カウントダウン

 わたしのこと1

二年前に原因不明の疾患が判明してから
わたしの人生は少しずつ視点を替え
不安な夜を過ごしたこともあるけれど
なにかワクワクと生きる目的が灯したように前向きにそれ以前より過ごせている

 ココロが落ち込むことはあってもストップしたことは無かった

 現代医学では解明されている遺伝子レベルでも異常は無かった=現代医学ではまだ発見されていない遺伝子の問題なのではというのが担当医の見解です

ということは
それはワタシの好きな分野
人体を探る民間療法

 普段からいたしていることもセラピストとして人のお身体やココロの不思議を研究するのがワタシの一部となっていて
ちょっとした不調和はほぼ自分でさすったりオイルをつけて流れを改善したり
 薬アレルギーもあるのでちょっとした風邪などには精油やツボ押しなどで治していて

不思議なことに原因不明を探すための半年以上の病院巡りではさすがにその気(自然療法や民間療法)も起こらずにただただ検査をして結果を待ってを繰り返し身を委ねていた

現代医学ではなにの薬も施しも今のところは無いという担当医からの言葉を耳にした瞬間に
ワタシの頭の中では
 民 間 療 法
ピカーッとその言葉が頭の中で輝いておかしなものでわくわくしてきた
前述したような普段の過ごし方からみてなぜ今までこのことを思わなかったのかの不思議
私には手に負えない自分の一部ではなく外部の異質なものと思っていたのでしょうね

それからは色々と調べ
民間療法の父と呼ばれるエドガーケイシーの存在はいたしている施術とも通ずるものがあり認知はしていたのですが自分の疾患と絡めて学ぶととても興味深くケイシー療法のひまし油療法や食事、クラニオセイクラルによる背骨の調整などを受けてセルフでも少しずつ出来るようにし
コツコツ毎日続けて今日に至ります

ケイシー療法にカラダの不調和からたどり着く方はそのうちそのカラダに現れた現象がココロやカルマに繋がると気づきココロのことを追求するようになると日本エドガーケイシー協会の光田会長さんがおっしゃっていた

もれなくわたしもそこへ辿り着く

 ケイシー療法に限らず色々な視点から自分にあったもの やりやすいもの 好きだなって思うカラダとココロに良いと思うもや考え方を取り入れた

見た目は変わらずに過ごしていますが
日々、中身は忙しい
呼吸するときも歩くときの視点も
自分のためにすることが色々とあるから

それはこれまでに無いこと
自分のためにこんなに時間をかけて取り組むことって今まであっただろうか

ないわー

自分の好きを追求するためと思っていたしていたことも突き詰めると

子供のため
親のため
仕事のため
生活のため
いいな~って思われたいため

なにかの名目がいつもそこにくっついていた気がする
もちろんその時代の流れや、その時の環境で必要な体験だったと思っているけれど
振り返ると
なんと懸命に本来のわたしに鞭打ってガンバっていたことか。。。

少しのストレスも見逃さないように
本来のワタシの声に耳を傾け
日々その声を聞けるように研ぎ澄まして過ごすようになった

ほんの些細なココロの声をつぐむ

現実は追求すればするほどに色んな試練を天はお与えになる。。。
これもトライしてみて
乗り越えられる時期が来たよと言わんばかりに
緩やかだったわたしのパターンから急激に動き出したようだ

カラダは有り難いことに痛みのある症状は無く
お蔭様で前と変わったこともあるけれど
普通に生活もライフワークの施術もさせてもらっていて
定期検診の血液検査での数値も以前より良くなっている

まだまだ
目の前で起こる日常の現実にあたふたすることは
あるけれど着実に前と違う選択をするようになってきている
2年が経過しようとしているつい最近も
久しぶりにムカッと怒りが浮上しまして。

思考が動き出す
「なんでこの人はこうなんだ💢」をモヤモヤモヤモヤ考え始めたときに
ェエエ〜イ
その出来事を考えるクセはやめてしまえっ
考えたってどうにも変わらないんだから!
負の塊を大きくさせるだけ

ココロに叱咤(激励込めて)して
(勢いが無いといつものパターンに流れる)


この2年間ココロと真剣に向き合っては
以前のワタシの思考グセに戻る、を波のように繰り返し模索した結論というのはとてもシンプルで

なんのために生きるのか
私が世の中に奉仕できることってなんだろう
は全て愛に繋がっているとフンワリ認められるようになってきて

それもまだまだ現実に引き戻されては
ジタバタしているのですが。

フンワリ
やんわりと
愛を受け入れられるようになってきた
前の私は愛と言葉にするのも恥ずかしくむずカユさを感じていたから
どこかで気軽に発してはいけない言葉と観じていたし今でも親や子供に愛しているよって素直に表現できないです

なので
この空間に「愛」を記入できることはかなりの進歩

先ほどの怒り爆発の時
思考が動き出したときの「ぐるぐるの芽」の成長力は素晴らしく速くて
なぜそう考えるの?わたしは悪くないのに!の恨み辛みの勢いは止まらない
ところをなんとかブレーキを踏み
やーめた
私は愛を生きるってせっかくここまでやってきてフンワリココロがわかってきたところなのに
元に戻るなんて

もったいない
愛のカードを選ぶぞ
そのカードからスタートさせて日々を織り成すんだ
怒りのカードから生まれた道のりは選ばないよ


そう思考に言い聞かせた

先程までのグルグル回る思考はまるで
それを手玉にとる予定で忍び込んだのに
「あーあバレちゃった」
と言わんばかりに何もなかったかのようにピタリと静かになった
そんなある日の些細な朝のワンシーン


その時 ふっと
ストップウォッチのボタンを押したという閃きがあった
なにかがスタートしたように腹の奥で知らせてくれた感覚を忘れない


この小さな日常から
スタートしたんだな
と。

スタートというかカウントダウンが始まった
なににカウントなのかはよくわかりませんが
わたしの歩む道のりの待っていてくれる人生が向こうでポチッと押して
やって来るのを待っている

のか

大きななにかがそこで待っているのか

2024.5のはじめ
防備録つづく