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【青春推理】遅刻

後輩の女子生徒・木曽島蒼はなぜか毎朝、反対側のバス停に立って逆行きのバスに乗る。そして毎朝学校に遅刻するのだった。中学時代は遅刻なんて一度もなかった彼女がなぜ? 逆行きのバスに乗る理由は?

 七時五十分。バスが来るまで、あと十分。僕は背負った鞄を肩から下ろした。通勤・通学ラッシュだというのに行列はなく、朝の慌ただしさなど欠片もない。地元のおばあさん一人と、観光客らしき若い男女が一組いるだけ。だから、バス停にはどんなにギリギリに来ても、二つ横に並んだ長いベンチに座れる余裕はあった。それなのに僕は、毎朝十分前にはバス停に来ている。

 ベンチに腰を下ろした僕は鞄を開けた。中身を確認する。家を出るときにも何度も確認したはずなのに、授業に必要な教科書やら提出物をもう一度確認しないと気が済まない。

 バス停に屋根が取り付けられるようになったのは、つい二年ほど前のこと。ベンチなどという気の利いたものなんて以前はなかった。

 テレビドラマのロケ地に選ばれた影響で、観光客が瞬間的に急増したことを受けて新設されたものらしい。もっとも、脚光を浴びたのはほんの一瞬のことだったけれど。

 ベンチは充分に余裕があるのに、若い男女は無言で突っ立っている。どちらも座ろうとしない。地元のおばあさんに話しかけられるのを警戒しているのか、視線もバスがやって来る方向をずっと見続けている。いくら朝日が眩しいとはいえ、一度もこちらに視線を向けないなんて。首が疲れるんじゃないかと、こっちが心配してしまうほどだ。

 一分が経過したとき、同じクラスの藤木沢佑馬が疲れた顔に重い足取りでトボトボやってきた。「眠い」と半ば目を瞑っている。立ったまま、そのまま意識が遠のいて倒れてしまいそうになって、すとんっ!――あわててベンチに腰を落とした。

「大丈夫?」僕は声をかけた。

「お、その声は三年二組の四季之目淳史(しきのめあつし)君だね」最初から分かっていたくせに、藤木沢はわざとらしく目を瞑ったまま言った。「昨日は遅くまでゲームをやっててね。おかげで疲れっちゃったよ」泊まりがけで残業してたみたいな言い方をする。

 彼は「昨日」と言ったけれど、おそらく日付はまたいでいるだろうから今日だ。あえて指摘するつもりもないけど。

「最近、早いね」僕は言った。「心境の変化でもあった?」

「そんなことないよ」藤木沢は即座に否定した。「僕は生まれつき真面目な男なのさ」

 以前は、遅刻の常習犯だったくせに。

 反対側のバス停に、一人の女子生徒が立っている。同じS県立城和学園高校の生徒だ。毎朝同じ時間に見かけるけれど、一度も同じバスに乗ったことはない。というか、反対側のバス停って……。

「なあ、藤木沢」僕は隣りで目を瞑って、ごにょごにょ独り言をつぶやいている藤木沢に声をかけた。

 エモーショナルな気分に浸っていた藤木沢が爽やか笑顔で「何だい? マイフレンド(普段はこんな呼び方なんてしたことない!)」

「あいつ、知ってる?」

「木曽島蒼(きそじまあおい)だろ? 一年の。書道部の」目を開けることもなく(いや、細目か?)言った。

 僕が思うに、藤木沢もずっと彼女のことが気になっていたらしい。僕は彼女の名前までは知らなかった。

「あいつ、どうしていつも反対側のバスに乗るんだろうな? 逆方向だろう。学校とは」

「噂だと、いつも遅刻して来るらしい」

「そりゃそうだろう。わざわざ逆方向に乗ってんだから」

 反対側のバスが来た。こちらのバスより八分早い。

 逆行きのバスに乗った場合、同じバスに乗ったまま学校へ行きつくことはない。必ずどこか別のバス停で下りて、そこから反対側のバスに乗らなければ学校へは辿り着けないのだ。

 それなら、木曽島蒼は毎朝反対側のバスに乗って、どこへ向かうのだろう。それも、毎朝必ず遅刻してまでというのは解せない。

 逆方向へ向かうバスはやがて、まばゆい光にかき消されて見えづらくなった。こうして彼女は、今日も学校に遅れて来るのだろう。

「中学の頃は、遅刻なんて一度もなかったらしい」藤木沢が言った。

「よく知ってるな」僕は感心した。

「人に聞いたんだ」と、藤木沢はぶっきらぼうに答えた。

「紙袋、持ってなかった?」藤木沢が訊いた。木曽島蒼のことを、まだ言っている。

 確かに彼女は手に紙袋を提げていた。それも大事そうに。通学用の鞄とは別に。

「ああ、持ってた」よく観察してるな――と、僕はまた感心する。「でも、どうしてそんなことを?」

「ただ、何となく」と彼は答えた。

「そうか」僕はうわの空で返した。別に、深掘りするほどの話でもあるまい。

「あの紙袋の中、何が入ってると思う?」

「知るかよ」と、僕は言った。

 僕は意外だと思った。他人に興味を示さない藤木沢が、珍しく後輩の女の子の話題を続けようとしている。

「書道部の奴に聞いたんだけどよ」と藤木沢。「あいつの両親、あいつが幼い頃に離婚してるらしい。で、父親に引き取られた。で、いまは別の人と再婚して新しい母親がいる。ほら、S大学病院の近くに定食屋があるだろ。そこで働いている人だよ」

「へえ……そうなんだ」

「書道はなかなかの腕前らしい。元々、産みの母親が書道の先生でな」

「よく知ってるな」

 どうして後輩の女の子の情報を、こいつはそこまで掴んでいるのか?

「人に聞いた話だ」と藤木沢はあいかわらずぶっきらぼうに答えた。

 僕は一つ疑問が湧いた。「幼い頃に母親と別れても、書道はうまいんだな」

「会いに行ってるんだろう。父親に内緒で」

「なるほど」

 そんなものかもしれない。母と子の関係なんて、書類手続き上で簡単に割り切れるわけない。

「一度、遅れて登校してきた木曽島と廊下でぶつかったことがあるんだ。急いでいたからな、あいつ」

「そうなのか」だから何だ?――と僕は思った。

 藤木沢は続ける。「そのとき、木曽島がカードを落とした」

「カード?」

「コインランドリーのポイントカードだよ。たぶん急いでて、そのまま手に持ってたんだろうな。きっと直前まで使ってたんだ」

「どうして朝にそんなもの持ってるんだ?」

 別に女子高生がコインランドリーのポイントカードを持っていたとしても不思議ではない。

 ただし、朝の早い時間に使っていたというのが引っかかる。それも、毎朝学校に遅刻してまで。

「書道部だから、墨で服が汚れるからか?」

「いや、それなら学校が終わってからでいいだろう。わざわざ翌朝になって慌てて洗濯する必要はない」藤木沢が否定した。

 それは、その通りだ。

 しばらく沈黙が流れる。

 若い男女はさすがに首が痛くなったのか、ベンチに腰を下ろした。隣りにいたおばあさんが男女をチラッと見て視線を固定した。

「あれ、あんた!」おばあさんが大声を出した。若い男の方がギクッとして、手で顔を覆い隠そうとしたが、その手をおばあさんが払いのけた。「あんた俊太郎だろう? 来宮(きのみや)さんところの俊ちゃん!」

「は、はあ……ははは」若い男が仕方なく肯いて笑う。

 どうやら知り合いだったらしい。地元の青年が彼女を連れて帰郷したが、知り合いにはあまり見られたくなかった――そんなところだろう。

「なあ、四季之目」藤木沢が唐突に言った。

「何だよ?」

「木曽島蒼が逆行きのバスに乗って学校に遅れてくる理由と、あの紙袋の中身は関係があるかもしれない」と、藤木沢が真面目な顔で言った。

「そうなのか?」僕は間の抜けた声を出した。藤木沢の彼女に対するこだわりの強さに驚くのと同時に、どうでもいいという感情が交錯する。

「あの子のお母さんは、いま病気なんだと思う」

「え?」僕は驚いた。どうでもいいという考えは一瞬でかき消された。

「いや、これはあくまで俺が勝手にそう思ってるだけなんだけど」と藤木沢は念を押す。「木曽島のお母さんが倒れたのはおそらく、あいつが高校に入学してすぐだ」

「そう、なのか……」

「木曽島のやつ、毎朝お母さんのお見舞いに行ってるんじゃないか」

 確かに逆方向のバスは、S大学病院前にも停まる。また彼女が遅刻するようになったのは、高校生になってからだ。中学生の頃は一度も遅刻していなかったというから、その通りなのかもしれない。一応、筋は通っている。だけど……。

 しかし、だからといって彼女のお母さんが入院しているとは限らない。

「他にも根拠はあるよ」と藤木沢。「S大学病院の周辺には、あのコインランドリーの系列店がある」

 そういうことか――僕は理解した。そこならポイントカードが使えるはずだ。

 藤木沢が話を続ける。「きっと紙袋の中には、お母さんの新しい着替えが入ってるんだ。病院に行った彼女はお母さんが使った服や下着を受け取り、近くのコインランドリーで洗濯を済ませる。それから学校に」

「だから毎朝遅刻するのか?」

「たぶんね」藤木沢が、ゆっくり息を吐いた。

「でも、それだったらなぜ放課後になってから行かないんだ? 学校が終わってからの方が、ゆっくり見舞いに行けるだろう。わざわざ毎朝学校に遅れなくてもいいんじゃないか?」

朝じゃないとダメなんだ!」藤木沢が急に声を荒らげた。「見舞いに行くところを絶対に見られたくない知り合いがいるんだよ。あの近くに!」

「見られたくない知り合いって?」

新しい母親だよ」と藤木沢。

(あっ!)僕は気づいた。確か藤木沢の話によると、木曽島の新しい母親は、S大学病院近くの定食屋で働いているのだ。

 あの定食屋の営業時間は確か、午前十一時頃から始まって、夕方になるとそのまま居酒屋に切り換わるシステムだ。つまり木曽島蒼が新しい母親に見られるリスクを避けてS大学病院に行くには、学校へ行く直前のあの時間しかない――そういうことになる。

「なあ、藤木沢」僕は気になっていることをぶつけてみた。「お前さあ、あの子のことが好きなの?」

「さあね」藤木沢はとぼけて、そっぽを向いた。その視線の先にバスが見えた。僕も藤木沢も鞄を持って立ち上がった。

 藤木沢はきっと木曽島蒼のことが好きになったのだ。きっかけは、廊下でぶつかった瞬間かもしれない。そのときから彼は、木曽島のことが気になり始めた。そして彼女の知人に、彼女の身の上を聞いてまわった。

 たぶん、その頃からだ。去年まで遅刻の常習犯だった藤木沢が、バスが来るより十分近くも早くバス停に来るようになったのは。反対側のバス停に立つ、木曽島蒼を見るために――。


(完)

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