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セックスとジェンダーに関するJ.K.ローリングの声明

 2020年6月6日におこなったツイート(文中で説明あり)のために、作家J.K.ローリング氏には世界中のトランス権利活動家から大量の批判ならびに脅しの言葉が送り付けられるようになった。映画化された彼女の作品への出演俳優複数も、彼女に対して批判的な言葉を表明した。
 6月10日、彼女は以下の文を公表し、自分がなぜあのツイートを行ったのか説明した。
 この文も新たな非難の的となり、日本の著名な学者やライターも彼女を差別的とする意見を表明している。しかし、この文に書かれていることは、はたして本当に差別的と言えるのだろうか?

 このたび、充実した訳注とともにお送りします。これまで日本語訳でお読みになったことのある方も、ぜひ改めてご一読ください。

 

セックスとジェンダーに関するJ.K.ローリングの声明


■ 翻訳:TB
 
 すぐ後で書く理由から明らかなように、これを書くのは簡単なことではなかった。けれども、毒々しい雰囲気に覆われたこの問題をめぐって自ら説明する時が来たのだと感じている。私がこれを書くのは、そのような毒々しさを付け加えるためではけっしてない。
 
 知らない人のためにまず一言。昨年12月、私は「トランスフォビック」とみなされるツイートのせいで仕事を失った税務専門家マヤ・フォーステイターを支持するツイートをした。彼女は、性別(sex)は生物学的に決定されるという哲学的な信念が法律で保護されているかどうかについて、裁判官に裁定を求めるために、雇用裁判所に訴えた。テイラー判事はそうではないと判断した。
 
 私がトランスの問題に興味を持ったのは、マヤの事件よりも2年ほど前で、その間、ジェンダー・アイデンティティ(性自認)の概念をめぐる議論を注意深く追いかけていた。トランスの人たちに会い、多くの本やブログ、さまざまな記事(トランス当事者、ジェンダー専門家、インターセックスの人たち、心理学者、安全対策の専門家、ソーシャルワーカー、医師による)を読み、ネットでも出版物でも言説を追いかけてきた。ある面では、この興味は職業的なものでもあった。というのも、私は現代を舞台にした犯罪シリーズを執筆中で、物語における女性刑事はこの問題に興味を持ち、また彼女自身も他の人も影響を受ける年齢の設定だったからだ。しかし、別の面では、これから説明するように、非常に個人的なものでもあった。
 
 私が調査して学んでいる間、私のツイッターのタイムラインには、トランス活動家からの非難や脅迫が湧き上がっていた。これは最初に「いいね!」をしたことがきっかけだった。ジェンダー・アイデンティティとトランスジェンダーの問題に興味を持ち始めたとき、後で調べたいことを思い出すための方法として、自分が興味を持ったコメントをスクリーンショットするようにしていた。ある時、私は何気なくスクリーンショットの代わりに「いいね!」をしたことがあった。そのたった一度の「いいね!」は間違った考えの証拠とみなされ、低レベルのしつこい嫌がらせが始まった。
 
 数ヶ月後、私はツイッターでマグダレン・バーンズ*をフォローすることで、たまたま「いいね!」をした罪をさらに大きくしてしまった。マグダレンは非常に勇敢な若いフェミニストで、進行性の脳腫瘍で死に瀕していたレズビアンだ。私は彼女に直接連絡したかったので、彼女をフォローしたのだ。そして連絡を取ることができた。しかし、マグダレンは生物学的な性別(sex)の重要性を強く信じており、レズビアンがペニスを持つトランス女性とつきあわないことで差別者(bigot)呼ばわりされるべきではないと考えていたので、そんな彼女をフォローしたことはツイッター上のトランス活動家たちの逆鱗に触れ、SNS上での罵倒のレベルが一気に上がった。

※注:マグダレン・バーンズ(1983~2019)……イギリスのユーチューバーで、レズビアンのラディカル・フェミニスト。トランスジェンダリズムに対して果敢に異論を唱えたために、トランス活動家たちから猛烈な攻撃を受けた。2019年9月に彼女が悪性脳腫瘍で36歳の若さで亡くなったとき、トランス活動家たちはいっせいにそれを祝福した。


 私がこのことに言及したのは、マヤを支持したらどうなるか完全にわかっていたことを説明するためだ。私はその時までにたしか4回か5回のキャンセルをこうむっていた。私は暴力の脅しを予想していたし、文字通り私のヘイトがトランスの人々を殺していると言われたり、まんこ(cunt)やビッチと呼ばれたり、もちろん私の本が燃やされることも予想していた。もっとも、とくに意地の悪いある男は、その本を堆肥にしたと私に言ってきたが。
 
 あいつぐキャンセル行為の中で私が予想していなかったのは、山のようなメールや手紙が私のもとに殺到したことだった。そしてその圧倒的多数は肯定的で、感謝と支持に満ちたものだった。それは、さまざまな分野の、真摯で共感的で知的な人々からのものだった。その中には、性別違和やトランスの人々を扱う分野で働いている人もいて、みな、特定の社会的・政治的な概念が政策や医療行為、安全対策に影響を与えていることに深い懸念を抱いていた。これらの人々は若者や同性愛者にとっての危険性、女性や少女の権利の浸食のことを心配していた。彼らが何よりも懸念していたのは恐怖の雰囲気だ。そのような雰囲気は誰のためにもならないし、とりわけトランスの若者たちにとってはそうだ。
 
 私はマヤを支持するツイートをする前もその後も、何ヶ月もツイッターから離れていた。なぜなら、それは自分のメンタルヘルスにとっていいことは何もないことがわかっていたからだ。私が戻ってきたのは、パンデミックの渦中で無料の児童書を共有したかったからだ。すると、すぐさま、自分が善良で親切で進歩的であると信じている活動家たちが再び私のタイムラインに群がり戻ってきて、私の発言を検閲する権利があると思い込み、ヘイトだと非難し、ミソジニー的な侮蔑語で呼び、そして何よりも――この議論に関わっているすべての女性が知っているように――TERFと呼んだ。
 
 もしあなたがまだ知らないのであれば――しかし知らなければいけないものなのか?――「TERF」とは、トランスの活動家によって作られた略語で、Trans-Exclusionary Radical Feministの頭文字を組み合わせたものだ。実際には、膨大な数のさまざまな女性たちが現在TERFと呼ばれているが、その大多数はまったくラディカル・フェミニストであったことはない。いわゆるTERFの例としては、ホモフォビックないじめから逃れるために性別移行(トランジション)したいと思っているゲイの息子を心配する母親から、女性を自認する男性を女性更衣室に入るのを許可しているマークス&スペンサー〔イギリスの大手小売業者〕には二度と行かないと言った、これまでまったくフェミニストではなかった年配の女性に至るまで、さまざまだ。皮肉なことに、ラディカル・フェミニストはトランス排除ですらない。彼女たちはトランス男性を自分たちのフェミニズムの中に含めているからだ。なぜならこれらの人々は女性として生まれたからだ。
 
 しかし、TERFという告発は、私がかつて尊敬していた多くの人々や機関、組織を震え上がらせるのに十分なものであり、彼らは子供のいじめのような戦術の前におびえている。
「トランスフォビックと言われたらどうしよう」
「トランスの人々にヘイト行為をしていると非難されてしまう」。 
 お次は何? 
「玉無し野郎」? 
 生物学的女性として言わせてもらえれば、権威ある地位にいる人々は、たしかに自分の玉を生やす〔根性をつける〕必要があるだろう(それが文字通りの意味で可能なのはたしかだ。人間が性別の固定されていない生物種であることをクマノミ(clownfish)*が証明していると主張している人たちによれば)。

※注:クマノミ……大きく成長した雄が雌に性転換することで知られる魚で、トランス活動家はこの魚を持ち出して、性別が固定的でない(二形的でない)証拠だとする。あたかも人間がクマノミの一種であるかのように。


 ではなぜ私はこんなことをしているのか?
 どうして声を上げているのか?
 なぜ黙々と調査だけして、頭を低くしていないのか?
 
 この新しいトランス運動について懸念し、声を上げる必要があると判断したのには、5つの理由がある。
 
 まず第1に、私はスコットランドの社会的困窮の緩和、とくに女性と子供に重点を置いた慈善信託を運営している。とりわけこの信託事業は、女性の囚人や家庭内暴力や性的虐待のサバイバーのためのプロジェクトを支援している。また、男性と女性で大きく異なる病気である多発性硬化症〔女性、とりわけ若い女性に多く発症する病気〕の医学研究にも資金を提供している。新しいトランス運動が性別の法的定義を侵食し、それをジェンダー〔自認された性別、ないし社会的な性役割、性表現などの意味〕に置き換えようとしているため、私が支援している多くの事業に大きな影響を与える(あるいは、その運動の要求がすべて満たされた場合には、そうなる可能性が高い)ことは、私にとって以前から明白だった。
 
 第2の理由は、私が元教師で、子供の慈善事業の創設者であるということだ。それは、教育と安全対策の両方に対する私の強い問題関心につながっている。他の多くの人と同じように、私はトランス権利運動がそれらに与える影響について深い懸念を持っている。
 
 3つ目は、私はすでに言論弾圧を受けた作家として、言論の自由に興味があり、公にそれを擁護してきたことだ。ドナルド・トランプに対してさえそうだ。
 
 4つ目からは、いよいよ本当に個人的なものになってくるが、私が心配しているのは、性別移行(トランジション)を希望する若い女性が爆発的に増えていること、そして同じく、脱トランジション(元の性別に戻ること)をしている人たちが増えていることだ。場合によっては、取り返しのつかないほど体を変えてしまい生殖能力をなくしてしまったことを後悔している人々がいるのだ。中には、自分が同性に惹かれていることに気づいてから性別移行することを決めたと言う人もいる。その人の言うところでは、性別移行は、社会や家族の中でのホモフォビアに駆られていた面もあるというのだ。
 
 ほとんどの人はおそらく気づいていないが――私もこの問題を本格的に研究し始めるまではそうだった――、10年ほど前までは、別の性別に転換したい人の大半は男性だったのに、その比率が今では逆転している。英国では、性別移行治療のために紹介される少女が4400%も増大している。とくにその中に自閉症の女の子が数多く見られる。
 
 同じ現象はアメリカでも見られる。2018年、アメリカの医師で研究者のリサ・リットマンはその理由を探ることに乗り出した。インタビューの中で、彼女は次のように述べている。
 
「親たちはネット上でトランスジェンダー自認の非常に珍しいパターンについて書き記していました。すなわち、複数の友人、さらには友人グループ全体が同時にトランスジェンダーを自認するようになるというパターンです。社会的な伝染や仲間からの影響が潜在的な要因としてここに作用していることに私が気づかないとしたら、それは不注意以外の何ものでもないでしょう」。
 
 リットマンは、タンブラー〔アメリカの有名なブログサイト〕、Reddit〔英語圏の大型掲示板ニュースサイト〕、インスタグラム、YouTubeなどが早発的性同一性障害の一因となっているとし、トランスジェンダー自認の領域では、「若者たちは非常に閉ざされた反響室(エコーチェンバー)を作ってしまっている」と考えている。
 
 彼女の論文は大騒動を引き起こした。彼女はトランスジェンダーの人々についての偏見と誤った情報を広めていると非難され、罵倒の津波にさらされ、彼女とその仕事の両方の信用を失墜させようとする一斉攻撃を受けた。ジャーナルはその論文をネットから取り下げ、再掲載する前に再チェックを行なった。彼女のキャリアは、マヤ・フォーステイターが被ったのと同じような打撃を受けた。リサ・リットマンが、トランス運動の中心的教義の一つである、人の性自認は性的指向と同様に生まれついてのものであるということにあえて異議申し立てしたからだ。活動家たちは、誰もトランスになるよう説得されることはないと主張していた。
 
 多くのトランス活動家は、性別違和を持つティーンエイジャーを性別移行させなければ自殺するだろうと主張する。精神科医のマーカス・エヴァンスは、タビストック(イギリスのNHSジェンダークリニック)を辞職した理由を説明する記事の中で、性別移行を許可されないと子供たちが自殺するという主張は、「この分野におけるあらゆる堅牢なデータや研究とほとんど一致していないし、私が心理療法士として何十年にもわたって遭遇してきたケースとも一致しない」と述べている。
 
 若いトランス男性たちが書いたものを読むと、これらの人々が非常にセンシティブで知的であることがわかる。性別違和についての彼らの説明を読めば読むほど、そして不安、解離、摂食障害、自傷行為や自己嫌悪に関するその洞察力ある記述を読めば読むほど、ますます私は、もし自分が生まれるのが30年遅ければ、私も性別移行をしようとしていたかもしれないと思うようになった。女らしさの呪縛から逃れる魅力はそれだけ大きいものだった。私はティーンの頃、重度の強迫性障害に悩まされていた。もし私の身近な環境では見つけられなかったコミュニティや共感をネット上で見つけていたら、「息子の方がよかったな」と公言してはばからなかった父親の望むように自分を息子に変える気になっていたかもしれないと思う。
 
 ジェンダー・アイデンティティの理論を読んだとき、私は青春時代にどれだけ自分が精神的に非女性的であると感じていたかを思い出す。私は、コレット* が「精神的両性具有」という、自身について説明した文章や、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉、「自分の性別によって彼女に与えられた制限に憤りを感じるようになるのは、その将来の女性〔現時点では少女〕にとってまったく自然なことだ。本当の問題は、なぜ彼女がそれを拒否するのかではない。問題はむしろ、なぜ彼女がそれを受け入れるのかを理解することである」を覚えている。

※注:コレット……フランスの女性作家のシドニー・ガブリエル・コレット(1873~1954)。『コレット著作集』全12巻(1970~1980年)が二見書房から出版。


 1980年代の私には男になるという現実的な可能性がなかったので、私のメンタルヘルス上の問題と、10代の頃に多くの女の子が自分の体と格闘することになる、性的な存在としてじろじろ見られたりそういう存在として判断されたりする事態を乗り越えることができたのは、本と音楽のおかげだった。私にとって幸いなことに、女性作家やミュージシャンの作品に、私自身の「他人のような感覚」や女性であることへの両義的な気持ちが反映されているのを知ることができた。それらの作品は、性差別的な世界が女性の身体に投げかけようとするいっさいにもかかわらず、自分の中ではピンクやフリルつきが好きでなくてもいいし、従順でなくてもいいんだ、と私を安心させてくれた。混乱したり、暗い気持ちになったり、性的に感じたり非性的に感じたり、自分が何者なのか、誰なのかわからなくなったりしてもいいのだと。
 
 ここではっきりさせておきたいことは、こうだ。たしかに性別移行が一部の性別違和の人々にとっての解決策になることを理解しているが、それと同時に、さまざまな研究が一貫して、性別違和を持つ10代の若者の60〜90%が成長の過程でその違和感から脱け出すことを示していることも、広範な調査を通じて私は知っている。私は何度も何度も「トランスの人たちに会えばいい」と言われてきた。私はそうしてきた。みな魅力的だった数人の若い人たちに加えて、私よりも年長で性転換者を自称する素敵な女性とも知り合いになった。彼女はゲイ男性だった過去を公にしているが、私はいつも彼女のことを女性としてしか考えられないと思っていた。そして、私は、彼女が性転換したことに完全に満足していると思っている(し、そう強く願っている)。しかし、彼女は年長者なので、評価、心理療法、段階的な転換の長い厳格なプロセスを経てきた。トランス運動の現在の爆発的な増殖は、性別適合処置の希望者がかつて通過しなければならなかった堅牢なシステムのほとんどすべてを撤廃するよう促している。手術を受けず、ホルモン治療をするつもりもない男性であっても、今では性別認定証明書を取得して、法律上は女性になれるかもしれない。多くの人はこのことに気づいていない。
 
 私たちは、私がこれまで経験した中で最もミソジニー的な時代に生きている。1980年代には、将来娘が生まれたら、きっと娘たちの方がずっと恵まれた環境にいるだろうと想像していたが、フェミニズムに対するバックラッシュとポルノにあふれたネット文化にはさまれて、状況は少女たちにとって著しく悪化している。これほどまでに女性が貶められ、人間性を奪われているのを見たことはない。性的暴行で告発されてきた長い過去を持ち「マンコをつかんでやった」と自慢する自由世界のリーダー〔トランプ〕から、自分とセックスをしてくれない女性に怒りをぶつけるインセル(「不本意な禁欲者」)の運動、そしてTERFを殴って再教育する必要があると公言するトランス活動家に至るまで、さまざまな政治的スペクトルをもった男たちは次のことに同意しているようだ。悪いのは女たちだと。いたるところで、女は黙って座っていろ、さもないと…と言われている。
 
 私は、女性であること(femaleness)が生まれついての身体的性別には存しないという議論や、生物学的な女性には共通の経験がないという主張をすべて読んできたが、それらもまた、ひどくミソジニー的で退行的なものだと感じている。また、生物学的性別(sex)の重要性を否定する目的の一つが、女性にはそれ自身の生物学的現実性があるという、一部の人にとってはひどく分離主義的に見える考えや、あるいは、まとまりをもった政治的階級へと女性を統一するような現実が女性にはあるという――同じぐらい脅威だとされている――考えを掘り崩すことであるのも明らかだ。この数日間に私が受け取った何百通ものメールは、この掘り崩しが他の多くの人々にも同じぐらい深い懸念を抱かせていることを証明している。女性はトランスのアライになるだけでは十分ではなく、自分自身とトランス女性との間にいかなる物質的違いもないことを受け入れ、認めなければならないのだ。
 
 しかし、私以前にも多くの女性たちが言ってきたように、「女性」はコスチュームではないし、「女性」は男性の頭の中の観念ではない。「女性」とは、ピンクの脳でも、ジミー・チュウ〔高級ファッションブランド〕が好きだということでも、なぜか今では進歩的だとされているその他の性差別的な観念でもない。さらに、女性を「月経のある人」や「外陰部のある人」と呼ぶ「インクルーシブな」言葉は、多くの女性にとって人間性を奪う屈辱的なものだ。トランス活動家がこの言葉を適切で配慮があると考える理由はわからないでもないが、暴力的な男たちから侮辱的な暴言を吐きかけられた経験のある私たちにとっては、中立的ではなく、敵対的で疎外的なものなのだ。
 
 このことは、私が現在のトランス運動の結果を深く憂慮している5つ目の理由につながる。
 
 私は20年以上も表舞台で活動しているが、家庭内暴力や性的暴行のサバイバーであることを公の場で話したことはない。これは、自分の身に起こったことを恥じているからではなく、そのことを思い出し再現することが苦痛でしょうがないからだ。最初の結婚のときの娘を守りたいという気持ちもあった。私は、娘のものでもある物語の単独所有権を主張したくはなかった。けれども、少し前、私の人生のその部分を公に語ったらどう思うか尋ねたところ、娘はそうするよう私の背中を押してくれた。
 
 私が今さらこのことについて触れるのは、同情を集めるためではなく、私とよく似た過去を持ち、女性専用スペースをめぐる懸念を抱いていることで「差別者」と中傷されてきた膨大な数の女性たちと連帯するためだ。
 
 私は最初の暴力的な結婚生活からなんとか逃れ、今では本当に善良で誠実な男性と結婚し、何百年かけてもとうてい手に入るとは思っていなかった安全と安心を手にしている。しかし、暴力や性的暴行によって受けた傷は、どんなに愛されていても、どんなにお金を稼いでいても、消えるものではない。私が何度も繰り返す過敏な反応は家族のジョークであり、私もそれがおかしいことはわかっているが、私は娘たちが突然の大きな物音をひどくこわがったり、誰かが自分の背後に音もなく近づくのをひどくいやがることがないよう祈っている。
 
 もしあなたが私の頭の中に入り込むことができ、暴力的男性の手にかかって殺されようとしているトランス女性の話を読むと私がどんな気持ちになるかを知ることができたなら、そこには被害者への連帯と仲間意識しかないことがわかるだろう。トランス女性がこの世の最後の数秒間に感じるであろう恐怖を私は肌感覚で感じることができる。なぜなら私も、自分が生きていられるかどうかが暴行者の危うい自制心にのみもとづいていることがわかったときの底知れぬ恐怖の瞬間を経験しているからだ。
 
 トランスを自認する人々の大多数は、他者にまったく脅威を与えていないだけでなく、私が説明したすべての理由から弱い立場にあると思っている。トランスの人々は保護を必要としているし、保護されるべきだ。女性と同じように、これらの人々も性的パートナーに殺される可能性は高い。性産業で働くトランス女性、特に有色人種のトランス女性は、とりわけ危険にさらされている。私が知っている他の家庭内虐待や性的暴行のサバイバーと同様に、男性から虐待を受けたトランス女性には共感と連帯以外の何ものも感じない。
 
 だから私はトランス女性に安全であってほしいと思っている。同時に、私は生得的な少女や女性たちの安全性を引き下げたくないのだ。自分は女性だと信じている、あるいは女性だと感じているすべての男性にバスルームや更衣室のドアを開放したら――そして私が言ったように、今では手術やホルモン治療なしに性別認定証明書が発行される可能性がある――、中に入りたいと思うすべての男性にドアを開けてしまうことになる。これはシンプルな真実だ。
 
 土曜日の朝、私はスコットランド政府が物議を醸している性別認証法案を前に進めているという記事を読んだが、これは事実上、男性が「女性になる」ために必要なのは自分が女性だと言うことだけだということを意味する。非常に現代風の言葉を使えば、それは私にとって「トリガー」になった。SNS上でトランス活動家からの絶え間ない攻撃に打ちのめされつつも、ロックダウン下での私の本のために子供たちが描いてくれた絵に感想を言うためだけにそこにいた時、私は土曜日の大半を非常に暗い気持ちで過ごした。そして、私が20代の時に受けた深刻な性的暴行のことが頭の中をぐるぐる駆けめぐっていた。その暴行は、私が無防備でいた時間と場所で起こったものであり、ある男がその機会を利用したのだ。私はその記憶を締め出すことができず、政府が女性や少女の安全を軽視していることへの怒りと失望を抑えるのは難しいと感じた。
 
 土曜日の夜遅く、私は寝る前に子供たちの描いた絵をスクロールしていた。私はツイッターの第一ルール――けっして繊細な対話を期待してはならないという――を忘れて、女性を貶めるような言葉だと感じたものに反応してしまった*。私は性別(sex)の重要性について言葉にし、それ以来、その代償を払わされている。お前はトランスフォビックだ、まんこ(cunt)だ、ビッチだ、TERFだ、キャンセルされるべきだ、パンチと死がお前にふさわしい、等々と。お前はヴォルデモート*だと言われたこともある。その人は明らかに、これが私に理解できる唯一の言葉だと感じていたのだ。

※注:2020年6月6日、J.K.ローリングは、「月経のある人」という記事の見出しに対して、「『月経のある人』。たしかそういう人を指す言葉がかつてあったはずだけど。誰か教えて」とツイートした。

※注:ヴォルデモート……ハリー・ポッター・シリーズに登場する悪役で、闇の魔法使い。


 世間的に承認されているハッシュタグをつけてツイートすることの方がはるかに容易だ。なぜなら、もちろんのこと、トランスの権利は人権だし(trans rights are human rights)、トランスの命は重要(trans lives matter)だからだ。そして、反差別ネタ*に飛びつき、進歩派であることをアピール*してその恩恵を被るのは、実に容易なことだ。順応には喜びと安心と安全がある。シモーヌ・ド・ボーヴォワールも書いているように、「自分の解放のために行動するよりも、盲目的な束縛に耐える方が疑いもなく快適である。死者でさえ生者よりも地上によくなじむ」。 

※注:反差別ネタ……原文は「woke cookies」。「woke」は「差別問題に目覚めた」というような意味で、しばしば浅薄なリベラル派を揶揄する時に用いる。

※注:進歩派であることをアピール……原文は「virtue-signalling」。ここでは、SNSなどで、自分が反差別的で進歩的であることを周囲にアピールする振る舞いのことを指す。

 膨大な数の女性たちがトランス活動家に怯えているのは当然のことだ。私がそのことを知っているのは、実に多くの女性たちが、自分たちの身に起こったことを私に語ってくれたからだ。彼女たちが恐れているのは、ネット上に個人情報をさらされたり(doxxing)、仕事や生活の糧を失ったり、暴力を受けたりすることである。
 
 しかし、私は絶え間なく標的にされずっと不愉快に感じてきたが、政治的・生物学的集団としての「女性」を侵食し、捕食者に隠れ蓑を提供することで明らかに害を及ぼしている運動(これまでほとんど前例のないもの)に屈服することはない。私は勇敢な女性や男性、ゲイ、ストレート、トランスの人々とともに、言論と思想の自由のために、そして社会の中で最も弱い立場にある人々の権利と安全のために立ち上がっている。すなわち、若いゲイの子どもたち、不安定なティーン、女性専用スペースを守りたいと思っている女性たちだ。世論調査によると、これらの女性が大多数を占めており、そうでないのは、男性からの暴力や性的暴行を受けたことがなく、それがいかに蔓延しているかを学ぶ苦しみを経験したことのない特権的な人か幸運な人だけだ。
 
 私に希望を与えてくれるのは、抗議や組織化ができる女性たちがそうしているということ、そして彼らのかたわらには本当にまっとうな男性やトランスの人々がいることだ。この議論の中で最も声の大きい声をなだめようとしている諸政党は、危険にさらされている女性たちの懸念を無視している。イギリスでは、女性たちが党派を超えて互いに手を差し伸べており、自分たちが苦労して勝ちとった諸権利が掘り崩され広く脅かされていることを憂慮している。私が話したジェンダー・クリティカル派*の女性たちの中に、トランスの人々を嫌っている人は一人もいなかった。その反対だ。彼女たちの多くは、何よりもトランスの若者たちへの懸念からこの問題に関心を持ったのだ。そして、単に自分の人生を生きたいだけなのに、自分たちの支持しない運動の一部からのバックラッシュに直面している大人のトランスの人々にも非常に同情的だ。最高に皮肉なのは、「TERF」という言葉で女たちを黙らせようとする彼らの試みが、この運動がこの数十年見られなかったほど多くの若い女性たちをラディカル・フェミニズムに向かわせたことだ。

※ジェンダー・クリティカル派……社会的に男女に押しつけられてきた伝統的な性役割や性表現に異議申し立てをし、男女間の不平等を社会的に構築しているこのようなジェンダーの廃絶を求める立場。


 最後に言いたいことはこうだ。私がこのエッセイを書いたのは、誰かが私をなぐさめてくれる(どんなにわずかでも)ことを期待してのことではない。私はとてつもなく幸運だ。私はサバイバーであり、けっして単なる被害者ではない。私が過去のことを話したのは、この地球上の他の人々と同じように、私にも複雑な背景があり、それが私の恐れや興味や意見を形成しているからだ。私はフィクションのキャラクターを作るとき、その複雑な背景をけっして忘れないし、トランスの人々が問題になるときはなおさらそうだ。
 
 私が求めているのは――そして私が望んでいるのは――、脅迫や罵倒を受けることなく自分たちの懸念を聞いてもらいたいと願ったことだけが唯一の罪である何百万人もの女性たちに、同じような共感と同じような理解がもたらされるようにすることである。