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【#えぞ財団】連載企画「#この人、エーゾ」⑧弟子屈町地域おこし協力隊川上さん~uhbアナウンサーを辞め、過疎地域とともに歩むことを選んだ「町公認アナウンサー」の挑戦の日々~

組織のなかで、マチのなかで、もがきながらも新たなチャレンジをしているひとを紹介する「この人、エーゾ」。今回は、民間放送局のアナウンサーを辞め、道東弟子屈町の地域おこし協力隊の仕事に就いた川上涼輔さんをご紹介します。

この人エーゾ

川上涼輔(かわかみりょうすけ):1995年宮城県大崎市出身。2018年にuh北海道文化放送局入社。フィールドキャスターとして2年半、情報番組などを担当し退職。弟子屈の地域おこし協力隊になり同町に移住。空き家をリノベし、暮らす。趣味はウィンドサーフィンとサウナ。

”テレビの中の人が弟子屈に”目に見えない境界線をこえて一人ひとりと向き合う。「その場かぎりで終わらない、より深くて本質に迫る情報発信を」

過疎化していく地域に暮らしながら活性化をはかる活動をおこなう「地域おこし協力隊」。その一員となった川上さんが、道東の弟子屈町(てしかがちょう)に移住したのは昨年のことです。活動期間は最長でおよそ2年半。弟子屈の人たちにとって、川上さんは「テレビの中の人」。そんな川上さんをはじめて目にした町民の反応は「取材だけじゃなくて、暮らすの?どうしてこんなところで?って、行く先々で驚かれました(笑)」。 地域おこし協力隊としてのはじめての仕事は、YouTube「弟子屈公式チャンネル」でのオープンしたてのパン屋の取材。川上さんの活動は過去もいまも変わらず、「いま・このとき・この場所」からの情報発信です。しかし、数人のスタッフと段取りを決め、カメラマンとともに現場に向かっていたこれまでとは違い、自分でカメラをまわしてインタビューを行うことは、川上さんにとって新鮮な経験の幕開けとなりました。

夢だったアナウンサーを辞め地域おこし協力隊へ。脱サラと転職の決断は、小さな違和感からはじまった

宮城県出身の川上さんは、15歳のときに東日本大震災を経験しました。以来、地域に貢献できる仕事がしたいと思うようになり、アナウンサーを志します。その夢を叶えた2018年、北海道胆振東部地震が起こりました。被災地の取材を任された川上さんは、その取材を通じて、自分に求められる役割に違和感を覚えはじめます。「大変な事態に直面している方々の取材でも、ここは何分で!とか、ここは短めに!と、あらかじめ段取りを決めてコマ割りのように撮影していく。もちろん、それはより多くの情報を発信していくために必要なことなのですが、取材を終えたら、『はい、ここは終わり。次の現場』と、接する人々も光景も目まぐるしく変化していくことに、なにか埋められないズレのようなものを感じはじめたんです」。取材を終えた川上さんはその場を立ち去るだけで、残された人々の暮らしが変わることはありません。「困難に直面している人たちと一緒に考えて答えを出したり、その手助けができると考えて選んだ仕事だったんですが、なにか違うなって。そもそも僕がしたかったことって、これだったのかなって

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uhb退職時の川上さん

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