『i-新聞記者ドキュメント』を見た。「左」の映画に見えるけど、これは完全な「リベラル」。
11月から上映されてきた『i-新聞記者ドキュメント』という映画を見てきた。上映が東京ではもうすぐ終わってしまいそうだったので、ガンバって早起きして、吉祥寺まで足を伸ばした。
先日、大学の授業で望月記者のお話を聞く機会があった。そして、それをきっかけに、僕なりに政治に興味を持つようになった。
「政治に興味を持」って数ヶ月。大学の教授などの影響を知らず知らずのうちに受けて、ツイッターのタイムラインは「左」に傾き、政権批判を見ては頷くような体質になった。そして、家で購読している読売新聞には度々首を傾けるようにもなった。(とはいえ、読売新聞だけを読んでいても、そんなに「右」な感じは強くないように思う。)
とはいえ、それは間違っているんだろうなとも思う。そんな僕は、そのことに対しての答えを求めて、映画を見に行った。
映画館につき、便器に座りながら、背中を伸ばすように頭の位置をスーっと下に下ろすと、右の鼻から鼻血がドボドボと出てきた。最近鼻時が出やすくなっていたのだが、最悪のタイミングだった。
映画まであまり時間もなかったので、ティッシュを鼻に詰め込んで、幸運にも持っていたマスクをつけて劇場に入った。コロナウイルスがなかったら僕はマヌケヅラを世間に晒していたので、不幸中の幸いだった。
というのはとても冗談だけれども、結論から言うと、僕はこの映画を見て、望月さんは当たり前のことをやっているだけなんだなと思った。
映画内で、監督の森達也氏も「なぜ普通に聞きたいことを質問しているのに注目されなきゃいけないのか」と言っていたが、本当にその通りで、望月さんは当たり前のことをやっていて、他のメディアが落ちている。破綻してしまっているのだろうということを感じた。
メディアの大きな役割として「権力の監視」というものがあると思う。政府や権力と我々一般市民の「medium」として、板挟みで大変そうだとは思うが、主権者である国民の代弁者として権力を監視してもらわないと困ったことになると思う。
作中でもテレビ?かラジオ?かの人が、「保守とか左派とか関係なく、今の政権がどうかを見るだけなんだよね。」みたいなことを言っていた。本当にその通りなんだと思う。つまり、みぎひだり関係なく、今の政治を見つめることが全てなんだと思う。
現状では、世間の分断が起こっている。そして、それはとても恐ろしいことだ。監督が最後に語ることもそのことだった。この映画はそのことを伝えようとしているものなのだろう。
しかし、それと同時に、望月さんのような「目立つ」人は分断の象徴として祭り上げられる。老人からの脅迫電話のシーンは、背筋がゾッとした。
「政治部記者の特性」や「記者クラブ」のシステムなど、聞いたことはあるものの、こうして現実として起こっている映像とともに考えると、とても疑問が湧いてくる。
世の中に渦巻く様々な矛盾や破綻を描いたこの映画は、本当に刺激的で、また、僕に現実を突きつけるものでもあった。もし僕もこのような世界に進むのなら(いや、進まなくとも、)今回感じた疑問を忘れないでいきたいと思う。
本もっとたくさん読みたいな。買いたいな。