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覚悟をもって組織に居続ける人

常々、日本経済が低迷している理由の一つとして、労働市場の流動性のなさを感じてきた。産業の変化に応じての人材の移動が少なすぎる。企業という組織も、固定された人たちが組織に固定された論理で動くため、自らの変化が乏しい。人材の移動とともに、異質な人材が交わるところから、新しい事業は生まれやすくなると思うのだ。

基本的に、人材が動き回るこのダイナミズムの価値は疑っていない。その一方で、最近、組織に居座り「背負う覚悟」をなえがしろにしてはいけないと思うことが多い。

先日、『荒野の七人』という映画を見た。もう小学生の頃から何度も見ている映画だが、見る度に刺さるポイントが違う。この映画は黒沢明監督の時代劇『七人の侍』をアメリカでリメイクしたものである。舞台は、西部開拓時代のメキシコの村。この細々と農業を営む村は、収穫の度に搾取しにやってくる山賊の存在に長年苦しんでいる。がまんの限界に達した村人たちは、山賊と戦うべくなけなしのお金をもって町に出て、ガンマンたちを雇うことにした。40名の山賊相手に戦える腕利きのガンマンはそういない。しかも報酬は6週間で20ドルと格安。それでも7人のガンマンがそれぞれの事情で集まった。

7人のうちのひとり、チャールズ・ブロンソン演じる「オライリー」は、村で子どもたちの人気者である。どこか親しみやすい性格で、山賊相手に戦うガンマンに憧れを抱く子どもたちがいつも集まってくる。ある時、子どものひとりが、ガンマンに比べ「山賊相手に戦わない親たちはいくじなしだ」となじる。すると優しかったブロンソンは烈火のごとく怒り、子どもたちに「土地と家族をもって守る責任を負うことこそ勇気が必要なんだ」と言い聞かせるシーンがある。他のガンマンもそうだが、用心棒で稼ぎながら各地を転々としてきたオライリーにとって、家族ももち家を守る責任を負うことの重さを十分に感じていたのだ。
映画の終盤は山賊たちと7人のガンマンたちとの決闘シーンである。村人たちも加わった決戦は、オライリーを含む4人のガンマンが命を落とすが、山賊退治は成功し村は平和を取り戻す。決戦が終わり村を離れるガンマンに向かい村の長老は、「農民は土地とともに生きる。あなたがたガンマンは、イナゴを吹き飛ばす風だ」と送り出す。

企業などの組織が停滞すると、その組織に居続ける人のことを、あたかも居心地のいい環境を変えないような「変化を好まない」人と決めつけがちである。しかし、背負うものを持つ人の覚悟は決して軽視してはいけない。もちろん組織の中に居座って「フリーライダー」のようになって安住している人は論外である。しかし自分の属するコミュニティを背負う覚悟で、「組織に居続ける人」の存在ははるかに重く、こういう覚悟をもって居続ける人をいかに増やすかも変化への対応に必要ではないか。

ベンチャー企業を創業した経営者の凄さの一つは、「背負う」覚悟だと思う。事業や企業は社会に継続して存在するものとして価値がある。起業というのは、最初は自分ひとりがリスクを負うことで始まるが、事業が軌道に乗り大きくなると多くの人のリスクを背負っていくことになる。ある若い起業家はその過程を「バームクーヘンのように輪が大きくなってきた怖さ」と表現していた。もはやそうなると、自分が別のことをやりたくなっても、仕事への熱意が変わっても、自分だけのリスクで「辞めた」と言えない状況になる。背負うものがどんどん大きくなるのだ。

背負うものがないからこそ出せる価値があるが、背負うものがあることで出せる価値がある。ガンマンのように、自らのプロフェッショナルとしての実力だけで生きていく生き方は確かに恰好いい。しかし、自分以外の何かを背負って生きる尊さを忘れてはいけないと思う。

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