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私が出来上がるまで46(刺激をくれた友達Tコとの出会い)

大学へ行こうと決めたのは16の時。
今の時代、学歴社会になっていて、中卒や高卒では満足のいく仕事や給料にはありつけないと、子供ながらに感じていました。
なので、無理を言ってでも押し通して学校もかわり、進学する決意をしたのです。
もちろん学閥のことは知ってはいました。
が、学校名よりもとにかく中卒、高卒ではないこと、それが優先でした。

目的は将来の就職のためでもあったのです。
しかし、大学へ行き、人生を変えることに。
学校自体は家からもかなり遠く、母が許さないので、家から往復6時間もかけて通っていたので苦痛でした。
授業も楽しい興味あるものはなく、つまらなかったのです。
今までの義務教育時代とは違い、クラスというものもないので、友達も作りにくかった。
通学経路が同じ子と仲良くなり、たまに一緒に大阪まで帰ったりもしましたが、基本ずっと1人です。
学校では入学時に仲良くなった仲間が10人くらいいました。
しかし、毎日会えるわけではないです。
授業が被る子だけ会える感じでした。

その中でも1番初めに友達になったTコ。
Tコとの出会いが私の人生を変えました。
彼女は九州から、毒親?なのか束縛の強い母親から離れたい一心でこんなに遠くの学校に来たようです。
寮にはいっていました。
なので、彼女は寮の友達がいます。
ニコイチにならない、ちょうどいい距離感の親友になりました。
彼女は子供の頃からアメリカに憧れを持ち、アメリカ人の女の子と長年文通をしていました。
ここ、英文科にきて、英会話を学び、夏休みにその長年の文通相手のところにホームステイに行くと聞きました。
ホームステイ??海外??
私には全くご縁のないことです。
家族旅行は母の親戚のいる四国くらいしか行ったことがありません。
父が脚を悪くしていたこともあり、旅行など縁のない家庭でした。
飛行機も新幹線も乗ったことがまだありません。
ましてや海外など。

けれど、Tコの話を聞いて、自分もチャレンジしてみたい、アメリカへ行ってみたいと思うようになりました。
もちろん、母がお金を出すわけがありません。
高校ですら行かせるお金を出したくないと言う人です。
自分で稼ぐしかないのです。
アメリカへ行くんだと決めてから、アルバイトを増やしました。
真冬を省いてはビアガーデンのチケット売りがあります。
この他に、運良くスカウトされたカメラマンから回ってくるモデルたちとの仕事が単発であります。
その他に英語の家庭教師もしました。
私が高校受験用に教えられるのは英語くらいしかありません。
この時は1番自信があった教科でもあります。
これ以外に漬物の訪問販売やら、単発の仕事もバイト情報誌で探してやりました。
目標額は40〜50万円。
最低1か月は行くので、ホームステイは当時は完全ボランティアなので、無料で泊めてもらえるので、渡航費と生活費で大体これくらいあればいけるだろうと計算してました。
30万円ほど貯めていたその頃のこと。
事態が変わっていきました。

私も載せてもらっていたファッション雑誌に、夏休み中のホームステイ取材の募集の記事がありました。
もちろんこの雑誌は今でもある有名な雑誌。
募集はアメリカの4カ所で、ロサンゼルス、サンフランシスコ、メキシコ、ハワイだったと思います。
各1人。
何千人何万人と応募がくるはず。
何万分の1です。
合格するわけがありません。
学校もたいした学校でもなく、個人的に英語力がすぐれているわけでもなく、特別美人でスタイルがいいわけでもなく、何かで有名になっているわけでもありません。
ごくごく普通の女の子です。
いえ、片親だったりもするし、むしろ不利だとわかっていました。
けれど申し込むのは自由。
私は別に着々とお金を貯めていたのと、仲介の旅行会社も調べ始めてて、自力で行く頭になっていました。
なので、無理はわかっていて書類を提出したのです。

ところが

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