながりをつくることに成功しているみたいだ。

人生はわからないものだ。“あたりまえ”という世界で生きると辛いことのほうが多かったかもしれないが、このように吹っ切れることができて本当に良かった。まだまだお金はないが、普通は見ることのできない世界を今別の角度から見ているような気がする。

誰にも負けない自分のアピールポイントを見つけ、オリジナルの肩書を持つ

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株式会社sakasa | sakasa inc.

クリエイティブディレクター | Creative Director

藤本太一 | TAICHI FUJIMOTO

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