見出し画像

入山章栄著『世界標準の経営理論』が生まれるまで(前史)

発売されたばかりの入山章栄先生の著書『世界標準の経営理論』は、なんと832頁である。重さは984グラム、厚さも5センチ弱。しかも2900円(税抜き)という破格の価格。雑誌『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)での連載が元になってはいるが、多忙な入山先生がこれだけの大著を書き上げられたのは頭がさがるばかりだ。本書がどのように完成したか。壮大なプロセスの中で僕が知るのはその一部だけだが、この機会に書き残したい。

入山先生との出会い

入山先生のことを初めて知ったのは、今から7年前、2012年の秋に出版されたばかりのご著書『世界の経営学者はいま何を考えているのか』を読んだことだった。当時DHBRの編集長だった僕は、この書名は気になった。おまけに帯のコピーに「ドラッカーやポーターはビジネススクールで読まれていない」など、DHBRの看板執筆者に言及した内容はほっておけない。無視しようかとも思ったが、出版社が信頼する英治出版だったので、読まずにおれなかった。

実際に読んでみると、まさに意を得たりという内容だった。経営学を科学としてここまで愚直に取り組んでいる日本の学者がこんなところにいたことを初めて知った。しかもまだお若い。一度お話ししてみたいと思い、英治出版の編集担当者にメールアドレスを教えてもらい、コンタクトを取った。

当時、入山先生はニューヨーク州立大学で教えられていたので、数回のメールのやり取りの後、年明けの1月にスカイプでお話しすることになった。スカイプとは言え姿を晒すので、僕はジャケットを羽織って会議に挑んだら、現地時間の夜、画面に現れた入山先生は自宅でヨレヨレの白いTシャツ姿で驚いた。「世界の経営学者」というイメージが吹っ飛んだ。おまけに、部屋に干してある洗濯物が見えていたり、スカイプ中にお子さんが部屋に入ってきて「いま、お父さんお仕事してるからちょっと外に行ってて」などと生活感が満載である。

初めて話すにも関わらず会話は弾むように続いた。どんな話をしたのかは覚えていないが、経営学はどこまで科学となり得るのか、ベストプラクティスは再現可能かなどそんな話ではなかったかと思う。ずっと話をしていたいほどウマがあった。それから何回かスカイプをするようになり、「DHBRで連載しませんか。連載後にはそれを本にしましょう」という話をするようになった。

入山先生の帰国と連載の打ち合わせ

スカイプでの会話を経て、実際に初めて入山先生にお会いしたのは、早稲田ビジネススクールに赴任された2013年の秋、銀座の日本料理店だった。お店に入ってこられた入山先生の第一印象は「こんな大きな方だったんだ」。スカイプでは身長などがわからないものだ。実際の入山先生は僕より10センチ以上身長の高い人だった。お酒が進みグデングデンになった入山先生は、コクートという日本ではほとんど知られていない経営学者の偉大さを熱く語り出し、最後は「コクート、凄げー!」を何度も繰り返しながらこの日はお開きとなった。

それからは連載の打ち合わせを具体的にするようになる。年が明けて2014年の1月には全体の構成などを話し始めるが、この頃から「本が出来上がるのが楽しみですね」というやり取りをしていた。連載テーマが決まり、各回のイメージも固め、期間は2年ということになり、連載は2014年の9月号からスタートとなった。

連載の企画の際、入山先生と意見が違ったのは全体の構成についてであった。入山先生が持ってきた構成案は、理論ごとに章立てをするというものであった。フレームワークではなく理論を紹介するという点では一致していたのだが、僕はその構成ではビジネスを実践している読者には馴染まないと思った。企業戦略、事業戦略、ガバナンス、M&A、ファイナンス、マーケティングなどのビジネスの事象ごとに理論を紹介する構成がいいのではと主張した。しかし入山先生は「理論を柱にしたい」という強い思いがあり、こちらは半信半疑のまま入山先生の案でいくことになった。時間が経ってからではあるが、結果的に、この構成の方がよかったことに僕も気がついた。

編集担当者は「H嬢」

連載の担当編集は肱岡彩さんにお願いした。僕と入山先生の間では「H嬢」と呼んでいたこともあり、ここで本名を出すのは憚れるのでH嬢と書く。H嬢は、ダイヤモンド社に入社し書店の営業を担当した後、DHBR編集部に異動してきばかりだった。社長賞をとったこともある営業部のエースが来てくれたのだが、編集者としては経験ゼロの初心者である。おまけに学生時代も経営学を学んでいない。

DHBRという雑誌の編集には、普通の雑誌にはない独自の知識が求められる。それは読者が経営者であり、MBAの学生であり、経営コンサルタントなどのプロフェッショナルであり、扱うテーマも経営の意思決定に直結するからだ。紙面に登場するのも際立った経営者や経営学者が多く、それらの方々と、経営に関わる深いテーマでコンテンツを作るため対話をしなければならない。そのため編集の経験もなく、経営学の知識もない人にとっては学ばなければいけないことが無数にある。

異動してきたばかりのH嬢に、数千字の原稿を渡して添削をお願いしたみた。「直すべき箇所に赤字を入れてみて。自信がない箇所は鉛筆で修正を入れて」と、彼女がどのくらいこの領域に精通しているかをみることにした。文章を直すのはうまかった。編集者としての基本的なスキルがあるのはすぐわかり安心したが、経営の用語は流石に苦労していた。この原稿には「組織のサイロ化」という言葉ができきたが、H嬢は何と自信ありげに赤字で「組織のサイコロ化」と直してきた。これは思っていた以上に重症である。ここからいろんなことを覚えていかないといけないんだと思い、その道のりの長さが知れた。

そんな彼女に入山先生の連載の担当を任せた。経営学の知識を得る近道は本や記事を読むより、自ら編集する側に立つのが近道だ。僕自身、MBAの教科書の翻訳を編集した経験が、大きな知的財産となっていた。彼女を入山先生の連載担当にした表向きの理由はこうだったが、もう一つ理由があった。
いまだから言えるが、当時編集部で最も戦力として未知数だったからである。とにかく特集に実績のある人を割きたかった。特集の担当には、アイデアも新しい流れの空気を読む嗅覚もいる。締め切りギリギリになることも多く、土壇場での臨機応変さも機動力もいる。経験が少ない編集者には考えるべき変数が多いのだ。この入山先生の連載なら、僕自身が比較的得意なテーマだったので、いざとなったらサポートすればいいという考えもあった。

毎回ドタバタが続いた連載

こうして始まった連載だが、最初からドタバタが続いた。編集者の問題ではなく、入山先生の原稿が毎回遅れるのだ。通常、雑誌では特集より連載の方が進行管理が楽である。決まったフォーマットで原稿を流し込んで行けばよく、テーマも時流と無関係なので締め切りまで余裕がある、はずである。ところが、入山先生は毎回ギリギリのようで、H嬢が僕のところに原稿を持ってくるのもギリギリ。

おまけに、当時のH嬢はクオリティの判断力が弱いので、僕は思いっきりダメ出しをする。ダメ出しをされたH嬢はそれを入山先生に返すが、僕の言ったことをおうむ返しに入山先生に伝えるので、説得力がない。なので、入山先生もH嬢のフィードバックの意図が掴みきれず、二人の電話は毎回長時間続いた。不思議なことに原稿をメールでもらった後、なぜか入山先生とH嬢のコミュニケーションは電話が中心で、当時から、この長電話は編集部の風物詩となっていた。

あまりの長電話を見ていて、僕はどうしようもなくなったら電話を変わろうと思っていた。しかし、それは一度もなかった。限られた言語で必死に伝えるH嬢、そしてその頼りない言葉から核心を知ろうと辛抱強く聞く入山先生。最後はなぜだか通じたようで電話は終わる。

こんなやり取りを毎月見ていて、あることに気づいた。H嬢はどれほど僕と入山先生の板挟みになろうとも「編集長が言っているんです」と入山先生に絶対に言わないのだ。あたかも自分の意見であるかのように伝える。入山先生も入山先生で、実際には編集長からのダメ出しがあったことくらい容易に想像でき、かつ僕とも話やしいはずなのに、一回もH嬢を飛ばして僕と直接話そうとしなかった。毎月のドタバタを見ながら、僕はH嬢から言い訳をしないマインドを、入山先生からは、目の前の担当者と真摯に向き合う姿勢を学んだ。

とはいえ、入山先生の原稿は毎回面白かった。最後に必ずオチがあるのだが、それが謎解きのように読み進めないとわからない書き方をされる。「最後はどう締めるのだろう」という予想を立てさせないかのような展開にしたり、こちらの予想の裏切り「そう来たか」という締め方をされることもある。サービス精神があるのか、理論を伝えるだけでなく、読者がどう関心を持って読み続けてくれるかを無意識に考えられる才能がある。

H嬢の飛躍

連載が1年も経つと、入山先生の活動の場がどんどん広がってきた。メディアやイベント登壇も増え、ますます多忙になる。毎月の締め切りは回を追うように笑い事でなくなっていくが変化も現れてきた。H嬢の成長曲線が一気に上向いてきた。僕に持ってくる原稿の質がググッと上がってき、ケチをつける回数も減ってきた。たまに「ここがおかしい」と指摘しても、だんだん譲らなくなってきた。こういうとき、僕とH嬢の会話が以前より長くなり、成長は嬉しいが正直、面倒にもなった。一度「じゃあ、僕が入山先生に直接言おうか?」と言ったことがあったが、明らかに「ありえない」という顔をされてすぐに引き下げた。いつの間にかこの連載の編集長はH嬢になっていた。

忙しくなった入山先生と逞しくなったH嬢のコンビは、毎月のドタバタは続いていたものの、いろんな仕掛けをし始めた。

その代表例が、読者を招いた勉強会である。土日などに読者を募り2〜3時間程度勉強会を企画するのだが、実際には毎回時間がオーバーする。入山先生は話し出したら止まらない。主催者であるH嬢は、このイベントでも毎回時間との戦いを強いられ、入山先生にカンペを出して話を終えるように促すも全く効果がない。ただ参加者の満足度は非常に高く、この勉強会は何度も続き、仙台や京都、福岡などでも開催されるようになり、時間も6時間くらいにまで拡大していった。それでも時間通りに終了したことがないあたりが、入山&H嬢コンビの真骨頂である。

原稿締切もイベントの時間管理も、H嬢はあの手この手で、入山先生をコントロールしようとする。しかし根が正直なのか、バッファを持たせた締め切りはすぐにバレているようだし、最後の最後までいい原稿にしたいという入山先生の熱意に最大限応えようとするし、笑顔がデフォルトなのが災いしてか、H嬢の物言いは全く著者にプレッシャーにならない。入山先生にとっては厄介な監視役ではなく、よき理解者であり良きパートナーのようである。何度も裏切られても入山先生をリスペクトするH嬢と、何度裏切ってもH嬢を頼りにする入山先生。呼吸が合っているのか合っていないのかわからない、このコンビが微笑ましく、替えの効かない絶対的なユニットになっていた。

さて2年という約束でスタートした連載だが、一向に終わる気配がない。H嬢に聞いても毎回のように終了回数が変わる。結果的にお二人には申し訳ないのだが、2017年3月に僕が先に編集長を退任してしまうことになった。

僕がこの連載、また本書の誕生について知っているプロセスはここまでだ。富士登山に例えると、バスで吉田口に到着したくらいのようなものだ。ここから歩いて登るのが最も大変である。以後は伝聞と僕の想像である。

出来上がった本

連載は約1年後の2018年の5月号で終了、それから1年半経ち、この800頁を越す大著が完成した。毎回1万字以上の原稿を毎月4年近くにわたって書きと続けた入山先生。4年近くも毎月、綱渡りのようなスケジュールで原稿の催促をし続けたH嬢。そして連載で書き上げた合計60万字以上の原稿をプリントアウトして、二人は唖然としたと聞く。読み返すだけでも相当な日数がかかるし、これをどう一冊の本にまとめるのか。本書のあとがきを読むと、半分以上書き直し、構成も組み替えて、このような一冊の本に至ったという。一般のビジネス書は10万字程度であり、その6倍もの分量のコンテンツを再構成し、全体の流れをつくり、それぞれのパートの役割にあった文章に直し、全体として使われている用語の統一や文字校正をするなど膨大な作業があったに違いない。このボリュームになると索引を作るだけでも数日がかりだが、本書には事項と人名の2つの索引までついている。入山先生とH嬢がどれほどの熱意と労力をかけたかが計り知れない。

本書の序章を読むと、事象と理論について関係について書かれている。これを読んで、入山先生が本当にやりたかったことが心底理解できた。具象と抽象の往復こそ思考の原点である。答えのない経営課題に取り組むには、この思考の飛躍こそ重要だ。そのための武器を提供しよう。だからこそ、理論を軸に構成し、それにあった事象や事例を紹介していくという本書のスタイルになったのであろう。

800ページをこす厚さが目立つが、本書が世界で初めての経営学の教科書たる所以は、答えのない状況に意思決定を下すビジネス実務家のために、思考の武器をすべて並べた点であろう。経済学、社会学、心理学という3つの学問から派生した重要な経営理論をすべて網羅している。まさに看板に偽りがないし、何より、読者が自分が直面している事象について、本書は具象と抽象の往復思考ができるように構成されていて、関心ある章だけ読んで自らの課題と向き合えるようになっている。この画期的なプロジェクトを完遂させた入山&肱岡コンビに心から拍手を送りたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?