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0062:説明責任

 政治的な話はしたくない。でも、書き留めなきゃならんなあ。

 「行政の透明性」という命題は、平成の三十年間に情報公開法・公文書管理法や各自治体の同旨条例などが次第に整備され、担保されてきた。我々行政職員はその法令の理念に基づいて透明・公平な行政活動を志向して来たのだし、無理を推して何かを隠そうとしても情報公開審査会などの第三者機関の判断により覆される仕組みが法令で設計されてきた。行政組織が歩んできたその長い着実な歩みが、政治によって覆される事例が目立っている。

 最初に「なんだこりゃ」と思ったのは、古い話だが、長野オリンピックの会計書類が法定保存年限より遥かに早く廃棄され、不正疑惑が明らかにならないまま終幕した事件だ。数年前の森友学園問題で近畿財務局職員・赤木さんが上司の指示で公文書の改竄をさせられ自殺した事件も、公務員には「いつか自分も遭遇するかもしれない話」としてインパクトが大きかった。そして今、「桜を見る会」を巡るあれこれについて、当時あれだけ「そんな事実はない」と明言されていたにも関わらず実は……という話になっている(もっともこれは行政ではなく政治の話ではあるのだけれど)。

 個々の事件の是非は今は問わない。ただ私は、「都合の悪い事も強弁で通す」という発想・姿勢がまかり通る世の中が怖い。それではいけない、ということで「行政の透明性」が制度として担保されてきたのではなかったか。いつの間に、それでいい、ということになったのか。

 個々の人間については、ひとまず性善説で接しても良いだろう。しかし人間集団を律する際は、性悪説を前提に制度設計をしなければ、容易に暴走・腐敗する。そのために蓄積してきた筈の制度が、なんだかぼろぼろになってきているように感じられる。説明責任を課されることは、その責任を誠実に負おうとする限りにおいて、人を律する。法は説明責任を行政に課している。あとは、行政職員であれ政治家であれ、その責任を誠実に負おうとするかどうかだ。

■本日摂取したオタク成分
『無能なナナ』第8話、安定の推理ドラマ。まあ窓は最初の時点で分かりやすい伏線張ってたけど。『ひぐらしのなく頃に業』第8話、話半分で勿体ないことをした。りかちゃんが亡くなったのでループするんだね。『水曜どうでしょう』2020年第2夜、実は水曜どうでしょうをまともに観るのは始めてかも知れない。おもろいなこれ。縦書き字幕、アリだな。『新世紀エヴァンゲリオン』第7~8話、7話とかほとんど覚えてなかったけど、学会報告とかなんかリアルだわー。

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