見出し画像

キラキラした世界の裏側に。

成功した人が嫌いだった。

キラキラしてて、みんなから賞賛されて、輝いている。

羨ましい!!!

羨ましさが募り、こう思うようになった。

そうか、あの人たちは生まれ持った才能があったんだ。運がよかったんだ。だから、成功したんだ。私とは違う世界の人たちなんだ。

中でも羨ましかったのが、「ブロガー」と呼ばれる人たちだった。ブロガーとは、Webページ上で日記(ブログ)や記録を公開している人のことをいう。元々は書くプロではない人たちも多かったが、記事が人気を博し、ブロガーが本を出版することもよくあった。

当時、私は京都でフリーライターを始めた頃で、少額とはいえ原稿を書いてお金を稼いでいるという自負もあったので、「書くプロでもないブロガーがなぜ本を出せるのか」と、とても腹立たしい気持ちでいた。私だって本を出したい。日記を書くだけで本を出せるなんて、ずるい。

ライターになって仕事が軌道に乗ってくると、私はいろいろな人にインタビューをさせてもらうようになった。雑誌や京都のガイドブックに掲載される記事を書くことをメインとしていたので、インタビュー相手は、京都でも人気店のオーナーだったり、活躍が注目されている人たちが多かった。成功してキラキラしている、夢を叶えた人たち。そんな人たちに、根掘り葉掘り話を聞いて原稿を書く。たくさんの人に話を聞かせてもらううちに、私は全員にある共通点があることに気が付いた。

それは、誰もがみな「とてつもない努力をしている」ことだった。その努力も尋常ではない。私だったらそこまでできないと思ってしまうような行動量。

努力を続けたからこそ、成功しているのか!

そんな当たり前のことに、私は取材をしてようやく気が付いた。才能があったからだとか、運が良かったからだとか。勝手に推測して羨み、ずるいと思っていた自分が急に恥ずかしくなった。華やかな表舞台にだけ目を奪われて、裏側が全く見えていなかったけれど、彼らが成功できたのは、シンプルに死ぬほどの努力したからこその結果だった。

その後、たまたま本を出版をしたブロガーに話を聞く機会があった。出会ったときにはすでに何冊も本を出版しており、名を馳せていた。にもかかわらず、毎月100記事のブログを書くことをいまだに続けているという。ならば、私も試しに1ヶ月100記事に挑戦してみようと思い立った。なんせ私は、書くプロなのだから。平日に3記事、土日祝に4記事書けば、1ヶ月で102記事書けるはず。

目標を達成するために、当時でき得ることを全てした。

結果、私は85記事しか書けなかった。私の全力の努力をもってしても、「プロでもないのに」と思ったブロガーの足元にも及ばない。思い上がっていた自分に気が付いて、悔しくて、恥ずかしかった。

成功している人を見ると、いつもざわざわと落ち着かない気持ちになっていた。「あの人たちに比べて、私なんて才能もないし、運にも恵まれていない」「私って、なんてかわいそう」。そんな卑屈な気持ちにさせる人たちが嫌いだった。

けれど、成功している人は、必ず知られざるところで努力をしている。

そのことに気が付いてからは、どんなに成功した人を見ても嫉むことはなくなった。あの人たちは、それ相応の努力をしてたどり着いたんだと分かったから。もし、誰かを羨ましいと思うのなら、単純にその人と同じくらい努力をすればよいのだ。そもそも「羨ましい」という言葉は、自分も同じだけかそれ以上の努力して、それでも報われなかったときに初めて言う権利があるのではないか。

今は、成功した人を見ても、ざわざわとした、どす黒い気持ちにはならない。純粋に尊敬してしまう。

羨む気持ちは時に心をチクチクと刺し、つらいから、仕事を通してその裏側に気づき、心の平穏を手に入れられたことは良かった。世紀の大発見ではないかと思う。

\ 読んでいただき、ありがとうございます / みなさんのサポートが、とても励みになっています!!