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【登山道学勉強会】山岳遭難=登山者×登山道  #15

今回紹介する論文

J-STAGEに登山道に関わる論文が掲載されました。そのタイトルは「山岳遭難要因である登山者および登山道に着眼したリスク軽減に関する一考察」(小林昭裕、2022)です。登山道を管理する立場のある人は、山岳遭難事故に対してどのような対策すべきなのでしょうか?日本ではまだこういった議論は進んでいません。今回はこの論文の内容をかいつまんで見ていきたいと思います。


はじめに

警察庁の統計によると全国の山岳遭難の割合は、

道迷い 44.0 %
滑落  15.7 %
転倒  13.8 %
病気  7.0 %
疲労  6.3 %

(2016~2020 年)

となっています。警察庁の統計には山菜取りなんかも含まれますので、すべてが登山の事故というわけではなく、登山道上の事故は 82.4 %だそうです。登山の事故だけをみても「道迷い」が遭難原因として一番多いという風に言われてますので、割合としては似たようなものだと思われます。ただし、遭難の原因は山域によって傾向が偏ります。北アルプスのような山だと「滑落」が多くなってきますし、大雪山では道迷いよりも「転倒」の方が割合を多く占めていたりします。各都道府県の警察で山岳遭難の統計を公表しているところもありますので、一度ご自身が携わっている山域の遭難傾向を把握しておくことも、今後の対策を考える上では重要となります。

遭難事故が発生する要因としては4つに分類できます。

・登山者
 (判断ミスや不注意な行動、経験・知識・情報の不足、装備品の不備等)
・登山道の状況
 (路面の安定,路面の縦横断勾配、標識等の安全施設)
・登山道を取り巻く自然環境
 (過酷な気象条件、急峻な地形等)
・管理者の対応
 (施設、情報、啓蒙、指導等)

ただし、事故が発生する場合はこれらの要因が重なりあって発生することが多いです。例えば、地図を持たずに登山していて道標がわかりづらい分岐で下山路を間違えた結果道迷い遭難、といったケースが実際にありました。登山者自体の問題が一番大きいですが、道標が適切に設置されていればこういったケースが起きなかったかもしれません。このように遭難要因の連鎖を起こさないようにすることが重要となります。

1. 研究の方法

この論文に内容は、過去20年間の国内外の山岳遭難に関する研究から登山道と登山者に関わるものを国内 38 件海外 108 件合計 146 件の文献抽出し、それら整理して山岳遭難に対して登山者と登山道をどのようにマネジメントするかを考察したものになります。つまり、これを読めば山岳遭難に関する文献 146 件を読む手間が省ける(?)かもしれません


2.登山者に関するマネジメント

2.1. 山岳遭難における利害関係者の責任

登山道と事故を語るうえでよく取り上げられるのが営造物責任です。登山道を整備した箇所で事故が発生した場合に整備した人間が訴えられる可能性がある、ということから行政や自治体も整備に対して消極的になっているとよく言われます。その転機とされているのが「奥入瀬渓谷落木事故」です。これは国立公園内のいわゆる「遊歩道」での事故で国や県の責任が認められた例です。しかし、過去に「登山道」上での事故で責任が追及された判例は今の所ないようです。

営造物責任が問われるのは「通常有すべき安全性を欠くこと」とされていて「通常予測できない危険」による事故については問われないと考えられるからです。また、山岳遭難では登山者自身の過失があることがほとんどです。

登山者も管理者にも一定の「注意義務」発生します。注意義務は危険を予見する義務(予見義務)と危険を回避する義務(回避義務)に分けられます。これらはその場所や状況によって変わってきます。例えば、誰からみても明らかに危険な岩場では管理者の予見義務は発生しませんが、何度も事故が発生しているような箇所で何も対応を図らなければ管理者の責任が問われる可能性もあります。

2.2.登山者自身の責務・対応

そもそも遭難事故はどのような状況時に起こるのでしょうか?事故発生のモデルとされるのが次の図式です。

個人の回避能力(技術、 体力、装備、判断、計画)< 困難度 
= 遭難リスク大

個人の回避能力を登山道の困難度が上回るとリスクが高まり事故が起きやすくなるという考えたかです。そのため、各個人がその山(登山道)の難しさをきちんと把握できるようにしてあげることが大切となります。そういった考えで生まれた例として長野県が導入した「信州 山のグレーディング」が挙げられます。これによって登山者は、少なくとも困難度が分かるので事故の発生のリスクを下げることに役立ちます。

ただし、当然のことながら困難度を理解できたとしても必ずしもリスクが下がるわけではありません。理由の一つは登山者が自分の回避能力をきちんと把握できているとは限らないということ。もう一つは回避能力と困難度は常に変化するということです。個人の回避能力はその日の体調や疲労度、または加齢によっても変わります。また困難度は季節や気象によっても変化するので、これらの要素をきちんと把握して自分自身を順応させていく必要があります。

つまり、遭難しないために登山者に求められるのは次のような能力や行動です。

・自分の体力を含む回避能力を的確に評価
・複雑な環境の中からリスクの要因・兆候を読み取る
適切に意志決定する能力
・登山者は登山道を取り巻く状況の変化と、自身に起こる変化を常に意識
・リスクを回避するための遂次的調整


2.3.管理者の責務・対応

遭難に対して管理者としては何ができるでしょうか?管理者にできることは登山者の回避能力と困難度のギャップを埋めるための支援(注意喚起、安全施設整備)や規制です。例えば長野県ではヘルメットなどの装備の貸し出し、山域毎の天候・残雪状況・山岳遭難などの情報提供といった支援が行われています。規制という面では富山県登山届条例や谷川岳遭難防止条例で入山できる登山者や時期が限定される危険地区が設定されています。また、活火山のある山域では噴火警戒レベルに応じた入山規制ができるような体制を整えておくことも必要でしょう。


3.登山道に関するマネジメント

3.1.登山道に対するリスク評価

管理者として支援や規制をするためにはリスクの度合い評価して把握しておく必要があります。登山道に対するリスクとしては

病気や疲れ→高い標高による低温、 強風、酸素濃度低下
道迷い→読図力、案内表示、視程の障害となるガスや霧
落石→注意表示、崩落地形など登山道の立地
転倒や滑落→登山者自身の予見や察知だけでなく、登山路面のすべりやすさや安定度、登山路の縦横断勾配、周囲の傾斜、路外 飛び出し防止柵の有無

また、過去の遭難事例を把握しておく必要もあります。ただ山岳遭難の難しいところは正確な登山者数が分からないので、発生発生率というのを正確に推測することはできません。また、日本の山岳環境(気象や地形など)が複雑で多様なため不確実なことが多いのでその不確実性にうまく対応していく必要があります。

3.2.マクロ的対応としての登山道類型化

そもそもの話として登山道とはいったいどういうものでしょうか?登山道の役割と求められる事は次の3点にまとめることができます。

①登山者が目指す目的地への到達を支援
 →落石や崩落に対する安全確保への配慮
②踏圧による影響を登山道に集約することで,周辺の自然環境への影響を抑制
 →脆弱な自然環境の保全
③登山者が期待する利用体験を提供
 →周辺環境となじまない工法・形状・素材を避ける

ということになります。③の「登山者が期待する利用体験」に着目して登山道の類型化をした例として「大雪山グレード」が挙げられます。大雪山グレードはROS(Recreation Opportunity Spectrum)という考えを反映して作られました。ROSとは利用者が求める「体験」に即した「機会」を提供するため、望む「活動」と、活動にふさわしい「場所」を利用者が選択できるように整備しようというものです。大雪山グレードでは「自然とふれあう探勝ルート」のグレード1から、「極めて厳しい自然に挑む登山ルート」のグレード5までの5段階に分けて管理されています。

登山道に求めるものは個人によって差がありますが、多くの登山者は「自然」を求めて山にやってきます。そのため過度な整備で人工的に感じさせてしまうと批判を生むことになります。しかし、場所によっては誰でも気軽に、例えば車椅子でも利用できるような場所もあって良いはずです。この辺りのバランスは難しいですが、基準を設ける事で利用者の期待に答えつつ遭難事故のリスクを減らす事ができます。

3.3.ミクロ的対応としての登山現場での対応

では、現場レベルで具体的にどのように対処すればよいのでしょうか?必要な事は次の3点にまとめられます。

平常時と異常時のリスク特性に応じてリスク評価
・行動を誘導するための工務(安全施設整備の補強等)
情報(危険への気づきを促す情報提示等)
規制(困難度に対して回避能力が充足できない場合の行動規制の導入等)

これらを登山者と情報共有を図りつつ、合理的に行うことが求められます。いつどこでどういう事故が発生したかをもとに、例えば道迷いであればペンキなどマーキングや道標の設置、滑落など発生しやす箇所では鎖や梯子などの安全施設を整備する。悪天候や地震、火山噴火等により危険 が急激に増加する異常時には立ち入り規制を行うなどです。事故発生の際には地図や道標に「UYM座標」を入れることも有効とされています。

4.今後の検討課題

4.1.登山者のマネジメント

個人の回避能力を困難度が上回れば事故が発生するリスクが高まります。管理者として事故を減らすためには、登山者の回避能力を高めてあげることが必要です。また状況に応じて登山規制をする仕組みも必要ですが、登山規制は権利を侵害することにもなりますので、規制導入の妥当性や合理性の論拠を明確にしなければなりません。

4.2.登山道のマネジメント

回避能力と困難度のギャップを無くすためには、登山者が自身の回避能力にあった登山道を選べるように区域を分けたり、それを周知することが必要となります。それは、長野や大雪山のグレードシステムの導入することも有効でしょう。

また、登山道のリスク評価をして工務・情報・規制を行い、それらのリスク軽減効果をモニタリングして有効性を検証していくことも求められます。


持続可能な登山道システムに向けて

ここまでが論文の内容になります。要約のつもりでしたが、けっこうなボリュームになってしまいました。より詳細に知りたい方はぜひ本文を読んでいただきたいと思います。今回の内容は、前回の「持続可能な登山道」にあてはめると「登山道システム」の一部に該当します。これだけでもまだまだ議論や検討が必要そうです。



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