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簡単な小説講座

 小説を書き上げるのって大変ですよね(挨拶)。

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 小説を書くのは大変ですけれども、楽しいですよね。これといった労力も掛けず、技術力も必要とせず、敷居も低くて、とりあえずテキストが書ける環境だけあれば誰にだって小説は書けます。小説は、物語は、文学は、全人類にとって平等な媒体なんですよ。書く行為だって、読む行為だって、万人にとって平等です。誰だって書けるし、誰だって読める。お金がなくても、生活が苦しくても、図書館という公共施設がある限り、全人類に平等に与えられた娯楽、それが小説です。
 さておき。
 小説を書く上で、一番の難所って何かと言えば、「書き終える」という一点に尽きると思います。それ以外の問題点は些細なことに過ぎません。が、一応補足的に、小説を書く上で「大変」と思われる箇所についても、簡単にさらっておきます。具体的には、「綺麗な文章が書けない」「文章量が稼げない」「魅力的なキャラクターが書けない」「台詞と地の文のバランスが上手く取れない」「伏線が上手く扱えない」などのことです。この辺は取るに足らない問題なので、簡単な解決方法について記載します。あくまでも僕の方法論であることにはご留意いただきたい。

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『綺麗な文章が書けない』
 諦めましょう。いや、あんまりな言い方ですけれども、諦めた方が早いです。そもそも綺麗な文章ってなんですか? 具体的な参考例がありますか? あるならその作家先生の小説を全部写経すると良いです。実際、僕は好きな作家の文体を取り入れるために、本を読みながら全部自分でタイピングしていたことがありました。実際にタイピングすると、その作家の癖というか、「この言葉、さっきもタイピングしたな」みたいなものが見えてくるので、自然と身に付けることが可能です。なので、好きな作家の小説を全部写経してください。もし、好きな作家がいないのに漠然と「綺麗な文章が書けない」と思っているだけなのであれば、それはただの勘違いです。あなたの文章は綺麗ですから、自信を持って下さい。明確な目標がない段階での自己への不満は、ただの勘違いです。全部忘れて小説を書いて下さい。

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『文章量が稼げない』
 これは、小説賞に応募しようとか考えている時に問題になる点かと思います。小説賞には大体、文章量に規定がありますから、そこに到達させるまでが大変なのでしょう。実際、僕も昔、14万字くらいの小説が書けずに苦しんだことがありました。解決策としては、キャラクター同士の無駄な掛け合いを挿入することです。「ここに隙があるな」と思ったポイントを探して、会話を長引かせて下さい。そうすればあっという間に5,000字くらい稼げます。もし、「会話が冗長的すぎて間延びする」と思うようなら、そのキャラクターは削除して良いです。無駄話が魅力的ではないキャラクターがいるのだとしたら、あとで扱いに困ります。今のうちに思い切って削除しましょう。思い切って削除して、魅力的なキャラクターを生み出して下さい。そして小説を書いて下さい。

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『魅力的なキャラクターが書けない』
 これも前述の問題点に似ていますが、「魅力的なキャラクターが書けていない」と判断出来るということは、魅力的なキャラクターを想定可能だということです。自分が書いたキャラクターの何が魅力的ではないか、1日本気出して考えてみましょう。自ずと答えが見えてくるはずです。見えてきませんか? そうですか。では例えばこういうキャラクターがいるとします。あなたは今、百合小説が書きたい。百合小説を書くために、2人の女子を用意しました。ギャルっぽい女の子と、小さな時から真面目に生きてきた普通の女の子です。そんな2人が恋に落ちる物語が書きたいです。が、よく喋るギャルっぽい女の子と対照的に、真面目な女の子はなんとなくキャラクターとして魅力的ではありません。書いていてつまらないです。どうしてでしょう? それはあなたに似ているからです。自分に似ているキャラクターは、書いていても大して面白くないです。なので、その子を語り手にしましょう。一人称視点にしましょう。するとあら不思議、感情移入出来る魅力的なキャラクターの出来上がりです。加えて、自分に似ているキャラクターを一人称視点にすると、文章量も稼げるようになります。一石二鳥ですね。分かったら小説を書く作業に戻って下さい。

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『台詞と地の文のバランスが上手く取れない』
 気のせいです。バランスが悪いんじゃなくて、話が面白くないだけです。バランスのせいじゃありません。なんて言い方をすると突き放した感じになるので、解決策について説明します。「地の文だけの小説」と「台詞だけの小説」を2本書いてみてください。多分、バランスが悪いと思っている理由は、「地の文では地の文だけ書く」「台詞では台詞だけ書く」という固定観念に縛られているからかと思います。「地の文だけの小説」と「台詞だけの小説」を書けば、自ずと答えが見えてくると思います。とは言え説明だけでは分かりづらいので、参考文章を書いてみます。

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 その時、僕は、なんでそんなこと言うんだよ、と言いながら、大月の胸ぐらを掴んだ。大月は当然、驚いた様子もなく、慌てた素振りも見せず、微動だにしないまま僕を見下ろして、なんだよ、殴るのか? と、挑発的に言ってみせた。

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「そういう……あー、ほら、なんでコップをシンクの端に置いて平気そうにしてるんだよ。肘でぶつけて落として割ったらどうするんだよ。しかも中身入ってるじゃないか! せめて流してから置いてくれよ! 二次災害に繋がるだろうが」
「うるさいなあ」
「お菓子を食べた手でリモコンに触るなって! 俺が潔癖症だって知っててやってるんだろ!? ソファに寝転がるな! お前の髪色は特殊なんだから、目立つんだよ! ていうか、ソファで手拭いてないだろうな!?」

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 こういう書き方で、短編なりを1本書いてみると、案外地の文でも会話することは可能だし、台詞でも状況説明することは可能だということが体感出来ると思います。そうなれば、バランスもクソも考えずに済みます。なんかこう、書いていて「自然」な方に、勝手に寄せられるようになります。「今、分量的に台詞が多いから、地の文を増やしたい」と思った時には、地の文に台詞を忍ばせれば良いのです。そうするとなんとなくバランスが良くなったような気がして、読みやすくなります。オススメです。では小説を書いて下さい。

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『伏線が上手く扱えない』
 これは一番簡単で、「伏線だったことにする」です。もちろん、プロットを書くタイプの人であれば事前に考えられるのが一番ですが、とりあえず思いつきで小説を書いている人は、さっき書いた文章を伏線だったことにすれば良いです。と言われてもよく分からないと思いますので、そもそも「伏線」とは何かということになりますが……「伏線」というのはつまり、ミスリードです。これは手品で使われる手法なんですけれども、例えば演者が右手にトランプのカードを持って「このカードをよく覚えて下さい」と説明している間、左手で何かが行われています。逆に言えば、左手で何かをしていることを悟らせないように、右手に注目させているわけです。小説で言えば、右手がメインストーリー、左手が伏線です。例文を示します。

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 母さんと僕が岬ちゃんが行方不明になった件について話しているところに、父さんが仕事から帰ってきた。父さんはスーツの上着だけ脱ぐとすぐに食卓に着く。入れ替わるように母さんが席を立つ。「さっき、行方不明がどうとか言ってたけど、何の話してたんだ?」と父さんが僕に問うので、僕は「クラスメートが行方不明になっちゃったんだ」と説明した。「えっ、そりゃ大変だ。まだ見つかってないのか?」と父さんが驚いた様子で言うので、「うん。まだみたい。ねえ?」と、台所に立っている母さんに向けて言う。「そうなのよ。心配よねえ」と、母さんはなんでもないように言う。「何か事件に巻き込まれているとかじゃなければいいな。でも最近はほら、パパ活とか、出会い系とかあるだろう。もしかしたら、そういう線もあるかもしれないよなぁ」と父さんが言うと、母さんは慌てたように「そういう汚い話はしないで!」と父さんに怒った。パパ活って何? と聞きたかったけれど、なんとなく聞いてはいけない雰囲気を察したので、僕は後でネットで調べてみることにした。

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 さて、この文章の何が伏線になるかと言えば、「なんでお父さんは女の子だと断定して話を進めたのか?」という部分です。会話を順当に進めると、お父さんは行方不明になった子が女の子であると判断出来る状況はなかったと言えます。ですが、もう一捻りしてみると「パパ活」という言葉に慌てて反応したお母さんを怪しむ方向にも持って行けます。慣れてくると、普通に文章を書いているだけでも「不自然ではないけれどちょっと違和感のある文章」を常に書くことが出来るようになります。「あとで掘り出せるようにここに種を蒔いておこう」みたいな感覚で、後で無視しても良いけれど、後で拾えるように違和感のある文章を書けるのです。ずるい手法ですね。
 ちなみに僕がもしこの文章にオチを付けるとしたら、「母さん」と「父さん」は婚姻関係になく、「父さん」には本当の家庭があり、「母さん」は35歳、「父さん」は53歳くらいの設定にします。「僕」は8歳くらい。不倫関係から生まれた「僕」の前で、パパ活などという言葉を使った無神経な「父さん」が許せず、「母さん」は声を荒げたのでしょう。そういう風に、書いた文章から逆算して「オチ」を考えることも出来ますし、そうした方法論で「オチ」が付くと、上記の例文は「伏線」として成立しますので、まあ伏線を書くのは簡単だという話です。余談ですが、上記の例文は「伏線」の例文でもあり、「叙述トリック」の例文でもありましたね。仮に「父さんの正確な年齢は覚えてないけれど、今年で三十五歳になる母さんよりも年上だったはずだ」みたいな文章を添えていれば、それは叙述トリックの種を蒔いたことになります。いい話が聞けましたね。実践してみたくなってきましたか? それでは小説を書く作業に戻って下さい。

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 さて、そんな風に、ある程度の問題に関しては思考力であったりコツを掴むことで解決可能なのですが、僕も唯一スマートに解決出来なかったのが『書き終える』ことです。この「文章を閉じる」という行為だけは、どうしても難しい。つまり、フォーマット化出来ないのです。なんでかって言うと、物語は始まりに対して終わりがあるので、小泉構文的に言えば、終わりは始まりに対する終わりでなければなりません。どういうことかと言うと、小説の結びというのは、小説毎に発生する独自の解釈であり、正解はないけれど、答えがあるのです。
 上記した様々な方法論のように「小説の終わりはこうやって書きます」と決めたとしても、物語の雰囲気に合わなかったりする場合もあります。なので、こればかりは僕も自分なりの方法論を見つけ出すことが出来ませんでした。
 じゃあどうすれば良いか?
 発想の転換というか、「小説を書き始める」ことは簡単に出来るのに、「小説を書き終える」ことが出来ないのはどうしてか、と考えたんですね。そこで気付きました。「小説を書き始める」時には無限の可能性が広がっていますが、「小説を書き終える」時には、最適解が一つしかないように思える。だからそれを見つけ出すのが難しいのだろう、と。
 であれば、「小説を書き終える」ところから始めれば良いのではないか、と考えました。つまり、終わりから始まりに向かって書くという方法論です。が、これは上手く行きませんでした。結局のところ、「終わり」から始まる物語にしか成り得なかったのです。むしろ、そういう小説ってよくあって、物語が逆再生しているだけなんですよね。で、結構色々考えたんですけれども、これは「手癖」であると僕は判断しました。つまり、明確な技術のない、感覚の部分だと。
 例えばギターという楽器があります。ピアノでも良いんですが、音楽にはある程度決まった「スケール」とか「ダイアトニックコード」なんていう、お決まりの作法があります。そういう作法の中で、知らず知らずのうちに身に付く「手癖」というものがあります。僕もギターやピアノを触ると、似たような雰囲気の音楽ばかり演奏してしまいます。それが知らないうちに「アイデンティティ」となり、「味」になっていくのだろうと。
 で、その「手癖」を身に付けるためにはどうすれば良いのかと言うと、残念ながら書きまくるしかありません。でも、小説って書くのは大変だし、1作書き上げるのに1年掛かる人もいるでしょう。でも僕は飽き性なので、1作に賭けることが出来ません。たくさん書いていたいのです。書くのが好きだから。であれば、未完の作品をたくさん生み出すより、とりあえずでいいから、書き終わりたい。
 そこで僕が編み出したトレーニング方法が、「書き始めと書き終わりだけを書く」というものです。アイデア出しのついでに、とりあえず小説を書き始めます。で、書き始めたら、ある程度まで書いたところで、締めの文に移ります。例文として、今日のトレーニング用に書いた文章を掲載します。

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 毎日平均して十通くらいのDMが送られてくる。そのうち二、三人は常連と言うか粘着というか、いわゆるだるいファンなんだけれど、どれだけだるくてもどれだけ鬱陶しくても「面倒なDM送ってくるやつがいる」というのはある種のステータスになるのでブロックするわけでもなく放置して囲い込むようにしている。
 正味のところ、顔が良ければ全て解決するっていう現代社会において、顔が良く生まれてしまった私は向かうところ敵なしという感じだし、今後の人生に対する焦りもなければ不安もなくて、だから逆に楽しいと思えることもあんまりなくて、昔のゲームに出てくるステレオタイプな魔王とかが世界征服を目論んだりするのって、なんか強い意志があるとか、腐りきった世の中をどうにかしたいとかではなく、単に暇だったからなんじゃないかなって変な共感をしてしまう始末だった。
 有り体に言って、私の人生は空虚で、退屈だった。
 大抵のことは自分の思い通りになるし、顔が良いという加点のおかげで、歌が特別上手くなくても褒められるし、ゲームが特別上手くなくても褒められる。自分の写真を撮るだけで褒められる。褒められることばっかりだ。それは嬉しいことでもあるけれど、なんだかたまに、無性に虚しくなる。結局自分の価値って全部、顔から始まってしまうんだっていうのが、根底にある。

 私は相変わらず、返事の来ない相手に対してDMを送り続けているし、反応がないからどんどん言葉遣いが過激になっていることも理解していたし、案外書いている文面に反して、自分の心は穏やかだということも自覚している。相手の反応を引き出すために、厄介なファンという人格を生み出そうとしているのだ。そうやって私は、相手の記憶に残ろうとしている。
 これは、私が厄介なファンから大量のDMを送られてきていたから自然と身に付いた技術なのだろうか? いや、多分違う。元々、生まれ持っていたものだ。私は厄介なファンの素質があって、粘着質で、性格が悪くて、諦めが悪くて——自分が思っている以上に、空虚な存在ではなかったらしいということを知った。
 この時間が永遠に続けば良いと願っている。
 彼女が私の存在を永遠に知らなければいい。私の顔を永遠に見ないで欲しい。私に興味を持たないで欲しい。彼女が私を厄介なファンとして囲ってくれる限り——私はほんの少しだけでも、外見とは無縁の、混じりっけのない純粋な不純を抱き続けられる。

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 こういう感じのトレーニングを、まあ週に3日とか4日とかしています。感覚的にはギターソロに近くて、ジャムセッションなんかで8小節のソロを振られた時、ソロの入りとソロの終わりがなんとなく決まっていれば、その中にある演奏はどれだけ自由でも、形になるのです。で、これに肉付けをすると、20,000字くらいの短編小説が出来上がるわけです。楽しいですね。
 というわけで、僕はよくこの「書き始めて書き終える」というトレーニングをしています。頭を空っぽにして、なんとなく書いています。普段生きているだけで色々な人間の物語を想像してしまうので、書く題材について困ることもありません。上記だって、「SNSで自撮りを載せて評価を得ているお顔の才能がある美女たちに文学的な湿度の高い感情を抱かせたら面白そうだな」という所から書いています。物語的には、ビジュアル最強の女の子が、顔も名前も知らないけれどなんか面白いことを言う人のことを好きになり、恋心を抱きつつも絶対に一生会いたくない、けど自分を認めて欲しい、認知して欲しい、みたいな歪んだ感情を抱く感じでしょうか。ジャンル的には百合小説なんだろうか。別に相手が男の子でも良いんですけれど、時世的にはそちらの方がウケそうですね。書きたくなりましたか? ではこの物語は上げますので、小説を書いて下さい。

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 小説を書くのは大変ですが、小説を書くのが大変だと思っている人にはこんな解決策があるよ、ということを伝えたくてこんなことを書いてみました。なんというか、僕は小説という文化や、小説そのものが好きなので、小説を布教したい気持ちがあるんです。上手く言えませんが、超絶面白い小説を書く才能がある人間が、YouTuberになって動画投稿に奮起していて、結局動画配信者としては芽が出ないのに頑張って続けている……とかになると悲しいじゃないですか。僕が読んだこともないような天才的な小説を書く人間が、流行っているからという理由で他の媒体に夢中になっているのだとしたら、こんなに悲しいことはない。だったら小説を書いてくれよって思います。
 だからもっと小説という文化が盛り上がって欲しい、俺が読んだことのない天才的に面白い小説を誰かに書いて欲しい、という気持ちが、最近芽生えてきています。老化による他者への期待と言えばそれまでですが、まあなんでしょう、自分が楽しむために他人の人生を狂わせたい、という話をしているだけなので、そんなに崇高な話ではありません。みんなもっと小説書いてくれ。俺が持ってる技術は全部披露するから、みんなもっと小説書いてくれ、っていう、そんな感じです。
 というわけで、小説講座というほどのものではないですけれど、僕の小説に対する考え方について書いてみました。もっとちゃんと書こうと思えば、20万字くらいの方法論みたいなものも書けるのかもしれませんが……とりあえず今回はそんな感じです。
 こういう他人の方法論とかに興味がある人が大勢いれば、たまにはこういうことも書こうかなと思います。まあその前に、例文となる小説をもっと世に出せ、という話ではありますが……。
 というわけで以上、雑小説講座でした。
 また気が向いたら書きます。サヨウナラ!

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