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生命科学の本を読んで「自分の生き様」を問われるとは思ってもいなかった

遺伝子解析の研究者でありながら、起業家でもあるジーンクエストの高橋祥子さん。前々から興味を持っていたので、新刊が出たのを知り早速読んでみた。『生命科学的思考』である。

優しく語りかけるような文章なのに、何度も読み返すことになった。さらっと書いているようで、実は一言一言、言葉を吟味しながら書かれたのではないだろうか。生命科学のことを学べる、あるいは科学的思考を学べるという期待を遥かに超えて、本書はまるで哲学書のように、時間や思考、そして意思などについて考えてもみなかった方向から問われてくる。そんな本だった。

本書は5章立てである。
1章では、生命の原則について書かれていて、遺伝子の構造など科学的に立証されたファクト、すなわち客観的な事実について書かれている。一転して2章では、人間は生命の原則にのっとった生命体だが、一方で、その原則に抗って主観的に生きる生き物であることが示される。そして、3章以降では、この生命の原則を理解した上で、それに抗う考え方について、個人、組織や企業、社会という3つの分野ごとに著者の考えが示されているのだ。

生命科学を土台とした本でありながら、冒頭から「生命の原則に抗って生きる」というメッセージだ。生命原則に「従う」のでく「抗う」とはどういうことだろう。

『利己的な遺伝子』を著したリチャード・ドーキンスは、生命の本質である遺伝子は自らの生存のために利己的に行動すると主張した。これだけ読むと、生命の本質は利己的であり、そして所詮、我々生命体は利己的な遺伝子に支配された生き物に過ぎないと思えてくる。

それに対し、生命科学を専門とする著者は、だからこそ人間は生命の原則に抗って生きなければいけないという。本書での著者の言葉は以下だ。

生命の原理や原則を客観的に理解した上で、それに抗うために主観的な意志を生かして行動できる。(P.9)

このための思考が本書のタイトルにもなっている「生命科学的思考」である。
最初から最後まで一字一句、噛み締めなが読んだ。なかでも印象的だったのは2章である。「生命の原理を客観的に理解し、主観的に行動する」ということを詳細に語ると同時に、そもそも主観とは何か、課題とは何か、時間とは何かなど、禅問答さながらの問いを発し、それらを科学的な法則を使って説明するのだ。

その中でも快楽と幸福の違いが面白い。
生命科学の視点に立つと、「快楽」とは、意欲や興奮を呼び起こす神経伝達物質の一つであるドーパミンの放出のように、一時的な生体反応によるものだと捉えることができる。人間は気持ちいいこと、楽しいことに素直に反応するようにできているのだ。これは生命の原則の一つである。

それに対し、「幸福」は「過去から現在、そして未来に予想される状況までの長い時間の中で形成されるもの」と本書では定義されている。なるほど幸福感とは、何かを成し遂げた時や以前から求めたいものに満たされた時、そして未来への希望を感じる時に得られるものだ。その感情は一時的というより、じんわりと味わえる。

ここにある「快楽」と「幸福」の違いは時間軸の違いである。一時的な「快」である快楽に対し、時間軸をへて得られる「快」が幸福なのである。

人間が幸福を感じられるのは時間の概念があるからである。それは現在を感じるだけでなく、過去を思い出し未来を想像する。その思考があるからこそ、幸福を得られるのである。

一時的な快楽を求めるだけが生命体である人間であれば、そこには達成感も他者との関係性から生まれる愛に満ちた幸せも得られない。そもそも未来への希望さえも快楽の連続から見えてこないのだ。

体に悪いと思いながら寝る前に甘いものを食べたいという快楽と、健康な体を維持するという幸せのどちらを取るか。ここで生命の原則を超えた、人間の思考と意志が関わってくるのだ。

同じように本書では「利己的な遺伝子」を元に、果たして人間は利己的な生き物であるかを問う。自己の生存を目的とする遺伝子に操られた我々は本質的に利己的であり、他人のことを思いやる気持ちはないのであろうか。これに対し著者は、利己と利他の対立概念に疑問を呈し、利他は利己の中に包含されるという考え方をとる。生命の原則は「個体が生き残る」ことだが、それの上で「種が繁栄する」ために行動するものである。次のように書かれている。

他人のためだからといって利己主義を完全に捨ててしまうと自分が生き延びることはできず、それはひいては集団のためにもなりません。このように利己主義と利他主義は相反するものではなく、利己主義を拡張して他人の利益も考えられるようになったものが利他主義であるといえます。(P.91)

つまり利他主義とは「超利己主義」でもあるのだ。

快楽と幸福、そして利己主義と利他主義。それ以外にも、時間や意志とは何かを優しいながら簡潔な言葉で綴る。気がつくと、線を引き、時には書き込み付箋も貼り続けていた。読み終えたらすでに本はボロボロだった。

自分は何をしたいのか?何を大切にしたいのか?そしてどんな未来を生きたいのか、どんな未来をつくりたいのか。これらは、すべて自分の意志で決めることであり、客観的に良し悪しを決められないことだ。

すべては自分の意志であり、それを決めるために必要なのが思考である。自分の好きなことをするのが幸せにつながるのか。一時の快楽が自分の人生という時間軸での幸せにつながるのか。それこそ、一人ひとりが思考すべきことなのだ。

確かに我々は生命の原則に、そして遺伝子の法則に支配された生命体である。それでも「利己的な遺伝子」を提唱したドーキンスは次のように語ったという。

私たちには、これらの創造主(遺伝子)に歯向かう力がある。この地上で、唯一私たちだけが利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのだ。(P.192)

遺伝子に支配される生き物でありながら、考える力をもち、自分の意思でほしい未来を手に入れることができるのが我々人間なのである。

本書を読むと、毎日を大切に生きたいという欲望が静かに湧き立ってくる。限りある生命の時間は変えられない。その過ぎゆく時間を命を失う時間にするのか。それとも命を燃やす時間にするのか。それは自分次第であり、その選択こそが人間という生命に与えれた特権なのではないか。生命科学の本は、「生きる」意味を問い直す本であり、同時に静かな希望が満ち溢れる本であった。

(告知)

2月15日(月曜日)の夜、Clubhouseにて高橋祥子さんに本書『生命科学的思考』についてお話をお伺いします。


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