「第1章 武士道とはなにか」について

新渡戸稲造によると,武士道とは

武士階級がその職業,および日常生活において守るべき道を意味する.一言でいえば「武士の掟」,すなわち,「高き身分の者に伴う義務」のことである.

ということだそうだ.この言葉が意味するところを考えをまとめるためにも自分なりに咀嚼してここに記していこうと思う.間違っていることも多いと思うのでどんどん批判していただければ幸いです.

武士という階級

そもそも武士とは封建制の始まりと共に台頭してきた職業的武人階級のことである.この階級は元来,戦闘を職業とした猛々しい素性であったと新渡戸稲造は記している.

この階級からは長い年月に渡って続けられた戦乱の世にあって臆病者や弱いものは捨てられていった.「武士道」から引用すれば野獣のように強く,極めて男性的な,粗野な連中だけが生き残った.

このように時が進み,厳選された武士は農・工・商の三種類の民の上に立つ特権階級や支配階級とされ,名誉と特権が大きくなるに従い,責任や義務も重くなった.

責任や義務に必要なもの

責任や義務が重くなるのと同時に行動様式についての共通の規範というものが必要になってきた.それが道徳的な拘束力である.武士道は権力を得た武士たちに対してこれを与えた.

ここで私が感じたことを書こうと思う.「武士道」によると武士という職業的武人階級は権力を得て,それに対する責任や義務となる道徳的な基盤を必要とした.だが私のイメージの中では人間は権力を得ると自身の利益のみを追求し,暴走するのが一般的だと思う.

もしかつての武士と呼ばれる人々が私のイメージ通りに暴走をしたならば(まあそういう人間もいたかもしれないが),武士がこのような長い間権力を持ち続けることはなかっただろう.反乱やら革命やらが起きてすぐに新たな権力者が生まれたと思う.

道徳的な拘束があったからこそ,彼らは特権階級として存在し続けることができたのではないだろうか.私が将来権力を持つかは知らないが,道徳的な拘束力を自身に課すように気を付けたい.また今権力を持ち自身のしたいようにしている人がいるのならば自身の行動を鑑み,ただちに改めることをお勧めしたい.

戦闘という忌むべき行為

暴力というのはいかなる場合であっても誤った行為だと思う.それが自身や他者を守るためのものであっても暴力をふるえばその人物は誤った行いをしたことになる.戦闘に正義もクソもない.

だがドイツの思想家であるレッジングはこう言っている.

われわれは大いなる間違いの中からでも,美徳が湧き出ることを知っている

「武士道」では戦闘という行為のなかから卑怯者臆病者というもっとも侮辱的なレッテルが生まれ,それが少年の観念とともに歩み始めると書かれている.

これこそが戦闘という大いなる間違いのなかからわき出した美徳である.

まとめ

今までごちゃごちゃととりとめのない文章を綴ってきたが,要約すると武士道とは

封建制のなかの武士という特権階級に与えられた道徳的拘束力

だと思う.また私はこの章のみからでも2つの大きな教訓を得られた.

・権力を持つのならば自身に道徳的拘束力を課すことが必要である.
・大いなる間違いからも美徳が生まれる.

次は2章の「武士道の源はどこにあるか」について書こうと思います.
批判等あればコメントしてくだされば幸いです.

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