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秋の晴れ空

今日は家を出たら空が突き抜けるように晴れていて、肌寒くて、しっかり冬が訪れたのだなと思いました。毎年冬は憂鬱なのですが、今年は少しばかり元気に過ごせそうな気がしています。

さっき店の前をおばあちゃんが5、6人で通って、ふと亡くなった祖母のことを思い出して心がぎゅっとなった。涙が出そうになって、おいおい情緒どうなってんねんと心の中でツッコミを入れて事なきを得た。

最近は丁寧な生活にも飽きて、ジャンキーのようにゲームに明け暮れています。寝て起きて仕事に行き、帰宅してシャワーを浴びてゲームをして寝る。休日は何もなければ起きてゲームして寝るのみ。でも友人と話しながらやるゲームは結構精神衛生上良い。人と気兼ねなく会話をするのは良い。

全然関係無いけど、この間オンラインでマーダーミステリーをしまして。自分の役がそれはそれは優しい宇宙生命体でした。なんだか感情移入しすぎてRPの時にぐすぐすと泣いてしまった。自分のマダミス史に残る良いシナリオでした。私は人に優しくしたいのだなと思った。疑うより責めるよりも、優しく生きて死にたいものですね。


話は戻りますが、ぐっと涙を堪える時とかって感情を一瞬「無」にする訳じゃないですか。私は割とそういう風にしがちなんですが、それがいきすぎると本当に無意識に感情を消そうとしてしまうんですね。前にもこんなことをノートに書いた気がします。
悲しい、苦しい、辛い、とかそういう感情に振り回されたくなくて、何も考えないようにしてしまう。それが正解だって思っていたけどそうじゃない。
もしかしたらそれが正解な人もいるかもしれないけど、私はそうじゃなかったと思っています。

一緒にポジティブな感情まで薄くなってしまったり、何かを作り上げるために必要だった負の感情や闘争心みたいなものも失ってしまった。出来るだけひっそり、静かに、けれども満足のいく生活をしたいみたいな、謙虚に強欲みたいなひっちゃかめっちゃかな人間になってしまいました。

映画をあまり見る気にならなくなってしまったのもそれが大きいと思っています。映画は感動したり衝撃を受けたり、良い意味で感情が動くものだと思うのですが、それすら嫌になってしまったんだと思います。そんな私がまだずっと支えにできているのは音楽です。私から音楽が抜けてしまったらどうなってしまうんだろうとたまに不安になります。

あとはこういうところでたまに書く文章かなあ。下書きに少し書いてはやめてを繰り返したものが随分と溜まっています。でもそれらは今更アップするような内容でも無いので、たまに自分で読み直したりしています。

店内BGMが今日はなんだか優しい曲続きだったのでなんだか書きたくなりました。特に意味のない、ためにならないもので恐縮ですが…。

誰かが見ていてくれるということは、生きる糧になりますね。

皆様良い週末を。


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