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嫌いなんだよ、お前らみたいな奴。

毎日の呪いについて話したけど、どこかで読んだことを今思い出したのでノートを開きました。

嫌いな人を追いかけるのは一種の自傷行為

この文章を読んだときに、もう、言葉が「あー!ね!」しか出てこなかった。メンヘラはメンヘラのまま人生終えるのか?私はずっとそのまま生きていくの!?ともう笑うしかなかった。

私が実際自傷行為をしていた頃のことを思い出すと、ストレス発散もあったけど何より他のことを考えなくて済むってことが大きかった。何かに集中している時間って、時間も過ぎていくし嫌なことから何から全て頭の中から排除できた。それが食べることであったりする人も居ると思う。

嫌いな奴のSNSを見たりしている間もそうだと思う。嫌いという気持ちで頭を埋め尽くしてただ集中できる。呪いに集中できる。他人から見たらなんて無駄な時間だろうと思われるかもしれないけど、この時間を終えた後はめちゃくちゃすっきりする。健康的では無いけれど、同じ快感を味わうことが出来る事が他に無い。

食べること、歌うこと、飲むこと色々ストレス発散方法はあるけれど、どれも感覚が違うので置き換えがきかないのだ。食べることが一番近いかもしれない。というか一番の発散方法は食べることかもしれない。食べる、って生きていくのに必要なことだから罪悪感も無いし、無駄な時間を過ごしたって気持ちも抱えにくい。飲むのは度が過ぎた時に大変なことになるし…。

めちゃくちゃにドロドロした感情で埋め尽くされて、自分の呪いに飲み込まれていく瞬間がたまらなく好き。こうやって書けば書くほど不健全で笑っちゃうけどやめられない。やっぱり呪いの力は絶大だ。

普段から何をそんなに考えているのかと言われると特段たいしたことは考えていないけれど、何も考えなくて良い、何もしなくて良い時間ってすごくストレスフリーな瞬間じゃないですか?何もしていない時間に罪悪感を感じて、でも動けなくてみたいな時が本当に地獄。何もしないことを許されている時間がもっとたくさんあれば良いのになと思います。まあそんな時間が無くったって何もしていない時はあるんだけど、その時間にも罪悪感があるわけで…ってこれも人から見たらただの我儘なんでしょうけど。

こうやって文章に起こすようになってからは少し健全になったように思います。どんなカタチであれ残すことは大事だし、誰かが見ていてくれるかもというのも自己顕示欲高め人間からすると結構精神的に良い。ここ最近は割と穏やかなんですが、そんな時の私は大体こういうことをして穏やかさを保っています。いろんな人が居ますね!

私も貴方も、今日を生きて偉いね!

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