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もしかしなくても自分に厳しすぎたのかも、しれない。

というのは、完全に中学受験時代からの悪いくせを、自分の人生の半分以上引きずっている自覚があるからです。
自分の暗い過去をひけらかすと「悲劇のヒロイン気取ってるんじゃねえよ」と、心の中で父親の罵声が響くのですが、それも父親の姿を借りた自分の人格のうちなんだろうな、と思います。

ですが、これは自分自身で俯瞰した事実として ー その通りではあったのです。

「私はダメな人間だ。何の取り柄もない。だから、勉強して、いい成績を取るくらいのことしかできない。これすら失ったら、私は本当に価値のない、どうしようもない人間だ。」
中高六年間、実は毎日毎日自分に声に出して言い聞かせていた言葉です。
今振り返ると我ながらおぞましかったな、と思います。ですが、本当に本気で、心の底から、そう信じきっていたのは確かな事実で、厄介なことにこのマインドは私の心の中に深く深く根をおろしていて、絡みついてなかなか離れません。
この自分が自分にかけた『呪い』(ほぼ呪詛とイコールだと思いますが)は、一般的な言葉にするなら『自己肯定感の欠如』だとか、『自己嫌悪』に相当すると思います。
この呪いを知らない人が、私は素直にうらやましい、と感じます。うらやましい、という日本語は『妬ましい』というニュアンスを含むことがしばしばありますが、そうではなく純粋に、すてきだな、と感じるのです。私は一度すでにこの泥沼に絡め取られている人間なので、これから少しずつ、絡みついたものを解いていく作業をせざるを得ませんが、わざわざ経験しなくてはならないことでもない(少なくとも骨が折れます)ので。

この呪いに囚われていて私が一番困るのは、実は勉強を進めるときです。
私自身は、知らないことを知ること、やったことのないことをやることがもともと好きな性分です。なので『勉強』という行為自体は、嫌いではないのです。
ですが、呪詛は私にこう噛み付いてきます。「いい成績を取れ、やるからには周りより抜きんでてなければ。失敗なんて恥だ」と。
最近は、「これができなかったら、サボったら、今度の会社で恥をかく、会社の人を失望させる、周りより劣っていて恥ずかしい思いをするぞ。ほらもっとたくさんやれよ、昨日もできなかったな、お前はもうダメだ」と他人に化けて私を苦しめるわけです。学生時代は、それが『大学受験』や『定期テスト』や『親、親戚』でした。

昔より体力が落ちたのかそれは謎ですが、ここ一週間近くそのせいで腹痛と頭痛がします。二日前は一日中激しい頭痛で起き上がれないほどでした。今働いてもいないのに、自分が自分に無意識のうちにかけ続けているプレッシャでここまで自分の体が滅入るとは想定外でした。昔はそんな時でさえ「こんなのは甘えだ、思い込みだ」で抑え込めましたが、いい加減20も半ばなのでどうにかしないとこの先が思いやられるな、と思っている次第です。

色々試していますが、今の所有効なのは、「ちょこっとでいいから、手をつける」「とりあえず本当に小さくていいから進捗を作る」です。何だかプロトタイピングかデザインの指南書に出てきそうな言葉ですが。
一度手をつけると、『何だかわからない他人の、されるかもしれない評価』のことはすっかり忘れて、その対象に集中できます。大事なことはそこで調子づいてやりすぎないこと。(ガス欠して続かないと自己嫌悪にハマってしまうので)

このnoteも、はじめは「カッコいい文章だけをアウトプットしよう」と気張っていたのですが、それは気が向いたとき、アイディアを思いついた時にやろうと思います。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!