とある子どもの詩

※ 悲しい気持ちになるし、ハッピーエンドでもありません。苦手な方は読まないでください。
個人の想像なので、実際にはどうなのかは分かりません。

父は母の悪口を言い
母は父の悪口を言い
それを聞いた私は
どちらも自分にとってはかけがえのない親だと知っているのに
なぜこんなことを聞かせるのだろう?
と思っていた。
口に出せば
「よくあること」
と一笑にふされることを知っているからだ。

テレビでは「これが普通の家族なんだよ」と言うような内容が流れている。
成長していくにつれ、見るのが苦しくなっていった。

「普通」と「よくあること」の境界線はなんなのだろう。
自分の気持ちは「よくあること」の言葉に蓋をされるものなのだろう。

かけがえのないはず同士が
お互いに言えない本音を
何も言えないものに
聞かせてくることに
言葉にできない歪みを感じていたのに
気持ちを見ないようにして
浮かんでは消える本音の声は
次第に小さくなっていく。

幸せな記憶、悲しい記憶。
人はそれぞれを抱えながら
生きていく。
悲しい記憶に折り合いをつけたり
忘れたりしながら。
それが出来なかった子どもはどうなるのだろう?
と想像してみる。
それだけが心に残り、折り合いをつけられなかった気持ちは声もなく泣いて、
幸せな記憶はなだめようとするから影がうすまる。
泣いている人がいれば、そばにいる人間の感情は無視されてしまうのも「よくある」ことだ。

大きくなったその子は
自分の本音を聞き取る耳を持っていないから
「あなたは何がしたいの?」
「あなたはどう思っているの?」
という質問が苦しく感じられるように
なっていく。

恋人もでき、
年相応にもなれば
結婚もするだろう。

ただ、その子は
「普通の家族」
なんてものを知らない。
どこか歪なところに
無自覚な人たちの生活しか
知らないから。
きっと
自分は誰かを幸せにできないのだと
信じていた。

自分の声すら聞けない子は
人の声を聞くのも
きっと苦手で。
気持ちは通じ合わなくなっていく。
こうしたかったはずなのに。
こう言いたかったはずなのに。
伝えられない。
感じられない。

だから、作られた幸せも壊れていく。
たぶん
誰かの心が塞がれる理由は
他人の
想像を超える
長い時間をかけて
作られてしまう。
そこには
ありきたりの
「がんばれ」に
簡単に、すぐ言える便利な言葉は
響かない。
「愛」なんて簡単に言い表せるけど、
それって何?
としか思えない。

それでも
誰もが
傷を抱えて生きていることも知っている。
みんな何事かあるけど
それを隠してうまくやっている。
人は誰かと共存しないと生きていけない。
それは社会と呼ばれるけど
人の営みの一部だから。
だから、
その子も傷は見せない。
「よくあることだ」
「言い訳だ」
と言われるのは分かりきっている。

それでさ、
子どもだった
誰かの心は
今どこにあるのだろう?

#詩
#散文詩

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