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#35 気づかないところで手段が目的化している

※音声版は以下からご視聴いただけます!

普段、子ども・若者とかかわるユースワーカーという仕事をしながら、5歳と2歳の子どもの子育てもしている私が、仕事や日常での気づきについて発信するチャンネルです。

さて今日は、「そもそもなぜ褒めたいのかを考えるのって大事だよね」というテーマで、お届けしていきます。

タイトルで今日の結論が出てしまいましたが、最後までお付き合いください。

◯「褒めるのってむずくない?」

っていう話で盛り上がったお話です。

つい先日、ユースセンターで働く職員や学生スタッフの何人かで自主的に集まって「研修みたいなこと」をしていました。

実はあんまり普段落ち着いて、「さいきんどんなこと考えながら中高生とかかわってる?」みたいなことを話す機会がなくてですね。
ちょうどそんな話をしているときに出てきた言葉です。

「褒めてあげたい!」とか「褒めてあげなきゃ」というような観念に駆られてやっているというニュアンスではないです。

かかわる中高生たちからきいた話を純粋に「いいな」とか「すごい!」って思うことがあって。でも、「え、それすごいね!」っていう言葉だけでは、自分が思った「100すごいね!」が「20すごいね」ぐらいしか伝わっていない気がする。どちらかというとそういう話です。

◯褒めることは手段ではないか?

その話をしていて感じたことは、「褒める」ということを通して、「前向きな捉え方をしてほしい」とか「明日からまたがんばってみようかな」っていう気持ちをもってくれたらうれしいってことなのかなと思いました。

そうなると「褒める」ことは手段だなと思います。

「前向きな捉え方をしてほしい」ためにできるのは、「褒める」以外のアプローチも当然あります。

無意識のうちに、若者たちが「自分のことを前向きに捉えるため」には、「褒める」ことが必要なんだという思い込みがあったように思います。

「無意識に手段が目的になっている」

どうやら日常の意識しないところに隠れているようです。

皆さんも、普段から「あたりまえ」になっていることの周辺にそういったことが潜んでいないか、一度点検してみてはいかがでしょうか?

今日は、「気づかないところで手段が目的化している」というお話でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
では、また次回お会いしましょう!

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