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ミヒャエル・エンデが続編を書かなかった理由

『モモ』などで知られるドイツ人作家、ミヒャエル・エンデのデビュー作は、『ジム・ボタンの機関車大旅行』と『ジム・ボタンと13人の海賊』である。この2冊はもともと1冊の原稿としてエンデは書いていたが、出版に応じてくれる出版社が見つからなかった。出版社を探すこと約2年、ようやく本書を出版しようという出版社が現れ、その時、これらを2冊の別の本として刊行することが決まった。

『ジム・ボタン』は発売後に大きな反響があり、ドイツ児童文学賞を受賞も相まって大ベストセラーとなるのであった。その後の長編が代表作『モモ』だが、この間、10年の空白がある。『モモ』を発売した当時、この著者があの『ジム・ボタン』の著者であることも忘れられていた。売れ行きも爆発的ではなく、少しずつ評判が評判を呼び、最終的には世界的なベストセラーとなる。そして、次の彼の代表作『はてしない物語』が発売されたのは、『モモ』から6年後であった。これほどの売れっ子作家であり、かつ頭の中にはアイデアが詰まってはずのエンデは、筆が遅かったのか。

僕はエンデの作品をすべて読んでいるわけではないが、同じテーマで複数の作品をつくらないとエンデは言う。多くの作家が過去の作品』の続編などを書くが、彼は「自分にはそれができない」と言うのだ。その理由は、エンデ自身が物語を書くことを「冒険」と称しているからである。『モモ』にしろ『はてしない物語』にしろ、こういう物語を書こうと決めてから書くのではない。ある設定を思いついたら、それを物語として展開していく冒険に出るのだそうだ。冒険の結末は、作家であるエンデ自身でさえも分からない。『はてしない物語』は主人公が御伽の世界からの出口を探しまわるが、その出口が、エンデ自身見つからず、書き始めてから完成まで3年かかったそうだ。書きながら、出口を見つける。見つけられないと物語は完結しないのだ。処女作も「ジム・ボタン」も100枚程度の原稿を知人から頼まれて書き出したら、500枚に及ぶ長大な物語になってしまったという。エンデは「自分が物語を完成できるかどうか、わからない」状態で書くという。

この話しを聞いて、先日ボクシングの世界チャンピオンになった村田諒太選手がインタビューで語っていたことを思い出した。村田選手は、マッチメイクに関して「勝てるとわかっている選手とやっても、面白くないじゃないですか」と話していた。それは自分にとって挑戦ではなく、観客もワクワクしないと。

エンデも「わたし自身にとってとても大切なことは、わたし自身が驚かされること」と、執筆の原動力について語っている。エンデにとって続編を書くことは「冒険」ではなかったのだ。さらに彼は、「どの本を書いた後もわたし自身が違う人間になる。(中略)本を執筆することがわたしを変える」とも言っている。できるとわかっていることをやるのは挑戦でも冒険でもない。そして、冒険をすることで、以前とは違う自分に生まれ変わる。これはクリエイティブな仕事の要諦というより、人が何かを学ぶ道筋そのものではないだろうか。そして成功体験を捨てる勇気こそ、学びたい資質である。

*参考文献
ミヒャエル・エンデ著『ものがたりの余白』(岩波現代文庫、2009年)
池内紀ほか著『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』(新潮社、2013年)

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