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378 昨今読んだ重要なインターネットページまとめ 渋沢栄一・増田宗昭



近代日本経済の父 渋沢栄一

近代日本経済の父といわれる渋沢栄一は天保11年(1840)深谷市の血洗島の農家の家に生まれました。幼い頃から家業である藍玉の製造・販売、養蚕を手伝い、父市郎右衛門から学問の手ほどきを受けました。7歳になると隣村のいとこの尾高惇忠のもとへ論語をはじめとする学問を習いに通いました。
20代で倒幕思想を抱き、惇忠や惇忠の弟の長七郎、いとこの渋沢喜作らとともに、高崎城乗っ取り・横浜外国人商館焼き討ちを計画しましたが、長七郎は京都での見聞からこれに反対し計画は中止されます。その後、喜作とともに京都へ向かい、一橋(徳川)慶喜に仕官することになりました。
一橋家で実力を発揮した栄一は27歳の時、慶喜の弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学し、欧州諸国の実情に触れることができました。明治維新となって帰国すると日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立し、その後明治政府に仕官します。栄一は富岡製糸場設置主任として製糸場設立にも関わりました。大蔵省を辞めた後、一民間経済人として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れるとともに「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行をはじめ、約500もの企業に関わりました。また約600もの社会公共事業、福祉・教育機関の支援と民間外交にも熱心に取り組み、数々の功績を残しました。

年表

青春時代西暦和暦年齢主 な で き ご と日本と世界の動き1840年天保11年02月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島に生まれる。アヘン戦争勃発1858年安政5年18従妹ちよ(尾高惇忠の妹)と結婚。日米修好通商条約・安政の大獄1863年文久3年23高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが計画を中止し京都に出奔。井伊大老暗殺(1860)1864年元治1年24一橋慶喜に仕える。外国艦隊下関を砲撃1867年慶応3年27徳川昭武に従ってフランスへ出立(パリ万博使節団)。大政奉還、王政復古1868年明治1年28明治維新によりフランスより帰国、静岡で慶喜に面会。戊辰戦争(1868~1869)1869年明治2年29静岡藩に「商法会所」設立。
明治政府に仕え、民部省租税正と なる。民部省改正掛掛長を兼ねる。東京遷都
東京・横浜間に電信開通


実業界を指導育成した時代西暦和暦年齢主 な で き ご と日本と世界の動き1870年明治3年30官営富岡製糸場設置主任となる。平民に苗字使用許可1872年明治5年32大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。新橋、横浜間鉄道開通1873年明治6年33大蔵省を辞める。第一国立銀行開業・総監役。
抄紙会社創立(後に王子製紙会社・取締役会長)。国立銀行条例発布1875年明治8年35第一国立銀行頭取。商法講習所創立(現一橋大学)。 1876年明治9年36東京府養育院事務長(後に院長)。私立三井銀行開業1877年明治10年37択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。西南戦争1878年明治11年38東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。 1879年明治12年39大阪紡績会社の設立に尽力する。
グラント将軍(元第18代米国大統領)歓迎会 1881年明治14年41東京大学文学部講師として「日本財政論」を講義。(以後三ヶ年に及ぶ) 1882年明治15年42ちよ夫人死去。翌年、伊藤兼子と再婚する。日本銀行営業開始1884年明治17年44日本鉄道会社理事委員(後に取締役)。華族令制定1885年明治18年45日本郵船会社創立(後に取締役)。
東京瓦斯会社創立(創立委員長、後に取締役会長)内閣制度制定 1886年明治19年46「竜門社」創立。 東京電灯会社設立(後に委員)。 1887年明治20年47わが国初の機械式煉瓦製造となる日本煉瓦製造会社(深谷市上敷免)を設立する。 1896年明治29年56京釜鉄道会社の設立に尽力する。さらに三年後には京仁鉄道会社合資会社を設立する。 1897年明治30年57澁澤倉庫部開業(後に澁澤倉庫会社・発起人)。金本位制施行1900年明治33年60日本興業銀行設立委員。 男爵を授けられる。 1901年明治34年61日本女子大学校開校・会計監督。(後に校長) 1902年明治35年62兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。日英同盟協定調印1906年明治39年66東京電力会社創立。
京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。鉄道国有法公布 1907年明治40年67社団法人東京慈恵会を設立し、理事・副会長として尽力する。恐慌、株式暴落1908年明治41年68八基小学校にて「一村の興隆と自治的精神」と題し講演を行う。
中央慈善協会(現在の全国社会福祉協議会)が設立され会長となる。 


社会公共事業に尽力した時代西暦和暦年齢主 な で き ご と日本と世界の動き1909年明治42年69古稀を機に多くの企業・団体の役員を辞任。
渡米実業団を組織し団長として渡米。 タフト大統領と会見。 1911年明治44年71勲一等に叙し瑞宝章を授与される。 1912年明治45年72帰一協会成立。 1914年大正3年74日中経済界の提携のため中国訪問。第一次世界大戦勃発1915年大正4年75パナマ運河開通博覧会のため渡米。
諏訪神社(深谷市血洗島)に拜殿を寄進する。 1916年大正5年76喜寿を機に実業界を引退。
「論語と算盤」を刊行する。 1917年大正6年77日米協会創立・名誉副会長。事実上の金本位停止1918年大正7年78渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。 1919年大正8年79協調会創立・副会長。ヴェルサイユ条約調印1920年大正9年80国際連盟協会創立・会長。子爵を授けられる。株式暴落(戦後恐慌)1921年大正10年81排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。 1923年大正12年83大震災善後会創立・副会長。
二松学舎の『論語講義』刊行に着手する。関東大震災1926年大正15年8611月11日の平和記念日にラジオ放送を通じて、平和への訴えを行う。(以降恒例となる)ノーベル平和賞候補となる。(翌年も同候補となる) 1927年昭和2年87日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。金融恐慌勃発1929年昭和4年89宮中に参内し、御陪食の光栄に浴する。世界大恐慌はじまる1931年昭和6年9111月10日正二位に叙せられる。11月11日永眠。満州事変


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油絵で見る渋沢栄一の生涯

渋沢栄一物語

渋沢栄一記念館
〒366-0002
埼玉県深谷市下手計1204
電話:048-587-1100










感性を活かし、顧客価値を創造する企画集団を作る

カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社
代表取締役社長 増田 宗昭 氏


財部:

最初に、今回ご紹介いただいたブックオフ・コーポレーションの佐藤弘志社長とのご関係を少しお伺いしたいのですが。



増田:

佐藤社長ですね。話がちょっと長くなるかもしれませんが、僕らは『TSUTAYA』をやっていくことを目標としているわけではなく、さまざまな企画を作って世の中に貢献しようと考えている会社なんですね。だから『TSUTAYA』に限らず、いろいろな方々とお付き合いをして、「一緒にこんな企画をやっていきましょう」という話をしてきました。



財部:

ええ。



増田:

まだ『TSUTAYA』を作って間もない頃、ある人に頼まれて勉強会をやらせていただいたんです。渋谷のある小さなマンションの1室で『TSUTAYA』のビジネスモデルや、新しいビジネスモデルの立ち上げ方についての講義をしました。その時、1番前の席で私の話をお聞きになっていたのが、当時まだブックオフが1店舗しかなかった頃の坂本孝前会長でした。それ以来、お付き合いが始まり、同社が上場された時にも出資をさせていただいて、私はブックオフさんの社外役員をやらせていただいたんです。



財部:

はい、はい。



増田:

坂本さんの所の古本、うちの新刊書ってことで商品が関係していることもあり、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下、CCC)のことを勉強されたいということで、フランチャイズで『TSUTAYA』をやって頂いたんです。そのときの責任者が佐藤社長。その頃からお付き合いですから、もう8年ぐらいになりますね。



財部:

そうですか。



増田:

長年のお付き合いで、今もブックオフさんの社外役員をやらせていただいています。そういった関係もあり、それで彼が(今回のインタビューに)僕を指名したんじゃないですかね。付き合いは長いですよ、彼がマッキンゼーからブックオフさんに入社された頃から、僕は知っていましたから。



財部:

長いお付き合いの中で、佐藤さんは変わりましたか?



増田:

佐藤社長は「環境やタイトル(肩書き)は人を成長させる」、の見本のような人で、もう、がらりと変わりましたね。



財部:

頭で仕事をするコンサルタントの世界から、いきなり現場に出てリアルな世界に飛び込んだ。しかも圧倒的な責任を持たされましたよね。佐藤さんのお話を聞いていても、その変化感っていうのは伝わってくるものがありました。



増田:

自分のやりたいことを突き詰めていくと、敵も出てくるし、問題も生じる。でも、そこにニーズというものが生じてくるのであって、まさにそれを解決していくプロセスこそが、自分を高めていくプロセスだと思います。だから、(他人が)「こういう場合はこう」というノウハウをたくさん教えるより、本人に考えさせた方が、人は成長するものです。その典型がまさしく佐藤社長そのものだと思います。



財部:

そうですよね。



増田:

仮に「上場会社の社長になるには」とかいう講義があって、それを1年聴いたところで、佐藤社長のように成長はしません。やはり株主総会に出て、みずから壇上に立ってクレームに耳を傾け、それに答えて叱られて、というプロセスの中で経営者は育っていくものです。



財部:

「みずから考え、成長させる」というのは、CCCにおける教育方針そのものなのでしょうか?



増田:

そうですね。基本的に、「企画を作るにはこうしたらいい」と教えられるものではなく、企画とは自分で考えるもの。したがって、自分で考える癖をつけなければいけませんから、社員皆が、ある種の「自立心」を持てるような組織を作りたいと思って経営してきました。


「企画」を生業とするからこそ、「自由」を旗印に掲げる


財部:

自立心ですか。



増田:

よく多くの企業は「自社のビジョンやミッション、価値観を共有しよう」、というようなことやりますよね。僕らも、何年か前にそんなことにも取り組みました。それも大事なのですが、企画はやはり自分で考えるものなんです。だから自分の頭で考える癖をつけないといけないなって、僕は思ったんです。



財部:

ええ。



増田:

だから僕は従業員たちに、「会社として一番大事にするものは自由だ」って言いました。自由を旗印にする会社なんてないでしょ。これはいいなと思いましてね。



財部:

そうですね。(笑)



増田:

あと、もう1つ話したのは、報告や連絡、相談とか、そんなものが一切ない組織にしたいということ。これはね、僕自身が嫌いなんです。報告をするのも、命令されるのも嫌い。(笑)。報告や命令で動くような組織なんてつまらないじゃないですか。だから、そんなのわざわざ自分たちで作るのはやめようよと言ったんです。



財部:

それは、なかなか勇気がいることですね。



増田:

そこは社内的にも社外的にも、なかなか理解されないところなんです。僕は、やはり企画というものを生業にしていきたいんです。でも今、「CCCって何?」と聞かれたら、皆が「TSUTAYA」って言うでしょう?これだけではダメなんです。



財部:

増田さんとしては、企画こそがCCCの最大のコンテンツであり、それが事業そのものであるという考え方で、『TSUTAYA』のビジネスはその中のひとつということですよね。



増田:

はい。



財部:

そういった話を伺うと、ポイントカードの世界に『1ポイント』というものを持ち込んだのは、企画の勝利以外の何者でもないと僕は思います。あれは分かりやすい姿ですよね。



増田:

はい。TSUTAYAに続く第2の企画作品です。



財部:

そうですね。しかし増田さんご自身の言葉で、「企画をエンドレスに出し続けることが一番難しい点である」とおっしゃっていて、その原因は経営にあるとされています。「優秀なその若手が出してきたアイディアが、従来の常識を覆している場合、経営陣が理解できない、という恐ろしい限界点がありえる。それを超えるために、絶えず自己否定をしなければいけない」、というお話をされています。僕は、そういう考え方はとても素晴らしいと思いつつもですね――。



増田:

じゃあ、一体、どうするの、と(笑)。



財部:

そうです。それをどうやって乗り越える?のということが、一番のポイントだなと思ったんですね。



増田:

「企画は辺境から生まれる」というじゃないですか。 つまり、企画はやってみなければわからないから、まずは失敗してもいい。要は、成功するなんて思わないことです。



財部:

ほう。



増田:

やる前は誰にも何もわからない。でもやってみれば、なにがしかの成果が出ます。その成果は凡人でもわかるんです。だから結局のところ、やるしかないんです。したがって、企画をやる前にいろいろなことを言ったって、本当のところは理解されないと思うんです、僕は。



財部:

そういう自由な社風の中で、この企画をやりたいと、社員がどんどん手を上げてくるわけですよね。その際にはやはり全員にやらせるんですか?



増田:

それについては、「あるべき姿」と「実態」という2つの面があると思いますが、「実態」は皆、コンサバティブなんだよね(苦笑)。



財部:

そうなんですか?



増田:

本当は、もっと世の中に役立つ企画をどんどんやって打ち出していくべきなのに、「企画会社とはどうあるべきか」ということよりも、現状を維持することにエネルギーが働いてしまう。その意味では、財部さんが今おっしゃったように、新しい企画を生み出していく部分については、仕組みがまだできてないかなと思います。



財部:

うーん。



増田:

僕が、なぜ企画会社を作ったかについては、何かでご覧頂いたことはありますか?



財部:

拝見しました。



増田:

ぜひ、このお話をしておきたいんですが、僕はもともと婦人服の鈴屋さんにいました。そして、僕が最も影響を受けた方が、ライフスタイル・プロデューサーの浜野安宏さんです。彼が書いた『ファッション化社会』(ビジネス社)という本の中に、「すべての商品がファッション化し、すべての商品がデザイン化される」という一節がありました。僕が青春時代送った頃は、テープレコーダーにしても、機能だけで売れていたんです。ところが、そこにデザインというものが入ってきて、単なるテープレコーダーよりも、デザイン化されたテープレコーダーが売れるようになってきた。



財部:

はい。

増田:
もし浜野さんが言った通りになるとしたら、これから人はいったい何を軸にして、モノを買うようになるのかと、僕は考えたんです。


財部:
何で選ぶんですか?

増田:
僕は、それは好みやスタイルだと思いました。車、家、別荘、靴、時計、髪型も含めて、ありとあらゆるものにスタイルがあるじゃないですか。財部さんも僕も、おぼろげながら自分のイメージにあっている商品を選んでいるんだと思うんです。そうなると、自分のスタイルをどこかで選んでいるわけです、無意識に。その「スタイル」を選ぶ場が要るのではないかと思って始めたのが『TSUTAYA』なんです。

財部:
なるほど。

増田:
「豊かな社会」になればなるほど、競争が激しくなり、「どんなモノを作ったらいいのか」、「どのように売ったらいいのか」、「どんな販促をしたらいいのか」、「どのように値付けをしたらいいのか」というように、「どんな風に」という企画が非常に重要になってきます。でも、たいていその会社内では、そういうアイディアがなかなか出てこない。やはり閉ざされているからなんでしょう。

財部:
自分達の会社のことは、なかなか客観視できないものですよね。

増田:
はい。会社の外にいる人の方が良く分かるケースが多いんです。その意味で、アウトスタンディングな企画専門会社が「豊かな社会」に必要だと僕は感じたんです。「だったら、それをやろう」と決めたのが、僕が独立したきっかけです。で、その最初の作品が『TSUTAYA』ということなんですけどね。 僕は、組織的に再生産メカニズムを持って、企画提案ができる会社をつくりたいんです。

財部:
「企画の再生産」っていうものに加えて、「企画の企画化」ということもおっしゃられていますよね。そういうことは可能なんでしょうか?

増田:
うーん。僕は、発想の原点は「心」だと思っているんです。発想は「頭」でできるものではありません。頭は、どちらかというと個人のエゴのために使う。「こんなことしたら危ない」とか、「こうしたら儲かる」とかいうように。その一方で、「あの人はかわいそう」だとか「助けてあげよう」、「応援したい」というのは「心」でしょ。心って「利他」だと思うんですよ。

財部:
なるほど。

増田:
もともと企画って、「こんな風にしたらお客様が喜ぶよね」とか「楽しくなるよね」ということを考える作業だと僕は思っているので、そういう「心」のある人間の集団を作れば、「企画の再生産」ができる会社ができるのではないかと考えました。だから、人の採用はずっと、それを軸にしてやってきたんです。利他の心がある人を集める、みたいな感じで。

財部:
ほお。それは、CCCの草創期の時から?

増田:
もう最初からです。企画会社を作る、というのは、最初から決めていましたから。

財部:
まあ確かに、社名がそれを物語っていますよね。そこで、僕が伺いたいのはですね、増田さんのような天才的な経営者が、世の中にいらしてですね――。

増田:
僕は凡人の究極ですよ、サラリーマン時代から(笑)。

財部:
素晴らしい経営者がいて、素晴らしい発想があって、素晴らしい会社ができるわけです。でもそれは、実際にその経営者個人の能力や属性に負っている部分が非常に大きいわけです。そこに人が増えてくると、それだけバッファー(緩衝)も大きくなってしまう。そうなると必然的に、会社の規模が拡大するにつれて、経営者個人の圧倒的なパワーが、結果的に分散することになりますよね。

増田:
はい。そうですね。

財部:
そうなると、経営者自身が、いつの頃からかクリエイティブな話をしなくなってしまう、というケースが少なくないんです。でも、増田さんは今でも「企画の再生産」を諦めていない。これは、やはり違うなあ、と思ったんですよね(笑)。


企業の成長と衰退を左右する「1:3の法則」

増田:
僕の話は、大昔から変わっていません。僕はね、単純、しつこい、諦めない。この3点が僕の特質(笑)。で、今おっしゃったことは、組織が大きくなった時に、そういう「特質」が機能しなくなるじゃないか、ということだと思います。僕自身は、そういうことを「1:3の法則」と呼んでいます。

財部:
「いちさん」?


増田:
はい。これは何かと言えば、1や3という数字がつく時に、組織が変革しなければ駄目になるという経験則なんです。これが当社の成長曲線ですが(グラフを書きながら説明)、会社の業績が良くなったり悪くなったりする時って、だいたい1と3がつくんです。最初のポイントはたぶん300だと思うんです。店舗や会社を始めたあと、従業員数が10人、30人、100人、300人になっていくごとに問題が起こってきます。

財部:
えぇ。

増田:
でも、従業員30人の時のやり方のままで、なんとか100人まではいけてしまって、一時的に業績も伸びるんです。ところが、ベンチャー企業が一番成長に伸び悩むのが、じつは従業員100人から300人に増える時なんです。この時期にだいたい組織を立て直し、階層のようなものができるんですが、実際には、経営トップがその階層を飛ばしちゃうんです。つまり担当部長がいるのに、トップが現場に直接に行ったりしちゃって、問題があったら全部ケアしてしまう。これまでやっていたのと同じようにね。

財部:
つまり、部下に任せられない。

増田:
そう。どんな人の意見を聞くよりも、自分がやったほうが早いですから。ところが300人規模になったら、そこから先は、本当に部下に任せないと無理ですね。でも、経営者はそこが分からない。だから僕は「従業員が300人を超えたら権限委譲することを覚えなさい、そうしないと絶対におかしくなるよ」と、あらゆるベンチャー企業の経営者に話しています。実際、自発的に動く中間管理職を育成できなければ、いくら規模を広げていっても人が辞めたり、うまくオペレーションできなかったりしますからね。


「原理原則」から考え、全社を挙げてリスクを取る

財部:
うーん、そうですよね。

増田:
これがありとあらゆるところで起こります。僕が『ディレクTV』を退任したのも、『TSUTAYA』が300店から1000店に移る頃でした。僕自身、300店のマネジメントをやっていた時に、何かおかしいと感じていたんです。その時に銀行の人から、「増田さんのところはいい会社だし、借金も少ない。儲かっているけど、将来を考えたら、もっと大企業の人と仕事をしなさい」と言われました。最初は何を言われているのかわかりませんでした。でも、今振り返ってみると、権限委譲や報酬のやり方、組織の作り方、リスクマネジメントの方法は大企業と300店規模の会社では違う。それを学べということだったんですね。それがわかったので、「よし、権限委譲だ」となりました。その結果、TSUTAYA1000店舗、売上高1000億円、従業員数1000人の壁を超えることができた。僕はそう思っています。

財部:
ほお。それはやはり体験の中でしか、学べないものですかね?

増田:
ええ。こんなことは、その渦中に考えてもわかりません。あとで振り返ってみると「なるほど」と思うことばかりです。実際、従業員300人の壁、1000人の壁を超える度に苦難があって、3000人の壁でもさらに予想もしなかった出来事が起こるという、その繰り返しでした。ウチは最近3000人の壁を超えたんですが、まだ「報告なしで行こうぜ」というのにこだわっています。だから、定例の報告は僕には上がってこないし、社長室もない。僕は誰に会うにも、これ(ノートパソコン)を1つ持っているだけですから(笑)。

財部:
社長室なし、報告なし、というのは凄いですね(笑)。私も、これまでいろいろな経営者の方とお会いしましたが、初めてです、これは。


増田:
何も要らない。知りたいことは自分から聞きに行けば良いし、逆に、「なぜ社長室が要るのか」と僕は思います。極論すれば、僕は会社もいらないと思ってるんですよ。

財部:
会社もいらない?(笑)

増田:
はい、いらない。(笑)

財部:
会社がある程度順調に行っているから、そう思えるということでしょうか?

増田:
会社を順調に行かそうとするからこそ、そう思うんですよ。

財部:
うーん、なるほど。それは、究極の権限委譲ということになりますか?

増田:
そういうことじゃないですかね。

財部:
それは、増田さんの価値観が、社内に本当に根付いたということと理解していいのでしょうか?

増田:
いいえ。全然。 僕はお客様のために企画を作ってね、お客様にハッピーだと思ってほしい。それこそCCCがやるべきことだと思っています。借金もない。今月の決算も、来月の決算ももう読めている。だけどね、3000人でこんなことをしていていいのか、って思うんです。

財部:
うーん。確かに、新しいビジネスを無理やり生み出す必要がないわけですね。

増田:
このままでは、いざやらなきゃいけない、という時に筋力も知力も衰えていて、何も生み出せなくなってしまうな、って僕思っているんですよ。

財部:
そうですね。それを変えるために、どういう手を使うんですか?

増田:
CCCは経常利益が約150億円で3年間ぐらい横ばいになっています。100億円から300億円に行けないんです。これは、胡座をかいている証拠です。だから僕は、これまで作り上げてきたビジネスモデルに依存している限り、経常利益150億円は突破できないと思った。で、ここを突破するためには、「仕組みの転換をしなければいけないね」ということを言っているんです。

財部:
はい。

増田:
ウチは「命令しない、統制しない、好きなようにせい」というスタイルでやってきましてね、役員もたくさんいたんです。でも、(2008年度から)COOとCEO、CFOと3人だけに減らしました。それから、社外役員を4人お願いしていて、それを過半数にしたんです。

財部:
ほお。社外役員に過半数持ってもらった。

増田:
社内の役員3人が責任を取る。売上高300億円を超えるためのストーリーが描けなかったら、もう3人ともクビ、というように責任を明確にしたんです。

財部:
新しいビジネスを生み出させる強烈なプレッシャーですね。それは、どういうイメージなんですか?


増田:
「皆、足並みを揃えようぜ」ということです。ラグビーで言うとね、皆がウィングの位置に行っちゃうとかね。ボールがボーンと飛んでいったら、皆でワーッとそれを取りにいっちゃう(笑)。これまでルールないから、誰がフォワードかという役割は決めていませんでした。皆好き勝手にやってきたんです(笑)。

財部:
それは分かりやすいですね(笑)。とはいえ、極端な話、皆がゴールの前に集まった状態でも、とりあえず得点して、ゲームに勝っているわけじゃないですか。だから今度はきちんとディフェンスを置き、フォワードにもサイドにも、逆のウィングにも人を置くよ、ということになれば、効率が上がりますよね。

増田:
ええ。よく言うじゃないですか、戦術のミスは戦略でカバーできる。ただし、戦略のミスは戦術ではカバーできない、と。その意味では、企画を(生業に)選んだことや、社内で自立を重んじた戦略は正しかったと思うんです。

財部:
なるほど。たしかに、統制された組織というものは、改革の際に「全取替」しなければ変われませんからね。

増田:
その点、ウチは自立集団ですから、皆をちょっと呼んで、「おい、そろそろこんな風にやらないか」と言ったら、「そうだな」ということになりますんでね。自由性を残してやっていると、やはり変われるんですよね。

財部:
そうですね。


個人のライフスタイルとブランド価値をマッチングさせる場

増田:
僕が今後やっていこうと思っているビジネスの本質は、「リコメンド」(推薦)です。僕が、企画会社として1番最初に手がけたのは、くどいようですがTSUTAYAという「ライフスタイルを選ぶ場」でした。

財部:
ええ。

増田:
人間の究極の欲求は「自分らしく生きたい」ということだと思っているからです。でも、皆、「自分らしさ」というところがわからなくなるんです。だから迷う。 僕は、その「自分らしさ」を選べる環境を提供したいんです。たとえば『TSUTAYA』でDVDを借りて、『山口組4代目』を観る。気に入った人は、その世界に入るきっかけにもなるし、「この世界だけはやめとこう」という人もいる。あるいは『危険な情事』を観て、「今の彼女と別れよう」という人もいるだろうし、「やはり今の彼女を大事にしよう」と思う人もいる。でも、それは人それぞれなんですよね。「何がいい」ということではなく、人それぞれに好みがあるということなんです。

財部:
そうですね。

増田:
そういう「自分らしさ」をより鮮明に、脳の中に映像化することで、人は自分の生き方を発見していく。皆、そういうことをしたがっていると思うんです。そこからレストランに行くのか、たこ焼きを買いに行くのかという、自分の好みのスタイルを実際に体験していける。これがもの凄く幸せなのではないかと思います。そういうライフスタイルを選ぶ場に、『TSUTAYA』がなりたいと考えただけなんです。1店舗目の時からね。

財部:
『TSUTAYA』が1店舗目の時からですか。

増田:
そうです。「リコメンド」の話に戻りますが、さっきの話は、お客様がみずから店舗に行って選ぶということですが、これからはちょっと違います。「リコメンド」はまったく新しい概念に向かっていてね、僕は「今、(日本市場における商品・サービスの担い手と消費者との)コミュニケーションは第3のステージに来ている」と言っています。いまやモノが溢れる時代を越えて、さらに店舗が溢れる時代になったときに、いったい何が差別化や顧客価値を生むのかと考えました。その答えは、僕はメッセージだと思っているんです。

財部:
なるほど。
増田:
こういう時代になったときに『TSUTAYA』は、単に店に来て(CDなりDVDなどの商品を)選んでもらうのではなく、個々のお客様に対して(「自分らしさ」を探す手助けとなる)リコメンドをする、そういうプラットホームにならなければならないというのが、僕が本当に言いたいところです。

財部:
ひとりひとりのお客さんに別のサービスを提供する。


増田:
「そんなことができるのか」、という話なんですが、僕はできると思っています。実際、僕たちは最初から、そこを目指してやってきたわけです。もの凄く理屈っぽい話なんですが、この小話がいい譬えになるでしょう。モノが少ない時は、モノ自体が情報。風邪薬がないときに『パブロン』が出てきた。すると大正製薬は、風邪によく効く風邪薬ができたということを、社会に伝えたいと思います。「『パブロン』は風邪に効く」ということを皆に伝えるためのマスメディアが必要になってくる。この時のポイントは、1人当たりのコミュニケーションコストが安価であること。そうすると媒体として一度にたくさんの人が見る「テレビ」、「新聞」がいい、ということになるわけです。

財部:
そうですね。

増田:
でも、今は「豊かな社会」になりました。『パブロン』以外にも良い風邪薬はたくさんあります。ほかにも、卵酒の方がいいとか、ゆっくり寝た方がいいとか、「豊かな社会」ゆえの多数のソリューションが溢れています。そうなると、今度はお客様が、何が自分にとって何が良いモノなのか選べなくなる。そこで今度は、お客様みずからがサービスを探しに行くようになる。それが『グーグル』であり『楽天』であり、『ヤフー』なんですよね。

財部:
はい。

増田:
ところが最近では、お客様の嗜好も多様化しています。多数の時計メーカーから、いろいろな商品が出てきていますよね。財部さんの好きな時計と僕の好きな時計は違います。そういう情報を元にして、今度は、その特別な個性を持った時計が〝自分の顧客を選びたがる〟ようになるんです。きっと。僕は、それを実現しようと思っているんですよ。

財部:
うーん、なるほど。

増田:
そこで、『TSUTAYA』のカードなんですが、お客様はカードのことをよく「会員証」と言われます。ところがお客様は本当に、「自分は『TSUTAYA』の会員だ」という意識を持っていらっしゃるかどうか。そこは甚だ疑問だと思います。たしかに『TSUTAYA』が好きの方はたくさんおられますが、「自分は『TSUTAYA』の会員だ」という意識を持っている人が、何人いるのだろうかと、僕は思うんです。

財部:
そうですね。

増田:
今、「会員証」と称して、お客様にカードを持っていただいているのは、これがないとレンタルできない・ポイントが貯まらないからで、要は持っていただいているだけの「パスポート」です。ところが、いま多くの会社が、顧客の囲い込みだとか顧客管理と言って、カードを発行していますよね。

財部:
ええ。

増田:
たとえばここに3枚カードがあるとします。スーパーマーケットのカード、『TSUTAYA』の『Tカード』、そして『Tカード』とスーパーマーケットの複合カード。この3枚の中で「どれが一番いいですか?」というと、一番便利なのは複合カードでしょ。だって、いろいろな国に行けるパスポートのほうが絶対にいいじゃないですか。さらにどこでもポイントがついて、どこでもポイントが使えたら、絶対にそれがいいですよね。僕が何も言わなくてもこのカードに収斂されるわけです。それで作ったのがこの『Tカード』なんです。

財部:
そうなんですか。

増田:
ですが「こういうカードができました」となると、誰もが、このカードを作ることを目的にすると思うんです。でも、僕が本当にやりたいのは、3000万人のT会員の方に自分の好みを発見するための「リコメンド」なんです。

財部:
3000万人はやはり凄いですね。

増田:
これを思いついた20数年前のまだ創業して間もないころ、ハードディスク、2ギガを2億円で買ったんですよ。 みんな馬鹿にしてたんですよ。そんなバカでかい容量でそんなデータなんかとっておいてどうすんの、ってね。(笑)でもデータが財産になるって、僕はわかっていました。だから創業以来、全部のデータを残しておいたんです。

財部:
それはお話を伺っていると、CCCは増田さんがずっとリードしていく会社ですよね。

増田:
僕は、そんなことは思っていませんが、いずれにしても、企画会社として新しい概念をいかに組織的に動かしていくかということが、僕の今の命題です。でも、これから実際に企画を生み出すのは僕じゃない。だからCCCを、僕みたいな人間が何100人も出てくるような企画集団に仕掛けていくことがミッションなんです。

財部:
なるほど。なかなか難しいところですね。

増田:
『TSUTAYA』は日本で1番CD・DVD、本も販売しています。でも、僕らは本屋をやりたいわけじゃない。「ライフスタイルを選べる場」を作るということをずっと言い続けてきたら、今こうなっているという話なんです。だから僕が重視しているのは、チェーンの売上高じゃない。Tポイントのビジネスでいうと店舗数が最も大事で、エネオスさん、すかいらーくさん、焼肉の牛角さん、オートバックスさん、ロッテリアさん。それからファミリーマートさんに行っても、富士シティオさんという食品スーパーに行っても、フィットネスクラブ、カラオケに行っても『Tポイント』がつく。まあ、全国で3万カ所ぐらいですかね。

財部:
このところ、ずいぶん急激に増えましたよね。

増田:
『Tカード』をアライアンス先さんが発行してくださるようになったので、3000万人のユニーク・アクティブ・ユーザーが、間もなく4000万人になるでしょう でも僕は、結果は絶対に求めないんです。というのも「柿は勝手に落ちてくる」から。つまり、ちゃんとお日様に当てて水をやり、手入れをしてあげれば、結果はかならず出てくる。もっとも、僕はお客様のことだけを考えているので、自社の売上げとか、利益とか、シェアとかまったく興味ないんです。極論すれば、会社なんてどうだっていいんです。会社は結果だから。

財部:
その考え方について、社員の皆さんは増田さんをどうみているんですか?


増田:
社長がこんなことを言っているので、逆に、社員の方がしっかりしないと、って思っているでしょうね(笑)。

財部:
ははは――。今日はありがとうございました。

(2008年9月9日 東京都渋谷区 カルチュア・コンビニエンス・クラブ本社にて/撮影 内田裕子)




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コトラー マーケティングマネジメント

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大前研一さんによるベルナールアルノー 論。面白い。
10年後世界一を維持していると思う。



#006 -1 現代経済学の直観的方法
長沼 伸一郎(著)

資本主義の本質をつかむ経済書

33年前にベストセラーとなり、理系の名著として読み継がれてきた『物理数学の直感的方法』の著者、長沼 伸一郎氏による現代経済学の本です。
その内容は、1987年、著者が26歳の時に書かれた本の「あとがき」で予告されていた経済についての話で、そのことからも本書が著者の長年にわたる研究の集大成であることがうかがえます。(450ページにおよぶ大著!)
本書の魅力は何といってもその独自の「直観的方法」にあります。
石川 善樹氏が『問い続ける力』という名著の中で、長沼氏へのインタビューを通じてその秘密に迫っていますので、これを参考にしながら「直観的方法」の魅力をご紹介したいと思います。
長沼氏によると、

本質を把握するためには科学と戦略の二極をおさえておくことが重要です。

サイエンスとアートではなく戦略というところがみそです。
なぜ戦略なのかというと、長沼氏にとっての直観が戦略家の直観と似ているからなのです。
「戦略家の仕事って、重心を発見することなんですよ。ここを攻めればいいじゃないかという一点を見つけ出したら、後のことは参謀幕僚に任せてしまう。その重心を見つけて攻めるのが本当の名将なんですよね。」
この「重心」という概念はクラウゼヴィッツの『戦争論』に出てきます。
「クラウゼヴィッツの場合、この戦争の重心は軍隊か、首都かという話がよく出てくるんです。要するに、首都を攻め落とすことがこの戦争を終わらせることになるのか。それとも、軍隊を撃破することが戦争を終えることになるのか。たとえば、ナポレオンはロシア軍を放ったまま首都のモスクワに入ってしまった。重心は軍隊にあったのに、首都に入ってしまったから重心を取り逃がして、結局全体がガタガタになったみたいなことを言ってるんですよね。」
これが、直観と戦略の接点です。
では、「方法」についてはどうでしょうか。
「今まで理系の人がほとんど論じてこなかったことなんですけれど、リデル=ハートという軍事評論家が、直接的アプローチと間接的アプローチという概念を提唱したんですよね。例えば、城があったら、とにかくそれを力攻めにするのが直接的アプローチです。一方、間接的アプローチは、この城を攻めても落ちないことがわかった時、この城があることで相手はどういうメリットを得ているのかと考える。それで、城はふもとの街を守るためにつくられたんだということがわかれば、街を先に落としちゃえば、この城は存在意義がなくなっちゃうわけじゃないですか。だから、ふもとの街を落とすことで、間接的に城の存在価値を失わせて勝つのが間接的アプローチという方法です。」
「リデル=ハートは、昔の戦争を何百も分析して、直接的アプローチで勝ったものと、間接的アプローチで勝ったものを数え上げたんですね。そうしたら、直接的アプローチだと、ほとんど引き分けに近いものしかなかった。本当に勝ったといえる事例のほとんどは、間接的アプローチによるものだったということが明らかになっているんです。」
長沼氏は、同じことが実は科学の世界でも起こっていると言います。
ある方程式が解けないと言っている時は、ほとんどが直接的アプローチです。
大きな成果を挙げているケースは、ほとんどが間接的アプローチを使っているのです。
このことについて石川氏が質問します。
石川:ある人は城しか見ていないんだけど、別の人は街まで見ている。その違いはどこにあるんでしょうね。
長沼:直接的アプローチになっているときは、攻め方がマニュアル化されているんですね。マニュアル本通りの経路から行くんだけど、現実はマニュアルと違うので、行ってみたら食い止められてしまう。間接的アプローチは、自分で全部調べるからできるんです。こっちの道も実は通れるんだというのは、自分で調べないとわからないわけなんですよね。
石川:だから、試行錯誤の最中は、ものすごい非効率に思えるわけですよね。なかなか着かないし。人って、見たいものを見る傾向があるから、そうでない道を探す場合、頭の中では何が起きているんですかね。
長沼:一種の違和感だと思うんですよ。なぜ皆こっちから攻めるんだろうと。間接的アプローチを使える人は、その違和感から出発しているというのが、多くの人たちを見た感想ですね。それは頭の中の固有波形とのずれで生じる不協和音なのかもしれません。
「方法」は間接的アプローチです。
しかし、この方法を使えるようになるためには、「違和感」から出発することが必要です。
では、この違和感とはなんでしょうか。
長沼氏は「違和感」について「頭の中の固有波形とのずれで生じる不協和音」という理系的な?説明をしてくれていますが、文系の私にとってはかえってちんぷんかんぷんです。
そこで自分なりに考えてみると、思い浮かぶのはアンデルセンの『裸の王様』という童話に出てくる子どものことです。
「自分の地位にふさわしくない者や、ばか者には見えない不思議な布地」をまとった王様の行列を見て、みんなが「すばらしい衣装ですね」とほめそやしている中で一人だけ「王様は裸だ!」と言った少年です。
私たちは、子どものころはこの少年のような素直な心を持っているので、大人たちはなんて愚かなんだろうと笑いながら童話を読んでいますが、大人になる過程で、いつの間にか素直な心を忘れて、不思議な布地を売りつける商人や、騙されてそれを買う王様や、すばらしいお召し物ですねとお世辞を言う家来や、行進に歓声を送る民衆になってしまいます。
とはいえ、私たちは大人になっても心の奥に子どもの心がかろうじて残っています。
お金や地位といった欲にまみれた私たちの心、マニュアルや専門知識、経験などによって硬い殻のように塗り固められた私たちのペルソナの奥にある子どもの心に問いかけた時に「王様は裸だ!」という笑い声が聞こえてきたら、それが違和感なのではないかと思います。
だとすると、違和感から出発することは、天才的な資質や感性に恵まれた人たちだけの特権ではなく、私たちの誰もが使える方法になります。
さて、これで直観的方法の要素がすべて揃いました。

①重心の発見、②間接的アプローチ、③違和感からの出発です。

それでは、次に直観的方法の使い方について、見てみたいと思います。
目的は石川氏と同じように、長沼氏の方法を学んで、それを自分で使えるようにすることです。
その練習として、本書の第1章を「方法」を意識しながらたどってみます。
第1章「資本主義はなぜ止まれないのか」は次のような感想から始まります。
「それにしても、現代の日本や米国のようにすでに十分な経済的繁栄を遂げているはずの国に住んでいて、ニュースの時間に経済官僚などが『来年度に何%の経済成長を行うには...』などと発言しているのを聞いていると、何かこの人たちは頭がおかしいのではないか、と思えることが多いのではないだろうか。」
「違和感」からの出発です。
そして、この違和感はさらに強化されます。
「資本主義経済がここまで繁栄を遂げて今や環境問題の方が深刻になっているというのに、人間はまだ経済を拡大させねば気が済まないのか、という疑念を抱くのも無理のないところである。」*1
しかし、これは経済官僚の頭がおかしいからでもなければ、日本や米国の国民が飽くことを知らない貪欲な国民性を持っているわけでもなくて、成長を続けなければならないのが資本主義の宿命だからなのです。
では、資本主義はなぜ止まれないのでしょうか。
それは、「金利」というものがあるからだ、と著者は言います。
「重心の発見」です。
そもそも資本主義はなぜ止まれないのか、という問題(とてつもない問題!)を自分で考えるために、金利というものを切り口に考えてみよう、という戦略です。
では、私たちが当たり前と思っている金利とはそもそも何か。
これを考えるために長沼氏が目を向けるのがイスラム社会です。
ご存じの通りイスラム社会では金利は禁止されています。
この金利が禁止された世界、いわば鏡の向こう側の世界から金利というものを考えてみることで、その本質に迫ろうという方法で、これはまさしく「間接的アプローチ」です。
では、イスラム社会ではなぜ金利が禁止されているのでしょうか。
もともと活発な商業社会であるイスラム社会では、投資ということは昔から盛んに行われてきました。
しかし、その際には投資する側とされる側がリスクを同等に分担するという原則が守られているのです。
「例えばある人物が、砂漠を渡って商売するため隊商を組織しようとしているとしよう。ただ彼自身は、隊商が積んでいく大量の商品を準備するだけの金を持っていないため、誰か金持ちの中で利益を山分けするという条件でこれに出資をしてくれる人間を探そうとしているとする。」
「そしてその際に、(中略)もしこの隊商が砂嵐で遭難して大損害を出すようなことがあった場合、その損失は隊商を組織した事業家と出資者の間で平等に負担するという約束がなされるのである。」*2
ところで「これは一見したところ当たり前で、わざわざ書くまでもないことのように見えるが、現代の資本主義で一般的な融資の場合には、そうではないのである。例えば年率5%の利子で金を借りた場合、企業家や事業家は現代的な原則にしたがえば、もし事業が完全に失敗してもその金を利子ごと貸し手に返すべき義務を負っている。」
「要するに極論すればこの場合、リスクは原則的に借り手側が一方的にかぶって、貸し手側のリスクはゼロであるべきだとされているのであり、例え事業が不可抗力でどんな状況に陥ろうと、貸し手側は利子が明記された証文を振りかざして、それを全額払うことを要求する権利を有している。」
しかし隊商を企画した事業家の立場からすれば、そんなことは不公平としか言いようがない。
「自分は砂嵐で死ぬ危険さえ冒しているというのに、絨毯の上に寝そべっている貸し手の側は金銭的なリスクさえ追う必要はないというのである。」*3
イスラム経済ではこの不公平感を是正するために、商業のリスクは双方が平等に負担すべしと規定されています。
イスラム社会が金利を禁止している理由の源はここにあります。
私たちは日ごろ、日本を含めた西欧先進国が最も進んだ社会であり、資本主義が最も進化した経済であると考えていますが、このようにイスラム社会の考え方やシステムを検証してみると、漠然と変わっているとか、遅れているかのように感じていたイスラム社会が、実はより公平で公正な社会をめざすとともにマネーの暴走をいかに抑え込むかを目的に設計された、それなりに高度な「文明」であることがわかってきます。
そして、長沼氏は資本主義とは、最も進化したシステムというよりはむしろその逆で、そのような高度な「文明」が壊れた時に生じるものだと定義しています。
本書のテーマは文明の崩壊とともに暴走する資本主義をどうやって遅くするかということですが、それには

これまでの資本主義の進歩に関する常識を大きく超える新しい経済学が必要です。

その新しい経済学が示されるのが、第9章です。
本書のハイライトである第9章については語りたいことがたくさんあるのですが、すでに大きく紙数を費やしてしまったので、次回に譲ることにします。
*1 この違和感はグレタ・トゥーンベリさんの国連での演説とほぼ同じです。「すべての生態系が破壊されています。それなのにあなたたちが話し合っているのは、お金のことと、経済成長がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。 恥ずかしくないんでしょうか!」 グレタさんは国連やダボス会議で、大人たちに「永遠に続く経済成長はおとぎ話だ!」と叫ぶ現代版の『裸の王様』の少女ではないでしょうか。 そして、そうした場にグレタさんを呼んで話を聞こうという大人たちがいることは、私たちの心の奥に素直な子どもの心が生きていることの証拠ではないかと思います。
*2 これは現在の資本主義社会でいうと、ベンチャーキャピタルに似ています。イスラム経済はその全体がベンチャーキャピタルのように運営されている経済と言えるかもしれません。
*3 コロナ危機にともなう非常事態宣言で多くの事業者が休業を余儀なくされていますが、こうした「不可抗力」による厳しい状況の中で、不動産オーナーとテナントの間で従来にない緊張関係が生じています。 こうした状況の中で、契約書に規定がないからという理由だけで家賃の全額を請求する/されるとしたら、大家、テナントともに不公平感を抱かないでしょうか。 イスラム社会の考え方は決して私たちと無縁の遠い国の話ではなく、今のような状況においてこそ真剣に検討されるべき考え方のように思われます。

  • 青井 浩

  • 株式会社丸井グループ 代表取締役社長 代表執行役員 CEO


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