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Living for Todayという生き方にどう迫れるか−−『「その日暮らし」の人類学』を読んで

毎日、勤勉に働くことが大切だと思う。その一方で、映画『男はつらいよ』の寅さんではないが、風来坊的な生き方にどこか憧れる。先のことを考えるのではなく、気の向くままに、思い立った場所を訪ね、好きなことをして時間を過ごす。刹那的なその自由気ままな生き方への憧れは確かに捨てがたい。

なのに僕らが「勤勉な生き方」を目指すのは、社会の信用を得て、未来の生活を約束してくれるからだと信じているからである。風来坊的な生き方では、履歴書は目も当てられない。プロポーズした相手の親御さんに挨拶する際にも相当不利であろう。住宅ローンの審査も厳しいし、賃貸でさえ制約があるかもしれない。憧れの風来坊生活を実践しようにも、今の日本社会では不都合が多過ぎるのだ。

最近読んだ『「その日暮らし」の人類学』は、このようなジレンマを抉り出し、「いまを生きる」(Living for Today)という生き方を思い出させてくれる本である。

著者の小川さやかさんは、文化人類学者だ。本書では、主にタンザニア都市部の路上商人の暮らしぶりを紹介している。タンザニアはもちろん貧しい国である。経済システムも脆弱で、企業などで務める人より個人事業主として路上の商人をしている人が多数派という社会である。そんな彼らは、仕事を頻繁に変える。儲かると思えばすぐに始めてみるし、ダメそうだとなればすぐに辞め、また別の商売に鞍替えする。新しく始める仕事も、計画性があるというより、たまたま見つかったり、知り合いがいたなど「偶然性」の要素が強い。

続けることが重視される日本人からすると、まるで落ち着かない生き方に見えるが、経験ゼロでも始めてみようとする行動力やチャンスを掴み取ろうとする貪欲さ、そして新しいことへの適応力など、たくましさに溢れている。Living for Todayという精神性は同時に変化への適応力でもある。「今日をなんとかする」ことの毎日は、どんな状況へも対応することに他ならず、リスクを平準化することより、リスクへの耐性や不確実に対応する実践知の積み上げであるう。

Living for Todayは、何も働き方だけに現れるものではない。生活や買い物全般に及ぶ。彼らは、お金をためることをせず、何か急にまとまったお金が必要になったら、友達や親戚から借りることが頻繁にある。それが常態化しているので、お互いに貸し借りの関係が無数に張り巡らせれているという。「その日暮らし」がだらしない生き方ではなく、彼らコミュニティでは当然なので、そんな貸し借りが恥ずかしいことでもなんでもないし、お互い様なのだ。

タンザニア都市の商人の話と同時に、アマゾン民族であるピタパンの話も紹介される。彼らの言語には、未来形も過去形もなく現在しか語らえることがない。また「誰かが、ラーメンが美味しかったと言っていた」といった伝文的な言い回しもなく、自分が見たもの、聞いたものしか伝え合わない。つまり、過去も現在もなく、自分が直接体験したものだけを信じて生きている。ここには過去への後悔も未来への不安もないのではないか。そして己の力を信じて、「いま」を生きるたくましさに溢れている。

ここ十数年で浸透したマインドフルネスでは、「いま」に集中することが求められる。それは裏返すと、僕らの社会が過去と未来の時間軸の中で生きることを強いられ、その生活が自分のマインドから大切なことを失わせているからではないか。純粋に「いま」に生きることが難しい我々は、マインドフルネスのような時間や習慣を「あえて」取り入れる必要に迫られているのではないか。

本書では、このLiving for Todayをインフォーマル経済と結びつけて考察している。経済のグルーバル化と市場経済化が進み、貨幣経済の力がますます増大してきた。そんなか、正式な経済システムに組むこまれない「インフォーマルな経済圏」が主に途上国で存在する。それらは不法労働であったり、不正規品の取引であったり、無許可営業などの世界である。これらの存在は本書によると特にアフリカなどの途上国では想像以上に大きく、実体経済を裏で支えるほどだという。このインフォーマル経済は、法的には違法だが、そのコミュニティでは同義的には合法という性格を持ち、今日の資本主義経済から溢れてしまったものでありながら、その経済論理と同じの仕組みで動いていると言う。つまり我々の経済から切り離されたところで存在しているのではなく、同じ経済システムの中に、その生存戦略として存在しているのである。著者は言う。

インフォーマル領域とは、(中略)主流派の労働観や人間観、フォーマルな領域を成立させている制度やルールを問い直し、それらを維持・破壊・肯定・自問させるという機能を果たすものだ。

(P.212)

Living for Todayが育まれるインフォーマル経済を、貧困経済圏の特徴だとか経済発展の過渡期的現象だと認識するのは、その本質を歪曲化してしまう。著者はこう締め括る。

わたしは、このような自律的・自生的なインフォーマルな領域を押し広げていくことに、現在と未来との多様な接続のしかた、多様な生き方を許容するオルタナティブな社会や経済の可能性を感じている。

(p.214)

さて、毎日がシステムとして不規則なく回る社会で生きる我々は、このLiving for Todayの精神性を日常に取り入れていくことができるだろうか。それはいわば、日々の喜びと未来の安定を両立させる生き方なのか、それとも未来を信じない生き方なのだろうか。システム化された社会とも言えるが、一方でVUCAと呼ばれる不確実な社会でもある。リスクへの耐性が低いとますますリスクを避けるようになり、ますます日常の平準化は強まる。「その日暮らし」は、未来への不安や想定外のリスクに塗れた世界だが、それをやりくりする「剥き出しの生」を生きることであり、生の苦しみも喜びも本来はそこになるのではないか。著者の言う「不確実性が不安でしかなく、チャンスとは捉えようがない社会は病的かもしれない」に、まさに賛同できる。


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