客観的に考える
私が不登校になったきっかけの中学校の担任は
ピンヒールを履いてコツコツと廊下を歩く
メガネをかけた、おかっぱ頭の女の先生でした。
小学校の時の成績が悪いのが問題視され
「あなた、今まで何してきたの?!」と怒られ
言ってる意味が分からず、私は混乱したまま
考えることもできず、学校に行くのをやめました。
先生に否定されたことに、かなり傷ついた私は
学校が安心できない場所になりました。
そして、大人になっても
自信が持てない時、その先生を思い出してしまうのでした。
その場面を40年以上経っても忘れることはありませんでしたが
最近になって、思い出しても何も感じなくなりました。
『あなたのように、私のことをよく知りもしない人に
心配されたくもない、その心配は自己中でしかない』
そう、気がついたのでした。
先生は、私のことを本当に心配していると思いますか?
心から心配するのであれば、否定する必要は全くありません。
一種の脅しです。
脅しは、全く無意味どころか害でしかありません。
何故なら、脅かされた側にしたら
恐怖でしかありません。
恐怖で客観的に考えるのは不可能です。
私は実際、思考が停止しました。
これは、相手の立場に立っていない証拠です。
私のことなど、1ミリも思っていない証拠です。
人として、脅しを使おうとするときは
人をコントロールするときです。
育児の時に、何度か使ったことがありました。
でも、それは効果はありますが
心に傷がついて、考えるのをやめてしまうのです。
柔軟に思考することができなくなります。
この現実に気がついたのでした。
私のことなど、何も考えてはいない先生の言葉を
信じる必要はないとはっきりわかったのでした。
先生の心配は論外です。
先生の存在は無力化されました。
長い時間がかかりましたが
お陰で、大切なことを学びました。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。またの訪問をお待ちしています : )