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835 ユニクロ20年 ファーストリテイリング会長 柳井正氏に聞く

20年前記事の転載。変わっていないのが面白い。

2004/11/28
ユニクロ20年 ファーストリテイリング会長 柳井正氏に聞く


ニーズに合わせ「変身」
 カジュアルウエア販売の「ユニクロ」一号店が一九八四年に広島市中区にオープンして二十年を迎えた。今や全国に六百四十店の「ユニクロ」を展開するファーストリテイリング(山口市)は「デフレ時代の旗手」として脚光を浴びる。中国生産による「製造小売り」という新たなビジネスモデルも築いた柳井正会長(55)に、ユニクロ二十年の歩みと今後の事業展開などについて聞いた。
(編集委員・宮田俊範)
品質も価格も重視 米進出 まず少店舗で
 ―広島に一号店を出して二十年たちました。
 あれからもう二十年がすぎたのか、というのが正直な実感。一号店は現在のユニクロの形態とは異なっていたが、カジュアルウエア専門店として出発したのは正解だった。山口の企業にとって広島は近隣で一番の大都市で、主力銀行も広島銀行(広島市中区)であるなど縁が深い場所。そこで成功できたことが今日の基礎となったわけで、当初考えていたよりずっと大きく成長できた。
 ―中国生産をいち早く手掛け「製造小売り」という新業態に挑んだことが成長のカギでしたね。
 その通り。中国の大規模工場と経営熱心な経営者、均一で優秀な労働者のおかげだ。それまでの中国生産といえば、日本の企業は中国人を使ってやっているんだという雰囲気で、経営も日本式だった。だが、われわれの場合は中国人が造った工場で、われわれの社員と日本向けの商品を共同開発した。互いに良いところを出し合い、対等のパートナーとして取り組んだ点が他社とは違った。
反動影響ない
 ―フリースが大ブームになった一方、その後は大きく落ち込みました。
 一時はユニクロはもうだめじゃないかとマスコミからたたかれたが、われわれはまったく気にしなかった。ブームの最中もブームの後も、企業としては何ら変わったわけではなかったからだ。今はそれから時間がたち、売り上げも回復した。もうブームの反動の影響はまったくない。
 ―野菜事業から撤退し、英国進出も計画通りに進まないなど、失敗した事業も多いのでは。
 野菜事業はわれわれの能力不足。流通だけでは解決できなかったし、生産まで入っていかないといけなかった。これからもあきらめずにやろうという人が出てきたら、まだ野菜事業は成功するチャンスはあると思う。
 英国進出は経営そのものがバブっていた。品物や売り方とか効率は地元業者と同じぐらいの水準はあったが、単純に言うと本部組織が大きすぎ、経費を使いすぎた。それでも前期から黒字に転換しており、これを出発点に取り組みたい。
 ―今後は韓国、米国にも進出するなど海外展開は積極的ですね。
 韓国ではロッテショッピング社と組んで進出する。それは労働争議などの課題があり、日本の企業が単独での進出が難しい市場だからだ。
 米国は世界最大の市場なので、できるだけ早く出て慣れておかないといけないと思ったから出店を決めた。最初から激しい競争になるが、英国での経験を生かし、まずは少ない店舗数で黒字化していきたい。
 ―最近は「世界品質宣言」を出して注目されました。低価格路線から撤退するのですか。
 それは従来の価格帯よりアップさせるという意味ではない。われわれのような業態だと当然、安易に価格アップしたら売れないからだ。これまでは品質より価格が評価されてきたが、今後はその商品に関して絶対的な品質を持たせ、どの価格帯、ブランドより優れたものを出したいと考えている。世界に出て行くには、どこでも評価される品質がないといけない。
1000店舗目指す
 ―国内店舗はどこまで増やすのでしょう。
 千店舗ぐらいまではいけると思う。まだ出ていない場所がたくさんあるし、東京でも本当にいい立地にはまだ出ていない。人口十万人ごとに出店すれば、千二百店ぐらいはいける計算になる。
 ―十年後のユニクロはどんな姿でしょうか。
 国際化を進め、関連業種に進出し、ユニクロの根本を強くすることが経営の三本柱で、それができた時には目標とする売上高一兆円が達成できるはずだ。ぼく自身は六十五歳になっていて、もうこの会社にいないか、株も全部売っているかもしれない。家族に継がせてうまくいっている企業は少ないから、経営はうまい人に任せるべきだと考えているからだ。ぼくがいなくても、成長するようでないといけない。
 ―ユニクロが歩んだ二十年は日本経済にとってもかつてない変化が進んだ二十年でした。
 まったくその通りで、われわれも新しいタイプの企業だったから成功できたのだと思う。今の日本企業、特に地方にいる企業には閉塞(へいそく)感があるが、われわれのようになれるチャンスはいくらでもある。社会もこれまでにないタイプの企業を求めているからだ。
社会を映す鏡
 ―具体的にはどのような企業像でしょう。
 ぼくは企業とは社会を映す鏡だと考えている。われわれは顧客ニーズを追求しているから、常に社会の動きにつれて変身できる企業でないといけない。今までの日本企業は、個人と会社が一体化し、何か大名がいる藩みたいな存在だったが、そういう古いタイプはもう生き残れない。
 例えば、終身雇用は結果としてそうなることはいいが、最初から終身雇用を前提に採用する時代は終わった。個人もどこそこの企業に勤めているというより、自分はどういう仕事をやっているのか、という方を大切にしないといけない時代を迎えている。


 「世界の巨人」に挑む
 「ぼくはアンチ巨人なんだ。市民球団の広島カープにはもっと頑張ってほしい」。柳井会長は自ら「アンチ巨人」と語ってはばからないように、ユニクロをスタートさせてから二十年挑んできたのは、企業としての成長にとどまらず、既存の古い流通体質、古い企業制度だったといえる。
 その挑戦は、バブル崩壊という日本経済の大転換期とも重なり「デフレ時代の旗手」として予期した以上の成果を上げた。ただ、フリースの大ブームが終わって一時、業績が低迷したのも事実で、限界説まで出たが、前期は三期ぶりの増収増益となるなど新たにカシミアに代表される高品質路線も加えて再び成長軌道に乗り始めている。
 今期からは世界最大の米国市場に乗り込み、「世界の巨人」への挑戦も始まる。日本企業は既に製造分野で数々の成功を収めているが、小売り分野での本格的な成功事例はない。米国ではGAPなど数多くの「巨人」企業との競争が控える。過去の失敗を糧にどんな成果を上げるか、広島から羽ばたいたユニクロの挑戦に関心が集まる。

「今の日本企業、特に地方の企業には閉塞感があるが、われわれのようになれるチャンスはいくらでもある」と語る柳井氏(山口市の本社)

 やない・ただし 1971年に早稲田大政治経済学部卒業後、ジャスコ入社。翌年に家業の小郡商事(現ファーストリテイリング)に転じ、取締役、専務などを歴任。84年6月にユニクロ1号店を広島市に出店し、同年9月から社長。2002年11月から社長職を玉塚元一氏に譲り、代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)を務める。宇部市出身。

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