走れ

「人見知りと人嫌いは違う」

最近そんな言葉を聞きました。

人見知りは、知らない他人に対して遠慮がちになってしまう。
人嫌いは、とにかく人との接触を避ける。
そんな違いがあるようです。

小説を書いてます。
元々はお笑い芸人を志していたのですが、作るネタが長すぎたことで当時のショートネタブームに乗り切ることができず、その上コンビやトリオなどの活動も人間関係が理由でなかなかうまく継続できずに、やめたといった感じです。
紆余曲折あり、長すぎるネタを作るくらいなら、小説にしてしまった方がいいのではないか。人と関わらずひとりでできるし。そうしていまは、小説に落ち着いてます。

選択肢の中に、劇作家、脚本家、構成作家などもありました。でも人と関わる必要がある、という理由で諦めました。
漫画家や絵本作家のような選択もなかったです。
壮絶なまでに絵が下手なので、画力が求められる仕事は無理だろうと、可能性すら感じませんでした。これでも割と何度か絵の上達にチャレンジしたことはあります。それでも、棒人間を描いて、「それはなに?」と聞かれます。そもそも、人を描くことが苦手でした。人の顔を思い浮かべること。人が何かをしている姿を思い浮かべること。それらが小さい頃から苦手で、絵を描くことからはとにかく逃げてきたのです。
小学校低学年の時、課外授業で稲刈りをしに行きました。虫も土も水も草も、自然全般が極端に苦手です。目黒病院で生まれ、都会で育った(自慢とかではありません)潔癖症が原因なのかもしれません。ただそれに尽きず、空の移り気や、天候の変化もあまり得意ではありません。
強く流れゆく雲を見ると、おかしな感覚に苛まれ、バスの窓につく雨水になにか溜まった感情を重ねていた幼少期です。
実家は夜中でも鍵をかけてはいけないという暗黙の了解があった(深夜の出入りが多かった家庭なので)し、授業中だっていつテロリストが飛び込んでくるかだって、わからないし。
福知山線脱線事故というとてもいたたまれないニュースを目にしてからも、9.11をテレビで目の当たりにした日からも、とにかく、どう生き延びるかを考えていた覚えがあります。

小学校はバス通学でした。バスを二本乗り継いで、家から学校に着く。家を出たら、とにかく走る。バスを降りたら、次のバス停まで走り抜く。そうしたら、同じ制服を着た生徒がいるから安心する。でもそれまでは、とにかく必死でした。帰りも、同様。ひとりのときはとにかく走ってました。いちばん怖かったのは、マンションに入るときと、入ってから。ドアを開けるまで。
入るときに一度足を止めなければならない。オートロックでもなんでもない古くて大きくて重いガラス戸を開けるときの無防備さたるや。
走る音の響く廊下は、何者かが近づいて来ているのだと焦りを駆り立て、不安でいっぱいのなか、ドアを開けなければ。早く開けなければ、迫ってきている。今すぐにでも、今すぐにでも。もうすぐそこに、それはいる。
靴を脱いでも、まだ安心はできません。ちょうど世田谷一家殺人事件が、僕の生まれてから数年のうちに起きて、父はその事件の話をよくしていました。
もし母が、違う人だったら、父も母も死んでてしまっていて、僕も殺されてしまったら。
恐る恐るダイニングまで足を運ばせていたものです。でも、そんな恐怖を表に出してはいけないんだ。そんな強迫観念のようなものがありました。父も母も、みんな誰もが怖かったし、それは学校の先生だって、誰だってそう。色んな一面があって、常に同じ人間ではない。
そんな神の気まぐれみたいなものに、手の内で踊らされていることが、小さな僕にとっては恐怖そのものだったのかもしれません。

稲刈りは、無心になってやりました。
「早く終われば、早く帰れる」。先生の言葉を信じて、誰よりも稲を刈った覚えがあります。
みんなは、怠そうにしたり、疲れたと愚痴を吐いたり、他のことでキャッキャしているなか、僕は命懸けで畑に足を突っ込んで、とにかく稲を刈り続けました。いつこの泥の中から手が出てきて僕を引きずりこむかもわからない。稲の中から何かが飛び出してきて襲われてしまうかもわからない。虫が体の中に入り込んで内側から食い破られるかもわからない。でも襲われるリスクは周りの人間たちもおんなじ。だから自分は運良く生き残れるかもしれない。だからわずかな可能性を信じ、必死にたくさんの稲を刈って、なんとか僕は生還を果たしたのです。
たとえば引きずりこまれた人間は、他の人間たちの記憶から消されて存在ごとなかったことになっているかもしれません。僕はいまもこうして過去のことを回想しているので、大丈夫だったということになりますが、思い出せない同級生が、いまもあの畑の中にいて、次の獲物を狙っているのかも。いいや、次の獲物はとっくに捕まえていて、捕えられた小学生が、狩りのときをいまかと待ち望んでいるのかも。

稲刈りの体験を絵にして描く。そんな課題が出されました。
僕は、そもそも人なんて書けないし、目の前に浮かんでくるのは、大量の稲だけ。
僕は悩みました。幼稚園の頃から、絵を描けと言われることがとにかくとにかく嫌で、逃げてきて逃げてきても、まだこうして追われ続けなければならない。ああ、神様。なんてことを。
でも、ひとクラス四十人もいるんだから。そいつらがみんな絵を描くんだから。ひとりくらい下手な絵があっても、バレることはないだろう。逃げ切れるかもしれない。
僕は線を風で揺れる稲のように何十本も描いただけの絵を提出しました。
後日、両親が呼び出されたようです。父はまたいつもと違う顔をする。いつもと違う、いつもの顔。母もいつもの顔をする。いつも通りの、違う顔。声。息。手。指。
バスの窓につく雨が、恋しく思うときがあります。いまも、あえて雨に濡れることがあります。好きとか、嫌いとかでもなく、意味もなく。

人の絵が描けないことは、よっぽど欠落した人間のようです。
そもそも丸も、線もまともに書くことができず、文字を習うときはそれで苦戦を強いられた覚えがあります。ひらがなドリルも漢字ドリルも、形は覚えているのに、自分の中では書けているはずなのに、何度も何度もやり直しをさせられました。僕が書いた日本語を、日本語のあやふやな外人が読めたことがあります。僕の日本語は、どうやら違う言語として成立していたようです。大人になっても、相変わらずです。

太宰治の『走れメロス』を読んだのは小学生の頃です。鼻血を出しました。
大人になってから、『人間失格』を初めて読みました。同じ作者だと知ったのは、そのあと『斜陽』と『ヴィヨンの妻』を読んでから、です。
正直、『斜陽』と『ヴィヨンの妻』は、さっぱりでした。小説家を目指しているくせに、読解力がめっきりありません。もしかしたら、僕は日本語よりも、違う言語の方が肌に合うのかもしれません。でも日本語しか扱えないので、日本語で書かれた書物しか読むことはできません。けれど、近代、古典、純文学などの作品は、まったくもって苦手です。かと言って、漫画のような読みやすいものも、絵自体があまり頭の中にイメージとして浮かんでこないからちっとも読むことができず、だからそもそも何か読み物にハマったことがほとんどないのです。何かを読むということは何度も努力してきたのですが、そういう脳の構造なのだと最近は開き直るようにしてます。「もしかしたら、発達障害の類いかもしれない」。幼稚園の頃にも、小学生の頃にも、先生が親を呼び出して伝えた話です。それが、父にとっても母にとっても、見過ごせない言葉で、見て見ぬ振りをしたい事実だったのかもしれません。いまは少し落ち着いた時間を過ごせているので、いずれちゃんとしたところで検査をしてみようと思ってます。

『走れメロス』は、あっという間に読み切ったのを覚えてます。からだがポカポカしてました。初めて、読み物に熱中したのは、あの時だと思います。
「まったく違う作風だなあ」『斜陽』や『ヴィヨンの妻』を読んだ後に、同じ作者だと知ってから抱いた感想です。それ以外は、「よくわからない」それだけです。ごめんなさい。偉大なる文豪さんと、そのファンの方々。僕の読解力が原因なだけです。
『人間失格』も、ほとんどわからなかったのですが、ただ唯一、人見知りというか、人嫌いというか、そんな感性に共鳴のような感動を覚えたのはたしかです。

コントを作りたい。最近、無性にそんな気持ちに駆られています。毎日のようにコントの案が出てきては、アイデアをメモにまとめて、まとめているうちに色んな展開や場面が作れて、ああこれを舞台でできたらなあ。そんな気持ちに至って、「いーや、できないできない」。そんな結論に至ります。
でも妻に話すと、「絶対やった方がいい」そう言ってもらえます。
昨日、お風呂で考えていたのは、人前に出る格好です。
舞台にあがっても、人前に立っても、人と囲まれていても、自分はどうしてきたんだろう。
舞台が苦手です。それはそれは、もうまるで別人のように、なにも言葉が出てこなくなります。むしろ、それが本当の自分なのかも、しれませんが。
苦手だった理由としては、「さあいまから、あなたたちを笑わせます!」「そうです。わたしはあなたたちから笑ってほしいんです!」「もう面白いって、思われたい!」そんな気持ちが全面に出ているのではないか。そんな恥ずかしさから、舞台に立つと、もうなにもできなくなってしまう。芸人を志したのが、馬鹿らしいくらい。そんな理由で舞台を諦めました。
あとは、ネタを覚えることがとことん苦手です。日本語を読むことがそもそも苦手だからかもしれません。自分で書いたくせに、いつまでも自分で覚えることができないのです。これでも一応、記憶力は割といいはずなのですが、言葉を覚えることが得意ではないようです。
でもよくよく思えば、言葉に限らず、人のことを覚えることも苦手だし、名前も、顔も、その人のこと自体も、覚えることが苦手です。
ポケモンの覚える技とか、生息地とか。サッカー選手の利き足や得意なポジションとか。そういうのは丸ごと暗唱できるかのように覚えてました。すべて、ゲームの攻略本の話です。

「教会の面白いお兄ちゃん」
「児童館のかっこいい指導員」
「優しくて若い介護士さん」
その他諸々。求められるキャラクターを演じる。僕が身につけてきた社交術です。
「快活な子ども」「男らしい息子」「よく食べる我が子」「頭の良い生徒」。そうして男子校に通うデブな中学生となりました。それも一年で、キャラ崩壊してしまうのですが。
それから、やはり人前に立つときも色んなキャラクターを演じてきたのです。「先輩に憧れる後輩」「師匠の言うことに従う弟子」「つまらないことを言って失敗する若手」「店長よりダメ人間な部下」「黙って働く下っ端」などなど。そのときそのときの、ちょうどよさがあって、それが自分にとっても、ちょうどよかったのかもしれません。
そんなことこんなことを『人間失格』を読んだときに、代わりに言葉にされてしまっているような気がして、嬉しさと、ちょっとした悔しさがありました。先を越されてしまったというような。被ってしまった、というような。でも、あんなに上手に文章として書けるような自信もないし、そもそも僕なんかと比べたら、太宰治先生なんて、雲の上のような存在です。というより、そもそも、内容自体あまり理解できなかった。だから、比較とか以前に、よくわかっていないし、多分、戦う分野が違うのかもしれません。戦いにすらなっていないのかとも、思います。

芸人になろうと決めたのは、トゥースと叫ぶピンク色の男の人を見たときです。
当時はキャラ漫才と言われてました。でもいまは、キャラではなく、「春日」そのものとして、認識されています。春日さんは、「春日」そのものとして、世の中に胸を張って出てきたのかもしれません。
「自信がなかったらここに立ってませんからね」。漫才で堂々とセリフを噛んで、その直後に放った。そんな言葉も印象的でした。そんな、「堂々とした人」に、いつまでも憧れているのだと思います。いまも。

『人間失格』に、あとがきがあったことを、最近になって知りました。
「ただ一切は過ぎていくだけ」そこで物語は終わりなのかと、てっきり思い込んでいたのですが、Kindleで太宰治全集が読めたので、ふと開いてみたら、その続きを発見しました。
それもあまりよくわからなかったのですが、ただひとつのセリフだけはなんとなく覚えています。
「神さまのような子だったわ」
たしかそんなことを言っていたはずです。それは、『人間失格』の主人公に対する言葉。もしかしたら、太宰治に対しての、自身の言葉だったのかもしれません。あまりこうして物語や作品を解釈することは好きではないのですが、なんとなく、そんな感覚を抱きました。

やはり、僕は『走れメロス』が好きです。
太宰治はそれ以外に短編をいくつか読んだだけです。「影響を受けた作家は?」と聞かれても、多分名前をあげないと思います。別に格段好きというわけでもないし、そもそもあんまり理解できていないし。僕が評することなんてできるお方でもないし。恐れ多いくらいです。
ただ、それでも、『走れメロス』は、僕の中で、特別な作品として残っています。
内容は、やはり他の作品と同じく、あんまり覚えておりません。
ただ、とにかく、メロスが走る。
色んなことを、無視して、もう、吹っ切れて、お構いなしに、死ぬ気で、命懸けで、走る、走る。走る。
ダサくとも、不格好でも、みっともない姿になっても、走る。メロスは、走る。
それは、演じるためでもない。誰かのためだけど、友人のためで、そして自分のためで、だけどでも、そもそも走ることに、そんなことは関係ない。走るためでもなく、なんのためとか、理屈とかでもなく、走る。メロスは、走る。

人見知りでも、人嫌いでも。人が怖くても、怯えて過ごすばかりでも。走る。筆を走らせる。

それ以外は、よくわからなかったです。
大人になっても、何度か読み返すことがあります。

昨日、舞台衣装を決めました。今度、ある舞台に出ることが決まっています。誰でも出ることができるのですが、少し大きな舞台です。
僕は、演じるわけでもなく、堂々していられるわけでもない。ただただ、舞台に出る。でもそこで、自分の苦手なことすべてと向き合おうと思ってます。
走りたいです。駆け抜けたい。
何もかもを気にせずに、走ろう、と。

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