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07_困っているひとを助けれなかった話

生活に関する全てのことに関して、友人知人を始め、全くの初対面の人にも助けてもらいながら生活をしている。洗濯や、風呂、ご飯なども全てお世話になっている。ということもあり、見た目はほとんど“ホームレス”というほどではない。しかし、生活空間はほぼ外である。たまに疲れたりすると迷惑のかからないところを探して、ふらっと座り込んだりしていた。なので同志であり大先輩でもあるロンドン市内のホームレスの方ともたまにではあるが話す機会があった。

「おう、元気か?」なんて具合だ。軽快なトークをする中で、「小銭ないかい?少しくれないかい?」と言ってくる人もたまにはいる。残念ながら、僕も同じホームレス。あげる金はない。そういうときはいつも正直に伝えていた。「お前、ホームレスっぽくないのにな」的な感じにはよくなっていたが。

しかし、そんな僕でも一度、仲間でもある他のホームレスさんを助けるチャンスがあった。でも、結局助けれなかったのだ。

ホームレス社長企画を始めて◯ヶ月以上経っていた頃、ただ人のお世話になって生活をする、というサイクルだけではみんなが僕のことを忘れかけているように感じた。

「なんだ、タイチ。結局、お前人の世話になって行きてるだけじゃん。ただのヒモじゃん。全然ホームレスとかいいながらホームレスっぽくないし。もう飽きたな」

実際には言われていない。でも、そう感じた。誰にも注目されなくなったら、企画としての意味がなくなる。何かせねば。

そこで思い付いたことが「よし、なら実際にがっつりホームレスっぽいことをやってやるか」だ。当時、ふらっとネットサーフィンをしているときに日本のニュースで「24時間テレビ」の24時間マラソンのニュースが流れてきた。100キロを24時間で走って、国民を感動させるあれだ。おれはそのときひらめいた!

「僕も24時間◯◯をしよう。そうだな、僕はホームレスだから24時間ホームレスをやろう。そうすれば、みんなが感動の渦に巻き込まれるに間違いない!」

そう信じて僕は「24 Hours 24 Friends」と題して、ハリーポッターで有名なロンドンのセントパンクラス駅、日本で言う東京駅みたいなところにある24時間オープンのスターバックスの前に座り込み、24人の友達に会うという企画を立ち上げた。フェイスブック上でこの企画の告知をした直後、瞬く間に多くの人が注目してくれた。

「(やっぱり24時間◯◯って感動するんだなー)」

としみじみ思いながらも、勢いでばかなことを立ち上げてしまったことを一瞬後悔はあったけど。決行日の数日前まではまだまだ夏模様だったロンドンも、僕の「24 Hours 24 Friends」の挑戦が近づくに連れて、どんどん寒くなっていった。やばい。でもやる。

そして当日!気合いを入れて、開始時刻の土曜日18時にセントパンクラス駅に到着。

「タイチー!遅いよー!」

え。誰?偶然友達に会ったのかな。

「なんかまた変なこと始めたっていうから、日本からの出張が重なったし会いにきてみたよー」

なんと日本にいるはずの友人が激励にきてくれたのだ。

「はい、これから長いでしょ?なにが欲しい?買ってきてあげるよ」

神様がいる。目の前に。

「ほんとですか!はい、実はお金も全く持たずに来てるので。どうやって24時間生き抜こうか迷ってました。水とかチョコとか。サンドウィッチもあると嬉しいっす」

もうお母さんに甘える子供のようなもんだけど、友人の優しさに甘えて、恵んでもらった。

そして、その後も別の友人も来て、僕にホットチョコレートをくれた。また、のちの仕事のパートナーとなる友人ウィリアムは、カフェでコーヒーをおごってくれた上に、

「なんでタイチは土日にこんな企画を始めたんだ。土曜日の夜は酔っぱらいのみ。日曜日は昼から二日酔いのやつしかこないぞ。特にロンドンでは。しょうがないな。はは。今日はオレは時間あるから眠くなるまでいっしょにいてやるよ。」

そういって、深夜2時ぐらいまで一緒にスタバの前に座っててくれた。本当に惚れそうだった。

そして、彼も帰ったあとからは、寒いし友人も来る訳もなく。のんびりベンチに座って少し寝てみたり、起きて本を読んでみたり。となりに寝てるホームレスとウィンクし合ったり。トイレで歯を磨いたり。色々とした。

そして、日曜日の早朝に一本の連絡が。

「おい、タイチ!しっかりホームレスやってるかー?今から差し入れ持っていってやるよー」

ロンドンで何かとお世話になっている先輩からだった。日曜日の早朝にわざわざロンドン市内まで出てくてくれて、僕にジュースと、またまたサンドウィッチを授けてくれた。ううう。ありがたい。

もうこの時点で、けっこうな量のサンドウィッチがあり、本当に友人知人のおもてなしに感謝をしながら、「とりあえず今日は生きていけそうだな」と確信が持てた。ふと外を見ると、天気が良かったので、ちょっと気分転換がてら外に出て、適当なところに腰をかけてサンドウィッチをほおばった。うん、旨い!そしたら、近くでウロウロしていたホームレスの女性が僕のほうに近づいてきた。

「おい、そこの少年。食べ物を恵んでくれないかい?そのサンドウィッチでいいよ。お願い」

もう本当に反射だった。ホームレスをする前は、ホームレスのことを深くまで考えたことはなかったし、断るくせがついていた。何よりも、これは僕の友人知人がくれた大切なサンドウィッチ。本当に反射的に答えてしまった。

「ごめん、無理だわ!」

なんで断ったのか、今でも後悔している。そして、そのときの女性の寂しそうな顔は今でも忘れられない。背中を向けて、去っていく女性を呼び止めてサンドウィッチをあげるという選択肢もあったはずだが、それすらできなかった。なんでなのか、未だに分からない。

でも、このときは、ずっと友人知人はたまた知らない人にも助けてもらうヒモ生活をロンドンで繰り広げていた。人から恩をもらい続ける生活だった。しかし、全てそれを自分で受け取り、恩を返すということをしていなかった。というか考えもしなかった。

『もらったら、返す』この交換の原理で世界の経済活動が成り立っており、みんな当たり前のようにやっていることだ。しかし、ふとその当たり前ができなくなった僕のような存在は全力で、恩を授かってきた。もらうだけもらっていた。いつか返せるようになったら返せばいいと思っていた。しかし、実はここで根本が間違っていたように感じる。返せればよい、というのは決して恩送りでもなんでもない。ただの時間差の恩返しだ。

とにかく事実、僕はこのホームレスの女性にサンドウィッチをあげることができなかった。要するに、恩を送ることができなかったのだ。そして、未だにこの光景は鮮明に覚えている。恩を受け取るのは、相当なエネルギーを要することは知っている。だからこそ、このエネルギーを抱え込むのではなく、ちゃんと他の人に使っていかなければならないのかもしれない。本当にごめんなさい。

恩返しをする

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クリエイティブディレクター | Creative Director

藤本太一 | TAICHI FUJIMOTO

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