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「平等」と「公平」

初めに

こんにちは、F1社会人と申します。
Twitterにて、株式投資の情報発信および収集している者です。
本Noteとは全く違う発信をしているので興味ある方だけフォローいただけると嬉しいです。(https://twitter.com/f1_shakaijin
今回は「平等」と「公平」の違い、それらを混同することで生まれる意見の食い違いについて話していきたいと思います。

よくある意見の相違

昨今、日本企業も株式市場の投資家からの圧力によってSDGsを考慮した事業経営を求められるようになってきています。SDGsとは下記にまとめられている2030年までに達成すべき持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)のことを指します。

人類がこの地球で暮らし続けていくために、2030年までに達成すべき目標

このSDGsの中に以下のような表現が入っています。

  • 5. ジェンダー平等を実現しよう

  • 10. 人や国の不平等をなくそう

この2つの目標の詳細は、以下のように規定されています。

  • ジェンダー平等を実現しよう

    • “男女平等を実現し、
      すべての女性と女の子の能力を伸ばし
      可能性を広げよう”

  • 10. 人や国の不平等をなくそう

    • “世界中から不平等を減らそう”

この2つの表現に違和感を抱く方はいないと思います。しかし、このSDGsを見た上で、以下のような意見を述べる方がいらっしゃいます。

  • 女性は生理や出産で体調を崩すことが男性より多いのは、生理学上仕方のないこと。企業は女性ならではのイベントを踏まえた上で、男性と女性の評価を行わなくてはいけない。

  • 資産を多く持つ資産家が株式市場等の投資を通じて、更に富を得ることが出来る資本主義は決して平等ではない。世の中の平等さを保つために、資産を多く持つ人に対し発展途上国への募金や支援を義務付け、富の再分配を行うべきである。

これら意見と、上の目標の間に何かズレ・違和感を感じるのではないでしょうか?
世の中の平等を求める声には上記のような意見が多数見受けられます。
この違和感が何故発生しているのか?
じつは一見、上の意見はSDGsの目標に沿った意見のように見えますが、実はこの2つの意見は「平等」ではなく、「公平」を求めている意見なのです。

「平等」と「公平」の違い

インターネット上のコトバンクでは2つの用語を以下のように説明しています。

平等
個人間に、あるいは集団間に、なんらの差別もない状態をいう。
平等とは - コトバンク
公平
すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま。
公平とは - コトバンク

難しいですね。
イメージで考えてみましょう。
Twitter上で以下のような画像が紹介されています。
平等(Equality)とは、全ての人が同じ高さの箱に乗ることです。
つまり、全ての人が等しく同じ支援を受けることが出来る状態を指します。
一方、公平(Equity)とは、野球観戦をするという目標に対して、それぞれの人がその目標を達成できるようにその人に合った高さの箱が渡されることです。
つまり、全ての人が同じ水準で目標を達成できるように、支援の手厚さを変化させることを指します。

まとめると、以下のように言えます。
平等とは、全員の権利が同じであることを指す。
公平とは、全員の最終的な状況(到達地点)が同じであることを指す。

これを基に先ほど紹介した2つの意見を整理すると、このようになります。


女性は生理や出産で体調を崩すことが男性より多いのは、生理学上仕方のないこと。企業は女性ならではのイベントを踏まえた上で、男性と女性の評価を行わなくてはいけない。
⇒女性と男性はそもそも働ける日数が前提として異なっている。男女公平の観点から、労働可能日数のずれを考慮して、1日あたりのパフォーマンスも考慮に入れた評価・昇進条件を整えるべきである。

資産を多く持つ資産家が株式市場等の投資を通じて、更に富を得ることが出来る資本主義は決して平等ではない。世の中の平等さを保つために、資産を多く持つ人に対し発展途上国への募金や支援を義務付け、富の再分配を行うべきである。
⇒資本主義経済において、富を持つものは元手があるため投資が出来るの対し、貧困者は投資をするもとですら準備が出来ず、貧富の差が開くばかりである。誰もが公平に株式市場に参加できるように、貧困者でも最低限の生活を送れるよう社会保障の拡充を行い、自分が労働によって得た給料を少しでも投資に回せるように政府は制度を整えるべきである。



このように平等を掲げていた両者の意見は、実は公平を訴えるような意見だったのです。
ちなみに、もしこれらの内容に対して平等を訴えるのであれば、以下のような例文が考えられます。


女性だから、という理由だけで出張や昇進が回避されるのはおかしい。男性と女性で同じ評価基準を整備し、それに基づいた結果によって、出張・昇進の打診は行われるべきである。

株式は100単元からしか購入できず、貧困者はそれほど大きな大金を準備するのに時間がかかってしまう。1単元から、1円から購入できるような制度を作り、少額からでも株式市場に参加できるように敷居を下げるべきである。


こう見ると、全く違う方向性の発言であることが分かります。
ちなみにSDGsの原文を見ると、この2つの目標にはどちらもEquality(平等)の文言が使われています。

  • 5. GENDER EQUALITY

  • 10. REDUCED INEQUALITY

つまり、社会的には「男女平等」、「不平等さの削減」、誰もが等しく同じ権利がある社会を目指していることが分かります。

「平等」、「公平」どちらも残酷な一面がある

先ほどの表現を見ればわかる通り、

  • 平等というのは皆が同じスタートラインに立ち、目標に向かって近づく事

  • 公平というのは皆が同じ高さでゴール地点につけるように調整する事

を指します。
「平等」なこと、「公平」なことこれらは必ずしも全員の幸せにつながるのでしょうか?

「平等」というのは時に残酷

1つ、例を紹介したいと思います。


例えば、いきなり男女平等という名の下に男性と女性が同じ枠組みで競うことになったとしましょう。
両者のプロ選手たちはその変化にどう感じるでしょうか?
フィギュアスケートの点数を見れば明らかで、男性の方が明らかに高得点を出しています。
従って、そのままだと男性だけが勝てる、女性選手にとってはあまりにも辛い状況となります。
このような事態を避けるために、男女を分けて、それぞれを公平に評価するようにしているのが今のスポーツなのです。


このように平等というのは時に個人の能力の差を無視した、能力主義の面を浮き彫りにすることがあります。
なので、世の中で平等さを重視されるものは生活に関することや、主義・主張の権利といった個人の能力で差が生まれない、基本的人権の観点で適用されることが多いです。
では、「公平さ」を目指すことに課題や残酷な面はないのでしょうか?

「公平さ」を定義すること自体が非常に難しい

「公平」を考えることも現実的にはとても難しいです。
例えば、日本では男性は論理的思考力が高く、女性は会話等の言語能力が高い、という認知が広がっています。
これに「公平」を当てはめると、男性はロジックを組み立てたり、構造的に物事を整理する仕事を中心に、女性はストーリーを作ったり、細かい表現の修正、ファシリテートをする仕事を中心に実施し各役割で評価すべきということが考えられます。
しかし、昨今の研究においては男女の脳に多少の差はあるものの、個人差の方が大きく、それらの区別は当てにならないことが提唱されつつあります。

従って、正確に「公平」にするのであれば、各個人の能力を見極めた上でその人が最も活躍できる仕事を各個人に割り当て、その範囲においての仕事の出来を評価していくことになります。
この仕事の分配において各仕事の難しさ、リスクの程度は考慮されず、「この仕事は君にあっているからお願いしている」という機械的なアサインが行われ、評価されることになります。
この状態であれば、各個人の能力に合わせてゴール、評価の最大値が全員等しくなっている、つまり「公平さ」を保っている状態になっています。
しかし、今まで難しいとされていた仕事を請け負う人々は、単純な作業をしている人の仕事の様子を見て納得できるのでしょうか?
また、これら一人一人の能力を正確に測ることは現実に可能なのでしょうか?

実は「公平」な状態を担保することが難しい上に、今の社会はその公平さに慣れていないのです。
ゴールに等しく到達できるようにするためには、個々人の能力が均一に評価される必要があります。
しかし、今の世界ではこの差を無くすことが非常に難しく、それを成し遂げようとした結果が、ポルポト等の過激的な共産主義者による知学者の虐殺だったりします。
ある意味、全てにおいて「公平さ」を目指すというのは理想論に近いものなのです。

「平等」・「公平」のバランスを探す必要がある

では、「平等」・「公平」について我々はどのように考えるべきなのでしょうか?
自分の意見としては、問題として挙げている内容を見極めたうえで、その解決策としてまず「平等」を目指す。その上で「公平」を検討することが大事だと思います。

「なんだ、そりゃそうだろ!」と思う人もいるかもしれませんが、現代において問題に正しく向き合えている方は実際には非常に少数です。
声が大きい方、発信力がある方でも「平等」と「公平」を混同し、自分にとって都合の良い主張をされている方が多く見受けられます。
問題を解決する上で重要なのは、課題は何で、それに対しどのような論点を設定しているのか、感情を挟まず論理的に整理することです。
「平等」と「公平」、どちらの意見・主張をしているのかを見極めることで、主張の中での論点が明確になり、物事の本質をつかみやすくなります。
認識のずれ、違和感をなくすことで、発信者が考える問題と正面から向き合うことが出来るようになると思います。

その上で、なぜ「平等」を優先すべきかと考えるか。それはわかりやすい指標だからです。
「平等」は同じ権利を持っていることを指します。つまり、全ての人に平等に何かを実行する権利を与えることを指します。これであれば、達成出来ているかは一目瞭然です。
一方、「公平」は先ほど述べた通り、人によって評価・指標が異なりやすい概念です。こちらは丁寧にすり合わせていかなければ、集団での合意形成は難しいです。将来的には対応していきたい領域ではありつつ、現実的には難しいことが多いでしょう。
なので、「公平」はあくまでもゴールとして検討材料に置き、「平等」をまず達成することを目指すことが大事だと自分は考えています。

最後に

いかがだったでしょうか?
「平等」と「公平」、よく混同される2つですが、その中身は全く違うものです。
このように正義っぽさのある表現を使う際は、向き合っている問題を注意深く観察し、適切に発言する必要があります。
「平等」・「公平」という誰から見ても正義、のような表現を使って自分を正当化することは、時に相手の視点を見失い、結果として相手を傷つけることに繋がる危険性を理解する必要があります。
Twitter等の炎上の始まりは、実は特定個人の”正義感”によるものだったりします。
一人一人が持つ正義感は異なる上に、受け取り手によってその言葉の解釈は異なってきます。
言葉は自分達が思っている以上に難しいんですよね。

また、日本語は他の言語と比較しても曖昧な表現が多いです。
なので、言葉を厳密に扱うこと、これを意識してみるだけで人との会話の齟齬が減ったり、衝突が減ることはよくあることです。
皆さんも、普段の会話や営業トーク、作成した資料に表現のブレがないのか、少し見直してみると新しい発見があるかもしれません。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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