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0805:小説『やくみん! お役所民族誌』[25]

第1話「香守茂乃は詐欺に遭い、香守みなもは卒論の題材を決める」
[25]インターンシップの終わり


<前回>

        *

 午後はいよいよインターンシップの仕上げとなる啓発素材作りだ。16時半にはプログラムを全て終了するから、実質3時間余りしかない。その時間のなさが、却って「何を作るか」の選択肢を絞ることに繋がった。
 昨日の夕方、小室とみなもが選んだのは、短い動画の制作。悪質商法被害防止のシナリオを作り、その演技を消費生活室の備品のデジタルカメラで撮影するのだ。
「俺、簡単な編集ならノートパソコンでできるから」
 小室はプリインストールされた動画編集ソフトで友人のサークルPR動画制作を手伝った経験があり、3分程度の動画なら30分あれば編集とエンコードが可能だという。
「じゃあ私は、シナリオ作ってくるよ」
 澄舞大学総合文芸研究会は、年に一度文芸同人誌を発行しており、みなもも毎年手慰み程度の短い物語を書いている。だから昨夜は秀一と甘い時間を過ごした後、そのまま寝てしまいたいのを我慢してパソコンに向かいシナリオを書き上げた。
 今朝、動画を作ると聞かされた野田室長は、目を丸くした。
「さすがYouTube世代だねえ。うちもプロに頼んでいくつか動画を作ったけれど、機材も俳優も編集も自前で作る発想はなかったな」
「それで、実は室長と二階堂さんにもちょっとした役をお願いしたいんですけど」
「ほう」
「あら、私も? 喜んで」
 二階堂は先日のインタビューでカメラ度胸がついたようだ。というよりも、癖になりかけてる?
 昼休みが終わる13時ドンで読み合わせ開始。自分は絶対にダマされないといっていた高齢男性(小室)が老人ホーム入居権詐欺にあっさりダマされそうになり、寸前で娘(みなも)に止められる。野田は練蔵をだます悪質業者役で声のみの出演、二階堂は最後に手口の解説と注意を呼びかける役だ。
「衣装は用意してるの?」
 二階堂の問いにみなもは、そこはどうしようもないので私服のままで見立てるつもりだと答えた。
「いやあ、それは勿体ない。ちょっと待っててね」
 二階堂は一旦席を外し、2分ほどで戻ってきた。手にした段ボールを机上に置き、蓋を開いて中身を取り出す。髪の薄いかつら、サザエさんの波平が家で着ているような着流しの和服、サザエさんのようなエプロン。いずれも安物ではあるが、私服よりは役柄に近づくことのできる衣装類だ。
「えーっ、なんでこんなのあるんですか?」
 驚きの声を上げるみなもに、二階堂はVサインをして答えた。
「ふふーん、すごいでしょ。消費者向けイベントで、寸劇って有効なのよ。おじいちゃんおばあちゃんたちが楽しく見たり参加してくれる。だから、少しずつ衣装や小道具を揃えてきたの。課の忘年会でも、センター職員で寸劇したりね」
 小室は三脚にデジカメを据え付け、画角を決める。時間がないからカット割りはしない。最小限の切り貼り編集はできるから、とちったら少し戻ってやり直し。衣装をつけてとちりまくりの撮影は笑いに満ちていた。楽しげな様子に、相談員たちも代わる代わる見に来た。
 そして二階堂の出番。解説の最後に、脚本家みなもはあの台詞を用意していた。二階堂もそれを気に入り、「どうせなら、このラストは、センターみんなでやろうよ」と執務室にいた職員全員に声をかけた。幸い相談者などの来客はいない。わらわらと集まって総計14人。小室は演出変更に対応するため三脚をグッと後ろに下げ、全員が入る画角を確保した。
 撮影開始、終了。小室が動画を確認して「OKです、クランクアップ!」というと、皆が一斉に歓声を上げて拍手をした。なんだか学園祭みたいだ、とみなもは思った。
 野田がポンと手を叩いて皆に告げる。
「さあ、我々は一旦仕事に戻ろう。完成したら上映会ね」
 15時を少し過ぎていた。ここから小室の編集作業がはじまる。撮影は小室がシャッターを押してそのまま役者として登場したから、パンやズームといったカメラワークのない固定撮りだ。解像度を犠牲にすれば同じ事は編集作業で行える。みなもは横でその作業を、まるで魔法を見るかのように眺めていた。
 50分後、作品は完成した。

        *

 小室の声でタイトルコール。画面は「練蔵じいさんの、わしゃダマされんぞう!」の書き文字に、かろうじて高齢男性といえばそう見えなくもないみなも画伯の絵が添えられている。明るいBGMは著作権フリーで使えるネット素材を見つけてきた。
 私服の上から和服を羽織った小室が登場。カツラは少し抵抗があって着けていない。
「わしの名は練蔵、悪質商法にはダマされんぞう! さて、今日の郵便物を確認するかのう」
 手にした封筒の中からパンフレットを取り出す。ブツは適当な有り物だ。練蔵はパンフレットに思いっきり顔を近づけたり、遠ざけたり。
「これは、老人ホームのパンフレットじゃな? 優しい家族と一緒に暮らすわしには、こんなものはいらんぞう。ぽーい」擬音を口にしてゴミ箱にパンフレットを放り込む練蔵。
 そこに電話の呼び出し音。練蔵が受話器を取る。
「はい、もしもし」
「こちらは澄舞福祉協会の悪野(わるの)と申します」
 相手の声は野田だ。少し高めの優しい声音。
「はあ」
「実は新しい老人ホームを建設中なんですが」
「わしゃダマされんぞう!」
「ああ、いえ、セールスではないんです」
「セールスでは、ない?」
「はい。実はそこにどうしても入居したいという独り暮らしの高齢者がいらっしゃるんですが、パンフレットの届いた人しか申込みできなくて、困っておられます。練蔵さまにパンフレットが送られていると聞きまして、どうかお名前を貸していただけないでしょうか」
「名前を貸すだけか」
「はい、お金を出す必要はありません」
「そうか、ならダマされる心配はないな。困っている人の助けになるなら、名前を使ってもらって構わんぞう」
「ありがとうございます、感謝します!」
 電話を切ってテーブルに置く。
「ふっふっふっ、良いことをすると気持ちがいいぞう」
 再び電話が鳴る。
「はい、もしもし」
「私はあーせい厚生労働省の悪川(わるかわ)というものだが」
 野田の二役、今回は低くドスの効いた声だ。体格が大きいから迫力が違う。練蔵じいさんも少しびびった様子だ。
「あなた、老人ホーム入居権の名義を他人に貸しただろう。それは法律違反だ! じきに警察が逮捕に行くことになる」
「ええーっ!」オーバーに驚く練蔵。
「今日の午後3時までに20万円の供託金を振り込めば、警察を止められる。金は後日全額返すから、すぐに振り込んでくれ」
「はははいいっ!」と返事をして電話を切る練蔵。
「大変だ大変だ、通帳通帳、カードカード」
 練蔵が右往左往するところに、娘役のみなもが登場。
「お父さん、どうしたの?」
「たいへんだぞう、実はかくかくしかじか」
「かくかくしかじか! お父さん、それ、最近流行ってる詐欺よ!」
「ええええーっ!」
 練蔵はカメラ目線になる。情けない顔、情けない声で「わしの名は練蔵、ダマされたぞう。とほほ」
 オチのついた音楽。テーブル越しに正面からカメラを向く二階堂に切り替わる。手口の解説、ここはみなものシナリオではなく二階堂の知識と経験に任せた。
 悪質業者は人の心理の裏をかくプロ、自分はダマされないと思っている人ほど足下を掬われる。お金が絡まず名前を貸すだけという安心感、困っている人を助けたという満足感。そこに急転直下の事態が起こり、威圧的に迫られる。ジェットコースターのような感情の起伏を喚起するのが、心理コントロールの手口なのだ。加齢とともに、それに抗することは難しくなるのが自然の摂理。家族や地域の人たちの見守りが鍵となる。振り込みの前に止めるのが大事、振り込んでしまったら被害回復はとても難しい。
 二階堂のアップ。ここからは、あの台詞だ。
「でも、そこで諦めちゃダメ! 黙って泣き寝入りはやめよう!!」
 画角がズームアウトし、みなもと小室、センター職員がずらりと二階堂の後ろに並んでいる。全員で最後の決め台詞。
「消費生活センターは正義の味方、困った時は電話番号188、『だまされるのは「いやや」』まで!」

        *

 二人の作った動画は、当然ながら完成度という面では公式広報として使えるものではなかった。それでも、しばらくセンター内の閲覧スペースで上映して、来訪者に見てもらうことになった。
「正直いって、まさかこの短時間で動画作品が作れるとは思わなかったよ。私たちの広報の固定観念を離れたアプローチで、びっくりした。最小限の経費で動画が作れるなら、室長、うちもYouTubeを使った自前の動画広報を考えてもいいかもしれませんね」
 二階堂の言葉に野田は頷いた。
「そうだね。これまでの直接広報がマンネリ化して効果が頭打ちだとすれば、SNSを使った広報はこれから必要になる。ちょっと来年度に向けて考えてみようか」
 技術力のある職員が必要なこと、事務量を考えればスクラップアンドビルドによる広報手段全体の再検討が必要なことは、敢えて口にしなかった。そうした事務のリアリティは、今後自分たちが引き受けることだ。今は課題をやりきったインターンシップ生2人の健闘を称えよう。
 最後の挨拶セレモニーを予定している16時半まで、あと少し時間がある。もうじき小峠課長と河上補佐もこちらに来る手筈だ。
「三日間やってみて、どうだった?」
 野田は挨拶の頭の整理になるように二人に水を向けた。小室とみなもは顔を見合わせ、みなもが(お先にどうぞ)と掌を向けたのを受けて、小室が口を開いた。
「行政実務の幅広さを実感できたような気がします。特に、実際の悪質業者との対応を間近に見ることができて、刺激を受けました。法律の勉強って、抽象的な条文と具体的な事件の関係を捉えるんですけど、日頃は判例から法律の意味合いを理解して行くんです。でも行政や法律家の実務は、目の前の事件を解決するために法律をどう解釈して適用するか、そこが一番大事なんだなと。新鮮でした」
「さすが、三日間でそこが分かるなんて、すごい。私は法律に苦手意識を持ったまま消費室に異動してきたから、どうすれば目の前の違法行為を取り締まれるのか、散々頭を悩ませたんだ。法律の条文と、その解釈と、実務運用の蓄積に照らして、この事件は白か黒か。担当者として判断を下して終わりじゃない。それを県庁組織の意思決定にまで漕ぎつけられるか、侃侃諤諤議論してね」
 不利益処分は相手方が納得しなければ行政不服審査や取消訴訟にまで発展する。そのため処分の意思決定に際しては、そうした第三者判断にも耐えられるくらい処分の必要性・妥当性の根拠を整理しなければならない。
「ほんと頭の体操よ。最近、法律って面白いかも、と思い始めたところ」
「ああ、そういうの、ワクワクしますね。公務員になりたい気持ちが高まった気がします」
「あら、来年澄舞県庁受ける?」
 二階堂が食い気味に身を乗り出したので、小室は苦笑いをした。
「今のところは、国と五百島県庁を受けようかと」
「残念。でも、国でも五百島県でも、澄舞県庁と仕事の繋がりは割とあるのよ。もしかすると数年後にまた出会ったりするかも。試験、頑張ってね」
 続いてみなもの番だ。
「なんか似たような話になっちゃうんですけど、私も県庁の仕事って幅広いんだなと驚きました。役所がどんなことをするところか正直あまり知らなくて、ひたすら机に向かって仕事をしている事務仕事のイメージだったんです」
 秀一から聞かされる仕事の様子は華やかさもあったが、広報課の仕事は県庁の中では例外的だとも言っていた。 
「でもこの三日間、事件の被害者に対応したり、悪質業者とバトルしたり、放送局で収録したり、広報啓発のためにみんなで賑やかに動画を作ったり。本当にアクティブというか、そんな感じで。仕事って楽しいんだなと思いました」
 みなもの言葉を聞いた野田と二階堂は苦笑いをして、顔を見合わせた。
 ひとまず二階堂が口を開く。
「ありがとう、魅力を感じて貰えたならなによりよ。インターンシップとしては予定していなかった事件対応とか、ある意味で大事な部分を見てもらえたのかな。ただ……」
 二階堂はちらりと野田の顔を見た。野田が後を続ける。
「我々の日常の仕事の大半がデスクワークなのは、確かだよ。事務仕事は役所の活動を支える基盤といってもいい。ボールペンを買うのも、郵便物を出すのも、放送局との番組制作契約も、事務仕事だからね」
 野田は2人を恐縮させたくないので敢えて言わないが、例えばインターンシッププログラム自体もそうだ。学生に仕事を理解してもらって就職の選択肢としてほしい県側と、学生の就職を支援したい大学の間で、仕組みの調整を行う。次に、大きな県庁組織の中で数日間学生を受け入れてくれる所属を調整する。所属はインターンシップの趣旨に合ったプログラムを作成して、具体的な準備をする。インターンシップ本番が終わった後は、報告書を作成して人事課に提出。そんな様々な事務仕事が、この三日間を支えていた。
「感じ取って欲しいのは、そういう地味な事務仕事やメディア対応のような派手な仕事の全体で、何を実現しようといているかということなんだ。言い換えれば、役所のミッションだね。我々のミッションは……さて、なんでしょう?」
 野田がにっこりと笑って2人を見た。小室もみなもも思案顔でしばらく声が出ない。「ほら、初日に話した、あれよあれ」と二階堂が助け船を出し、小室が思い当たって口を開いた。
「消費者基本法第1条、ですね」
 多くの行政分野には「基本法」の名を持つ法律があり、その分野の根本的な理念や行政の責務と役割分担などを定めている。消費者行政におけるそれが、消費者基本法だ。みなもも初日のレジュメに書かれていたことに気付き、手元の資料をめくって目を走らせる。

消費者基本法(昭和43年法律第78号)
(目的)
第1条 この法律は、消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力等の格差にかんがみ、消費者の利益の擁護及び増進に関し、消費者の権利の尊重及びその自立の支援その他の基本理念を定め、国、地方公共団体及び事業者の責務等を明らかにするとともに、その施策の基本となる事項を定めることにより、消費者の利益の擁護及び増進に関する総合的な施策の推進を図り、もつて国民の消費生活の安定及び向上を確保することを目的とする。

「──国民の消費生活の安定及び向上を確保する、ですか?」
「うん、そのとおり」
 野田は目を見開いて顔を輝かせた。まるでひまわりのようだ。
「更に根源を辿るなら、地方自治法の「住民の福祉の増進」に辿り着く。 いずれにせよ、抽象的でしょう? その抽象的な目的を大小様々な具体的な事務が支えている。地味で面倒で大変で、時には華やかで時には危ない本当に多様な仕事を通じて、法律が行政に与えたミッションを実現すること、少なくともそう努力することが、公務員の役割なんだ」
「勉強になります。日々の実務が忙しくて、そういう理想を忘れがちになるのが、つらいですね」
 横から二階堂が殊勝な顔で頷き、皆が笑った。
「そうだね、理想と現実が一致しないのは世の常。初日に「60点でも成功」って誤解を招きそうな言い方をしたけど、それもまた公務現場の現実だよ。そういうところも含めて、二人には、自分の進む道を考えるきっかけにしてもらえればいいな」
 澄舞県庁生活環境部生活環境総務課消費生活安全室の野田彌室長と二階堂麻美主任は、これから社会に出る二人の学生に心からの笑顔を見せた。香守みなもと小室隆朗は、やはり笑顔で「はいっ」と大きく応えた。

        *

 やがて小峠美和子課長と河上直補佐が姿を現し、セレモニーは5分ほどで終わった。拍手の中を小室とみなもは出口へ歩み、澄舞県消費生活センターを退室した。
 エレベーターで1階に下りる。澄舞駅まで歩くという小室は南玄関へ、県庁前でバスに乗るみなもは北玄関へ向かうことになる。
「それじゃあ、お疲れ様」とみなも。
「うん、お疲れ様」と小室。
 言葉少なに二人は別れた。一期一会。大学も、専攻も、おそらく今後の進路も違う二人は、よほどの縁がない限りもう会うこともない筈だった。

<続く>

--------以下noteの平常日記要素

■本日のやくみん進捗
第1話第25回、6,091字から501字進んで6,592字でドラフト脱稿。ゼミシーンの前にワンクッションみなもの思考を整理する場面が欲しいと思ったので、ここで一旦アップすることにした。次回いよいよ最終回。

■本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
【累積325h15m/合格目安3,000時間まであと2,675時間】
ノー勉強デー。

■本日摂取したオタク成分
『惑星のさみだれ』第22話、ビスケットハンマーを砕いた後の戦闘。やはりアニメーションとしての出来(構図・動きなど演出全般)は残念なのだけれど、生き残った者たちの総力戦とその果てに訪れる分裂の流れは、いいんだよねえ。『ブルーロック』第10話、久遠のもろファウル、ありなん? 『SKET DANCE』第19~22話、合コン会わろた。笑えて泣ける楽しい作品だ。人気があったのもわかるな。

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