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思考の想像力を試される『ラジカル・マーケット』

読書会:初めて「人と一緒に本を読む」という体験

興味はあるが、手を出しにくい本がある。読んだら面白いという期待は確かにある。でも読みきれないのではないか。読んでも理解できないのではないか。そんな不安もある。

ラジカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』はそんな本の典型だった。発売直後に監訳者である大阪大学・安田洋祐先生とお話しする機会があり、この本の内容を紹介された。私有財産制や選挙制度を一新する考え方は、直感的に面白いと思った。すぐに本は買ったものの、読むタイミングが訪れなかった。

そこで新型コロナウィルスがやってきた。三密を控える行動を強いられると逆にこれはチャンスだと思い、「『ラジカル・マーケット』の読書会をやりませんか?」とFacebookで投稿したところ15人の仲間が集まり、それから6週間に渡って読書会を開催した。

この6週間は想像以上の苦戦だった。毎週1章分ずつ読んでくる。その分量は問題ないのだが、1行1行指でなぞるようにして読まないと、著者の言いたいことが伝わってこない。主張していることが、既存のシステムを大胆に変更しようということであり、その内容がこれまでの社会制度が当たり前だと頭に凝り固まっているからか。これだけ線を引いて読んだ本も珍しい。

想定以上の大仕事となった「読了」。その分、読み切った達成感も大きい。読書会はすべてオンラインだったので、同じ仲間とは当然この間、一度も会っていないが、なんともいえない連帯意識も感じられた。最後の打ち上げでは「リアルで会いたいですね」という言葉も行き交う。一人で読んでいたら、途中で脱落していたのが間違いない本を読みきれたのは、仲間の存在抜きに負うところ絶大だ。読書会で得られた成果を少しでも残したいと、本書の読後の感想を書きたい。

資本市場の弊害を市場の力で正す

本書の問題意識は明確で、それは資本主義の弊害である。これだけ資本主義が発展しても、格差の拡大や成長の鈍化という問題は根強い。これに対し資本主義の大元である「市場」の機能を弱めるべきだという主張はこれまでにも多く見られた。本書の最もユニークな点は、その資本主義の弊害を市場機能を強めることで解決しようというアプローチを取るところである。いわば毒を持って毒を制す。それは資本主義に失礼すぎるか。

このアプローチは本書を通して一貫している。全体は5章と結論、エピローグで構成されており、5章はそれぞれ、私有財産、選挙制度、移民管理、株主ガバナンス、データというトピックを扱い、いずれも市場の機能を使うことで、現在の弊害が取り除けるのではないかという提案だ。

代表的なのは、私有財産と選挙制度である。
私有財産は、既得権益者があまりに優遇されていること、そして、一度手にした土地など有限なリソースを有効活用していない所有者がいることにメスを入れる。本書での提案は、土地など私有財産の価格を持ち主自らが決めて宣告し、その金額の一定割合を税金のような形で社会に還元する。そして、その持ち主の決めた価格以上を提示した人に、その土地の所有権が無条件に移るという仕組みである。

この仕組みが導入されると、持ち主は、自分が手放してもいいという価格づけをすることになる。自分にとってさほど大切でなければ100万円でもいい。安くすると、買い手が現れて所有権を失う確率は高くなるが、100万円と天秤で考えた結果であり、元の持ち主は納得できるであろう。逆にどうしても自分で持ち続けたい人は高い価格づけをする。そうすると、新しい買い手は現れにくいが、価格に応じて決めらた割合のお金を払わなければならないが、その金額も大きくなる。これは「所有していたい」願望の代償として受け入れることができる。

将来、このような制度ができると、街を歩き「いいな」と思った土地や建物があれば、すぐにアプリをかざすことで価格も出てくる。そんな世界も想像できる。それはある意味とてもフェアであるが、誰もが自分の意思と関わらず同じリソースを持ち続けられることが保証されないことから、企業の継続的な活動や、個人的な思い出のある土地などを手放すなど、望まない状況も多く想定される。

選挙制度においては、本書ではクーポン制を用いて、一人の人の票を、自分が特に関心のあるテーマの際にまとまって投票する権利を主張する。仮に国民投票が頻繁にある国を想定する。高齢化が進むこの国では、選挙で若い人の意見がなかなか通らない。でもこの選挙制度があれば、若い人は自分たちに関心のある選挙に持てるクーポンを大量に使い、強い「意思」を示すことができる。そのかわり、関心の薄いテーマの選挙には、クーポンを使わずに貯めるという戦略をとる。

この制度は、少数の意見がより社会に反映される効果は大きく見込まれるであろう。その一方、有権者はより自ら考えることを強いられる。従来は「賛成」か「反対」か「棄権」という選択肢のみであったが、この制度では、「1票」「2票」「3票」という投票も可能である。どの選挙を棄権するかわりにどの選挙で何票投じるか。つまり無数の選択肢の中から考えなければならない(ちなみに、2章を投じるには4クーポンを、3票を投じるには9クーポンを使うというように乗数倍になっている点がキモになっていて、その根拠は難解だが本書に詳しく書かれている)。

私有財産といい選挙といい、本書で提案する「ラジカル」な案では、それまで僕らがあまり考えなかったことまで、いちいち考えなければならない。自分の持ち物にはすべて自分で「手放してもいい」価格づけをしなければならないし、選挙もしかりだ。読書会では「これは面倒な社会かもしれない」という声も聞かれた。

しかし、これは面倒なだけではないかもしれない。まずは選挙にしろ私有財産にしろ、より考えるのを求められることは、それらに関しより意識的になることだ。選挙など、今や無関心が引き起こす弊害が多い中、別の効用も期待できる。それと「面倒さ」については、テクノロジーの力が軽減してくれる可能性は大いにある。私有財産にしても参照すべき他の物件は容易に検索できるだろうし、一定のアルゴリズムで自動的な価格づけが可能であろう。選挙も同様に、シミュレーションがいくつも用意され、自分に最適なものを選ぶコストが下げられる可能性はあるに違いない。

それでも疑問はいくつもある。それはどのように試してみるのか。どこから実験してみのか。本書ではシミュレーション結果なども提示しているが、人の心理が相互作用でどのように変わるかは、実際に試してみないと想定外の作用が働くことがある。私有財産などは経済特区を作ってそこで検証してみるのか。あるいはゲームの世界で仮想空間を作り上げるのか。

また、これらの「ラジカル」な仕組みが、格差の是正や貧困層の解消にどれだけ貢献するか。本書では、その効果を試算しているが、可能性は感じるが正直、まだ実感がもてない。

想像を超えた世界をいかに想像するか

本書を読み通しても、どこまで実現可能なのかはわからないことが多い。それでも、この本の意義は十二分に感じられる。まずは、資本主義の弊害となっている市場機能をとことん使い倒してみようという発想である。著者は、どこまでも市場の力を信じているのかもしれないが、弊害はあったもののこれまで一定以上の機能を果たしていた「市場」の力を使い倒してみるという姿勢は、資本主義のありようを疑う上で、真摯な姿勢ではないか。「だから市場には問題がある」を超えて、その機能をもっと解き放つことで可能性を検証するという姿勢は徹底している。

もう一点は、監訳者の安田先生も書かれているが、過激(ラジカル)な改革案を提示する知的勇気である。学者として、ここまで大胆な仮説を提示するのは、非常にリスキーであることは、僕らアカデミア外の人間にとっても想像できる。読んだ人でさえ容易に想像しにくい世界観は、妄想と同じく、形になるまで賛同者が現れにくい。問題点を指摘しようと思えばいくらでも見つかるが、見える形で提示されていないものの可能性を見つけるのは、人間は弱い。そんな中での大胆な仮説を出すことの勇気、それ自体の価値を見逃したくない。

貨幣がなかった世界で、モノとの交換手段の効用をいくら提唱しても多くの人は耳を貸さなかったであろう。見たことのない新しいものや仕組みが奇妙に見えても、使われ出すとそれが普通のものになる。イノベーションとは「世に広まると、なかったことが想像できないもの」と定義した科学者がいた。

想像を超えたものは想像しにくい。この「ラジカル・マーケット」が今後どうなるかわからないが、本書は読む人の思考実験をする力と想像力が試されるものであることは間違いない。


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