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WEB特集「今年度かぎり”見敵必撮”偵察航空隊に密着」(12)最後の飛行訓練:詳細版

2020年3月9日、偵察航空隊およそ60年の歴史で最後となる飛行訓練が行われた。部隊廃止が決まっている中での最後の飛行訓練、なにもなければRFのフライトも、搭乗するのも最後となる。百里基地のホームページによると、午前中に3機、午後に3機が飛行訓練にのぞんだそうだ。

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最後となる午後の飛行では洋上迷彩の901(きゅうまるいち)号機に第501(ごまるいち)飛行隊の岡田隊長を編隊長におよそ1時間の飛行をおこない、最後の最後に着陸した。岡田隊長は以前のインタビューで「RFは操縦が難しいですか?」との問いに、「難しいという表現よりはクセがある、という感じですかね」そう言って足を踏みこんで、手のひらで機体の動きを表現して見せてくれた。最後の飛行ではこのクセのある機体と何か話したのだろうか。着陸して駐機場に進むと、消防車の放水アーチで迎えられた。

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この日は最後の飛行訓練とあって終了セレモニーが執り行われた。戻ってくるRFを偵察航空隊司令朝倉譲1等空佐を始め、多くの隊員が敬礼して、そして拍手で迎えた。

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搭乗員もキャノピーを上げ、こちらも敬礼を交えながら手を振って応えていた。映像を見ると、こんなに小回りが利くのか?と思うほど目の前でくるっと回って、RFもずらりと整列、セレモニーに備えた。

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このあと、岡田隊長は整備隊員と共に整列し、壇上で待つ隊司令の前へ進み、こう報告した「第501飛行隊は飛行を伴う錬成訓練を終了
しました。敬礼」

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そして朝倉司令が訓示する。

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「偵察航空隊として100%の稼働率を維持したまま飛行訓練を終えることが出来ました。これも航空自衛隊唯一の航空偵察部隊の一員として、一人一人が誇りを持って職務に当たり、真摯に任務に邁進したおかげだと思います。ありがとう。
ただし、錬成は終了しても偵察航空隊部隊廃止の日まで任務は継続する。基本に忠実に備えを常にの心構えを忘れず最後まで油断の無いように。以上」
偵察航空隊密着取材を通して、私達が特に注目したのは、災害派遣での実績だった。だが、司令の訓示から、「本来の任務は偵察だ」と、はっとさせられた。インタビュー当時岡田隊長が「偵察の飛行技術と災害派遣での飛行は同じではないが同一線上にあるものです」と表現した。撮り逃さないように少しでも早く、という部分では同じだが、偵察では「一度きり」。撮り直しが効かないのだ。その任務と訓練をおよそ45年の長きに努めあげたRF-4に岡田隊長が御神酒をかけた。基地のホームページによると、この901号機はRF-4Eの最初に導入した機体、いわば現役バリバリの長老だ。

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セレモニーは続く。飛行隊を代表して岡田隊長が挨拶。「皆さんこんにちは。我が第501飛行隊ひいては偵察航空隊は本日のフライトを持って、飛行を伴う錬成訓練を終了しました。いままで59年半、様々な搭乗員整備員多くの方々諸先輩方のおかげでここまで・・・RFに関わった方々にこの場を借りて厚くお礼申しげます。偵察航空隊廃止の日まで、まだもうしばらくありますが、万が一我々が必要とされるような、事態が起こった場合には最後の最後の日まで、最後の最後まで誠心誠意尽力していきたいと考えております。ただ、我々がもし出番を与えられるとすればそれは国民にとって災害など国民にとっては不幸なことで、むしろ出番がこれ以上でないように、望んでいます。この瞬間、時を同じくして頂いて本当にありがとうございます。偵察航空隊員も第501飛行隊員も最後の詰めの仕事をしていきたいと思いますので、最後の最後までご支援のほどお願い申し上げます。以上です。」

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岡田隊長に続き、クルーを代表して航空機整備員小川智哲3等空曹が挨拶。

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「本日はお集まり頂き誠にありがとうございます。無事に最後の訓練を終え、無事に・・・が出来ました。この日を迎えることが出来たのも・・・の皆様、・・・言葉では言い表せないほどたくさんのことを学ぶことが出来ました。これからも経験を活かし頑張っていきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。」手が震え、間を置きながらの挨拶となった。

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このあと隊はRFと共に整列記念写真に収まった。実に誇らしげである。この撮影後に「以上をもちまして飛行訓練終了セレモニーを終わります」とのアナウンスがあった。が、本番はこれからだった。

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水を満載した小型トラックと水溜のプールが待ち構えていた。強風よろしく、水に浮かべられたバケツが大きく上下する。隊員それぞれバケツに水をくみ、円陣を組むが、陣形は1対多に。

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結局岡田隊長を中心にぐるりと取り囲んだ。そして岡田隊長が叫ぶ。「偵察航空隊万歳!」

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これを合図に水の掛け合いが始まった。航空自衛隊では、搭乗員が季節を問わず、異動などで当該機の搭乗任務を離れるときに、水を掛けて、それまでの搭乗勤務の労をねぎらうそうだ。

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今回はおよそ60年分の慰労も加わり、大いに盛り上がっていた。隊長に、そして、お互いに掛け合うのも、基地のSNSにある「感謝惜別万感」様々な思いがこもっていたに違いない。

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涙を隠すには最高の演出。のはずだが岡田隊長の表情は「マジ」に見える。およそ60年の感謝を一身に受けた万感の思いが出たのだろう。

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その一方、隊も盛り上げるのに抜かりはない。水を掛け合う足下を見ると・・・

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氷だ。労をねぎらう方法も、勝利を祝う方法もいろいろである。ビールを掛けたり、シャンペン・ファイトもあれば、水の中に投げ込んでみたり、ケーキを投げてみたり・・・・。だが、この日の水掛けは、隊員にとっても関係者にとっても、様々な意味で「しびれるほど」格別で特別な、忘れられないものであったに違いない。

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このあとも各社のインタビューに答えた岡田隊長「国民に少しでも役に立てるように、機体にはありがとうと。全身全霊で任務にのぞむ自分に答えてくれるのが自分の機体RF。よく頑張ってくれたもう十分。いの一番に行って情報を集めてくる。・・・・」飛行隊が出るときは災害。そう思うとそんな出番がないように祈りたい、それが岡田隊長の本音だった。そして最後には「風邪を引いてはいけませんので・・・」と「油断の無い」所をみせて締めくくった。

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朝倉司令もインタビューに応じ、最後の司令としての苦労も語った。「何事も最後は難しい。およそ60年の歴史のある部隊の最後をみんなでまとめ上げなければいけないところがむつかしい。先輩が作り上げて来た歴史を若い人たちにつなげられればと思い、過去の歴史を振り返りながらひとつひとつ廃止に向けた作業を行ってきた・・・そこが一つみんなと共有したことかと思います。機種が変わることはあるが一つの基地で一つの部隊がなくなると言うことは、これほど難しいことは無いと思います。・・・偵察航空隊があったと言うことを伝えて頂ければと思います。東日本大震災の出動は忘れられることではない。・・・・」

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何事も最後は難しい。廃止の日までのマネージメントサイドの苦労を取材できなかったのは残念だ。偵察航空隊の舎も、廃止後はどうなるのだろうか。

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こうした思いをよそに、隊員たちは「任務ですから」と次の現場へと異動していると聞いた。

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災害時の支援の一翼を担った活動も、

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このマークも、

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機体も

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そして、この標語も、どこかで語り継がれることだろう。およそ60年の長きにわたり、身近な「危機」を撮影し分析し続けてきたのだから。「感謝惜別万感」なのである。

願わくばいつかまた、あの轟音を、「出でよRF、百里の空へ」・・・。

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(本文:終わり)

追記:百里基地のホームページに以下の掲載がありました。全文をそのまま転載いたします。「航空総隊司令官は、百里基地において、航空総隊直轄部隊である偵察航空隊の廃止に伴う「隊旗返還式」を執り行いました。式典には、航空幕僚副長及び航空幕僚監部監理監察官も来賓として参加し、偵察航空隊の総員が整列し見守る中、偵察航空隊司令から航空総隊司令官に隊旗が返還されました。 偵察航空隊は、令和2年3月26日をもって廃止され、昭和36年の部隊創設から59年の長きに亘る栄光の歴史に幕を閉じました。百里基地においては、昭和50年から45年間、RF-4偵察機を運用し、任務及び訓練を行って参りました。これまで、偵察航空隊をご支援・応援して下さった全ての皆様に感謝申し上げます。」

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